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キラ

半年ほど前に7年付き合った恋人と別れた。
忙しい日常は時に、日常の一コマを忘れさせてくれる。
朝起きて会社へ向かう、気がつけば夜になっていて、家に帰って寝る。毎月、本社のあるニューヨークへ出張があり、環境を変えることで気分転換にもなった。
気がつけば1人でいることにも慣れていた。

なぜ、今頃、センチメンタルな思い出に浸っているかというと、先日の同窓会の後、俺の自宅にユタカがきたからだ。次の取材先というエチオピアの情報入手が本来の目的だったのだが、語り尽くし酒が入るとそれ以外の話にも花が咲く。

ユタカと同じクラスになったのは親父の帰国に合わせて入学した中1の時だった。ほとんどのクラスメイトが幼稚舎からエスカレーターで進級する学校では、俺は少し浮いた存在だった。数日後、休み時間にひとりポツンと座っていた俺に「放課後、サッカーやんない?」と声をかけてくれたのがユタカだった。

もう15年ほど前から、気になっていたが聞けずじまいだったことがあった。

「なんで、お前、あの日俺に声かけてくれたんだ?」
「は?」
「俺が中学の時、クラスに馴染めずに…」
「あー、多分、すげー気が合うなって思ったんだろな。もう覚えてねーよ、そんな昔のこと!」
「それだけ?」
「ピンときたんだ。現に今でもほら」
「愚問だったな」
「だな。何、気にしてんだか。馬鹿だな、お前」
「だな」
「なあ。お前、なんでキラと別れたんだ?俺、お前たちは結婚するんだと思ってた」
「振られたんだ」
「は?お前ら、いつも一緒にいたじゃん」
「忙しくてずっと会えなくてさ。この間、キラ、結婚した」
「相手、お前も知ってるやつなのか?」
「ああ、知ってるっていうか。元カレってやつ」
「は?なんだそれ?!」
「放っておいた俺も悪いんだけどさ。元カレもすげーいいやつで、俺はあいつを超えられなかった。知らないクズ野郎だっただら俺も黙ってなかったけどさ」
「意味分かんねー。それで良かったのかよ?」
「仕方ねえよな。終わる時は終わるんだ」
「傍にいてやれなくてごめんな。今は平気なのか?」
「ああ、この通りさ。彼女とは友達付き合いしてる。キラは今、スペインで暮らしてる」
「なんだ、それ?」
「お前、なんだそれ?しか言わねーのな?まあ、関係性は変わっても気は合うからさ」
「超越したのか。お前が良ければ俺はなんも言わねーけど。なんかあったら今度こそ相談しろよ」
「サンキュ!」


テーブルの上に散らかった写真の多くにキラが写っていた。別れた彼女の写真を大事に取っているのではなく、旅の記録に彼女がいるだけなのだ。もう特別な感情は湧き上がってこない。写真を見て涙を流すほど俺は感傷的ではないが、久しぶりに回顧してみた。





区画整備で今はもう無くなったが、会社から数ブロック離れた古ぼけたビルの地下にあった、ワインの品揃とピンチョスが美味いイカした小さなアジトのようなスペインバル「ラ カサ セグーラ」。

「隠れ家」を意味するそのバーは裏通りにある非常階段からしか入ることができず、さらに重厚なドアを2つ開けなければ辿り着けない。地上のオフィス街の喧騒から逃れられる、ちょうどいい異空間だった。夜遅くまで営業していたその場所は、騒々しく繰り広げられる日常と正反対の時間が存在し、カウンター横の小さなステージで奏でられるスペインおやじの情熱的だが悲哀を帯びたフラメンコギターの旋律が、新入社員だった俺のやるせないまでに多忙な日常を忘れさせてくれた。初めて足を踏み入れた瞬間、俺の神聖な場所と化した。

夜風も熱を帯び始めた初夏のある日、その特別な隠れ家でキラと知り合った。

偶然、カウンター隣に居合わせた4人のOLグループ。この辺りの弁護士事務所で働くワイン好きな彼女達は、たまたま偶然そのバルに立ち寄ったのだと言う。その中に彼女もいた。
俺から一番遠い席に座っていたキラはその場にいた彼女達と全く違う雰囲気を醸し、媚を売り男の気をひこうとする事もなく、時々、ぽそっと核心を突く会話をする娘だった。それほど会話をすることなくその日は終わった。名前も聞くことすらなく。


その後彼女達とあのバルで会う事も思い出す事もなく数ヶ月がたとうとした9月のある昼休み、立ち寄った本屋の旅行コーナーで偶然キラと再開した。
スペインのガイドブックを手にしていた。

「あ、あの日の。お久しぶりです」
「ほんとに久しぶりだね」
「お元気でしたか?」
「うん、元気だよ。そのガイドブック、スペインに行くの?」
「長期で行こうかと考えてて。どれがいいか悩んでる」
「向こうで何したいかにもよるよね」
「スペイン、行ったことあるんですか?」
「学生時代にね、一人旅」
「機会があればゆっくり旅の話を聞かせて」
「いいよ、俺、いつもあのバルにいるからおいでよ。あ、ごめん、俺今、名刺持ってないや。俺、弘正。みんなヒロって呼んでる」
「私はキラ。詳しいことは次にあった時に話すね!」

ほんの短い会話を交わし、次に会ったのは数日後のバルだった。









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