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【14冊目】自生の夢 / 飛浩隆
寒いです。
今日なんかは、今季初めて厚手のコートを引っ張り出してきたんですがね。首元まで襟を立てて、そこにマフラーを巻いて、さらにマスクまでしていると、胸元から口元までが完全防備って感じになりますね。それでもまだ寒かったですがね。それもそのはず、もう12月なものですから。そう。12月ということは。つまり月初。そう。当店月初のお約束、ウィグタウン読書部ですね。
今月の課題図書は飛浩隆『自生の夢』。内容もさることながら、まずは穂村弘さんの帯文に目がいきますね。なんというか、帯文力高い。これは読まなきゃってなる。裏をかえしてみると、そこの帯には「最先端の想像力」との文字が躍っている。カッコいい。私も最先端の想像力を掻き立てられたい。この世界の秘密に触れてみたい。読んでいきましょう。以下、例によって【ネタバレ注意】です。というか、今回は読んでいないとなんのことかさっぱりだと思いますが。ともかく。
さて。
今回の作品は短編集ということで、ホントは一編ずつインスタントな感想を述べて終わろうとしたんですがね。『海の指』もすごい、『星窓』もいい、『はるかな響き』もイケてるんですがね。ここでは一つ、天才詩人アリス・ウォンと、言葉だけで七十三人の人間を死に追いやった殺人者間宮潤堂、そして、彼らを取り巻いた現象〈忌字禍〉についての物語、表題作である『自生の夢』とその周りの短編をメインに話を進めていきたい。
まず、最初に必要なのはCassyという端末に対する理解である。この世界では、人類はみなCassyと呼ばれる端末を利用して、自身の思考をリアルタイムで文章に起こすことが可能になっている。Cassyは常に生活に帯同し、その人の全てを記録する。この「ライフログを文章で記録する端末」っていうのがロマンチックですよね。そして、そのCassyを生まれた時から身につけていたのが、後の天才詩人アリス・ウォンだ。
私はこの「自我をまだ持たない新生児の思考を文章に起こす装置」というのを読んで、なにか釈然としない感じを受けた。だってそうだろう。まだ世間を何も知らない、言語を持たぬ新生児が「こんにちは」なんていうもんかい。なんていうのは全くのお門違いで、彼女は彼女の感覚として「こんにちは」と言ったのであって、我々の言葉として翻訳を行なったのはCassyなわけなんですね。例えば昔、中島らもの『白いメリーさん』という短編集の中にあった『脳の王国』という作品を読んだ。作中には、人の意識の中に入り込める特殊能力を持った人物が現れ、最後はその人物が生まれながらにして植物状態の人物の中に入っていき、その人物がどのような意識を持っているかというのを探る、という内容だった。Cassyはいわばこの能力者が見た世界を翻訳してくれる役割を持っている。生まれた瞬間からスタートしたTwitterのタイムラインみたいなもので、それらをすべて管理、監視しているのが、この世の全ての情報を手に入れようとする企業、Gödelである。この、明らかにGoogleをもじっている企業が試みていることとはズバリ、この世の情報をそっくりすべて統計しようということである。考えてもみよう。この世の全ての人がCassyを生まれながらに持ち、そのタイムラインを管理することが可能であったなら、それはとんでもないビッグデータになるはずだ。個人個人のライフログが電子空間に放り投げられることによって、Gödelの求める情報はより強度を増す。それは完璧な情報と言えるものだ。完璧な情報とは、もはや真理なのだろうか?話は逸れるようだが『預言者ピッピ』という漫画がある。お天気予報ロボットのピッピが、ありとあらゆる気象情報を入力されることによって、限りなく高精度の予報が出来るようになる物語だ。その中で人は「限りなく正確な予報はもはや予言である」ということに気付く。そしてピッピの予言はもはやお天気に留まらない。ピッピが生まれた時から、常に行動を共にしていた、ピッピの開発者の息子。その行動を入力し続けることによって、ピッピには彼の運命が"予報"出来てしまうようになる。苦しい。みたいなお話なのだが、もはやビッグデータの活用は、人類の未来を演算しきっているのではないだろうか。
AI、人工知能とはつまるところ単なる統計である。Cassyによって人々のライフログは膨大なものになり、そのログを全て確認することで、その人物自体をそっくりそのまま再生成することさえも可能になる。何度でも何度でも。そしてそれを繰り返すことで、その人以上のその人が生まれる。より純度の高い、その人以上の存在へと昇華されるのだ。そう考えていくと、今の自分の思考さえも、もしかしたらCassyが導き出した「私だったらこう考えるであろう」という最適解なだけなのかもしれない。全ての思考を演算しきって、これしかないという結論が、この文章なのかもしれない。作中でGödelはまた、GEBと呼ばれるインターネット空間を持っている。我々はいつでもそこにアクセス可能だけれど、そこにある情報が常に真実だと、誰が言えるだろうか?全てはGEBの腹の中なのではないか?
そんなGEBの中に現れたのが〈忌字禍〉という電子ドラッグのような存在である。私はこれを「Cassyの反乱、あるいはCassyに干渉するドラッグのようなもの」と捉えている。先ほど述べたように、我々の最適解はもはやCassyによって導き出されている。それが乱れてしまうとなると、それはもはやアイデンティティの崩壊であって、社会基盤の敗北であって、迎えるは熱力学的に真っ平らな世界である。それを阻止するために、間宮潤堂は登場するのですが、まぁ、カッコいいですね。人を殺すにゃ刃物はいらぬ、口先一つあればいいってなもんで、彼はその才を存分に振るうわけなんですね。かーっ!最高ー!
さて。
唐突に感想が雑になりましたが、ちょっとまとまらないですね。個人的に天才詩人、アリス・ウォンの詩作方法がとてもイケてると思ったので紹介します。曰く「詩は、紙にインクで書きつけられているからといって、静的なものじゃないでしょ。詩は、読まれるとき、機械のように作動する」。かっこいいですね。これっていうのは、考え方としては、ハイデガーなんですよね。ハイデガーによる形而上学の解体、デリダによる脱構築、そしてアリスによる詩藻である。無数にある言語、単語、文字の氾濫するどろどろの中から、彼女は、それらが内包するパラドキシカルな内容を焼き付けて、また、それを形に残す。突如自分語りを始めますがね。私は学生時代、近代詩を学んでおったわけなんですがね。当時の詩人はこの世の万物を詩で象ることを試みたわけなんですがね。彼女がしているのは詩でこの世の万物を創り出すことなんですよね。おみそれしました。かっこよすぎる。かっこよすぎですね。
さて。
だらだらと書きましたが、やはりSFというのはまとまらないですね。その設定を案内するだけで、文字数制限限界突破しちゃいますもんね。少しでもご興味を持った方はぜひ読んでみてください。頭吹っ飛びますから。
というわけで、先月の課題図書は飛浩隆『自生の夢』でした。今月の課題図書はぐぐっと趣向を変えて、初めての食文化史、パナコス・パナイー『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』です。そうきたかって感じですね。読んでいきましょう。