エシカルな消費に持った些細な疑問と
昨年エシカル消費に出会い、この消費活動を実行して行きたいと思っていたし、エシカルな活動家になりたいと思っていた。
そもそも、エシカル消費って
環境に・社会にいい商品への消費を促す。
環境に・社会にいいものを、いいことをしている企業を応援するべく起きている消費活動。それがエシカル消費。
経済格差の解決がとか、地球温暖化がとか、SDGs のためにとか。。。
うだうだ考えながらエシカル消費をやって行きたいと思っていし、エシカル消費が社会問題を解決していく上での解決策になると信じていた。今も信じている。
それに、この1年間でフェアトレード商品は買う癖がついたし、地元農家さんから直接野菜を買うようになった。一眼見て「ん?」と感じる商品を買わなくなったし、ものを買う前にどうやって作られてるんだろうと興味を持つようになった。普段の生活から生産プロセスを考えるくらいにはエシカル消費はが習慣付いていたと思う。
疑問
ただ、この最近は「SDGs」、「エシカル」とコピーの伴った商品が目につく。しかも、高級な商品としてブランディングされ、お金持ちたちが環境保護や社会貢献といった大義名分を持って消費活動をしてる。
もちろん、その中には価格を考えて、生産過程を見せて、生産者の想いを見せて、生産者と話もできてする。そういう人たちはそれぞれの課題感を持って取り組めていてるからかっこいいし、尊敬している。そうやって想いを持っている人たちから商品を買いたいといつも思っている。
しかし、SDGsウォッシュやエシカルウォシュと呼ばれるような、建前だけ環境にいいことをしている企業がある。それも高価で、活動への参与が高尚であるように見せかけて。私たちは「SDGsをやる=良い活動をしている」と思い込んでいるが、生産者に生産過程を聞いてみたり、想いを聞いてみるとペラペラに感じる。それに「SDGsをしている」と答える人もいる。
SDGsは目標であって、やる行為ではない。だから、話を聞いていて「あ〜この人知らないか、実際にはやってないんだろうなと思っている。」まぁSDGsは無力だとか民衆のアヘンだとかいろいろ批判をあるけれど、可能性のあることをやってみない。社会問題に対する解決策を打ち出せずに変わらないよりも、「ひとまずやってみる。」が次々に解決策を提示できると思っている。
それでも、エシカルってついた商品は高いと思う。こうやって作られてて、とかこういう問題感があって、を伝えてくれる事業者さんのは買いたいと思うし、高いとは思わない。
それでも、どうやって作られたのかわからない商品にエシカルと明記されていると嫌だなと思う。
結び、、?
結局なにが言いたいかって。「エシカル消費」には限界があると思う。
受け身で消費をしているだけでは何か足りないし、多分問題を解決できているという実感が湧くことはない。
だから、自分が問題解決へ向けたシステムの歯車になりたい。消費者という終点の部分ではなく、始まりの部分によりちかいところで。
少しづつ考えていこうと思う。