見出し画像

聞こえないというのはなんだろうか 〜身体特徴と文化性を通して〜

何故,この記事を書き留めようと至ったかというと少々長くなるので,ご承知を.

元々,約2年前にこんなことを考えてて,制作をずっと頭の中に模索し続けていた.(未だに制作に取り掛かれていないのは己の未熟)

それとまた別に密かにずっと疑問に思っていたのが,”どこからどこまで同じ人間でどこから聞こえないという障害と差別するのだろうか?同じ身体を持ち合わせているのにもかかわらず,聞こえないと分かった瞬間,何かの隔たりや距離感を感じてしまう”.

これらの疑問は,元々自分が取り組んでいる触覚刺激を用いたスタートシステムのHaptStarter,毎回何らの形でかかわらせてもらっているxDiversityなどにも繋がっているモチベーションの1つでもある.

であれば,もう1つのアートとして,聞こえないというのは何か?を問いかけるようなものを.同じ身体特徴とろう文化を始めとする文化性の違いの組み合わせで表現するとしたらヌードでしかないのか?と密かに考えていたのである.

だが,ヌードはセンシティブというのもあり,本当にやるべきか?やるとしてもどうやって?と色々な面で不安を感じ,断念すべきかと夢の話のようでどこかで諦めていた部分もあったのは言うまでもない.

そんな時,このTweetが目に入った.

これは申込してみるべきか…?と思いつつも,色々な不安を拭い切れないまま悩んでしまう.一旦,ろう者なので被写体とのコミュニケーションや他の人との配慮などで不安ですが,大丈夫ですか?とお問い合わせてみる,

早速,そんなに時間がかからず,スタッフにも手話が少々使える人もいるので大丈夫ですよと承諾の返事があり,そこでもう腹が決まった.

という長い前置きとして,ここからは何かを掴もうとしたのかを記す.



画像7

ここだけでは身体特徴と文化性の組み合わせから生じるものは
まだ見えないだろう


画像9

どこから文化性が見えてくるのだろうか?


画像10

身体の全てなのか?


画像10

 それとも,顔と手腕から生じるようなものだろうか?


画像8

もしくは,視線で何となく分かるものだろうか?


画像9

顔ではなく,手腕のみで分かるものだろうか?


ここからはモノクロへシフト


画像11

一体どこからどこまでがろう文化を始めとする文化性が現れるだろうか?

 

画像12

少なくとも手指の動きのみではない


画像4

必ずしも身体の全てに何かの形で現れるのではないだろうか?


画像12

そして,あなたはどこに視線を向けるのだろうか?


画像3

私がファインダーを通して,その先を見透かそうとした瞬間


画像13

逆に私の中に潜む何かを見透かされてしまった 


画像14

そんな私へ何かの形でメッセージを伝えようとしただろうか?


画像2

そして,愛しくて堪らない,その表情を


画像19

手放したくない,愛情に飢えている私をただ見つめる


画像15

あなたはどこまで見透かしただろうか?


画像16

胸糞さがたっぷりとある感情が私の中に潜んでいるのを
どこまで見えているのだろうか


画像17

そして,その見えたものをどこかへ逃そうとしているんだろう



何ともあれ,初めてのヌード撮影は色々と不思議な経験と新鮮な刺激をもらいました.

そして,被写体との距離感,ライティング,構図などもまだまだ磨いていこう.被写体が何を望んでいるのかを汲み取れるような表現を.と大変猛省してました.

画像18


そして,今回の撮影データを元にソルトプリントにて現像させても良いということで,あれこれと試行してたらコツを掴みつつあるので,色々な意味で気づかせてくれる機会をもらえたんだなと再実感.


いつか来る,その時までに何かを伸ばして備えよう.

そして,被写体であるaiさん,スタッフの高野ぴえろさん,申込前から配慮していただき,感謝でしかないです.

追伸:
aiさん,身体特徴と文化性について機会がありましたらゆっくりと話しましょう.
高野ぴえろさんも,また写真について手話で話すだけではなく何かの機会で一緒に表現やりましょう(図々しい言い方ですみません).




もっとわかりやすく書けるよう努力いたします!ほんの少しだけの応援をお願いいたします!