嫌われるのが怖いんだ
最近、季節の変わり目だからか希死念慮が悪化している。相変わらず心を殺して別人が働いている。だが休みの日に天井とYouTubeを見るの繰り返しで、気付けば涙を流して酒を飲んでは疲れて眠っている。そんな日々が続いているのだ。
これはまずいと思ってはいるのだが、休みの日に外に出る気にもなれない。そもそも着替えるのも億劫だし、化粧なんてもってのほかだ。今日も、数少ない友人からの誘いを断ってしまった。(事情は説明したが)
どうしてこんなふうになるまで生きているのだろう。仕事柄、厳しいことを言われたり嫌われたりもある。その度に私の深層意識は傷ついて傷付いて、ようやっと限界の淵にきたのかもしれない。最近、退勤すると涙が出るようになった。今日は誰かに嫌われていないだろうか、いやきっとあそこで嫌われてしまった、と。
愛されなくていい。ただ、嫌われることが何よりも怖い。
他者に拒絶されることが何よりも怖いんだ。
どうしてこんなになるまで生き抜いてしまったのだろう。壊れた心で、汚れた身体で、これではまるで地を這うだけのしかばねではないか。
いや、私はもう生きているとは言えないのかもしれない。ただ生命活動を続けているだけだ。最近、何を見ても楽しいと思えなくなった。愛想笑いが尚更上手になった。元気です、平気です、まだやれます、頑張ります、と。
追記のようなもの
私はこの意識から離れたいと思っている。人類補完計画や、ハーモニープログラム(知らない人は小説もしくは映画のハーモニーを見てほしい)などといった他者との一体化、自我のない世界を望んでいる。愛されることもなければ拒絶されることもない世界。愛されなくても生きていけるけど、嫌われたら怖くて生きていけないから。
だからそういった他者との一体化をなんやかんやで憎む物語が、よくわからない。楽しいことはないかもしれないけど、これ以上つらくならないならいいじゃないか。そう考えてしまう。