聞こえないというのはなんだろうか 〜身体特徴と文化性を通して〜
何故,この記事を書き留めようと至ったかというと少々長くなるので,ご承知を.
元々,約2年前にこんなことを考えてて,制作をずっと頭の中に模索し続けていた.(未だに制作に取り掛かれていないのは己の未熟)
それとまた別に密かにずっと疑問に思っていたのが,”どこからどこまで同じ人間でどこから聞こえないという障害と差別するのだろうか?同じ身体を持ち合わせているのにもかかわらず,聞こえないと分かった瞬間,何かの隔たりや距離感を感じてしまう”.
これらの疑問は,元々自分が取り組んでいる触覚刺激を用いたスタートシステムのHaptStarter,毎回何らの形でかかわらせてもらっているxDiversityなどにも繋がっているモチベーションの1つでもある.
であれば,もう1つのアートとして,聞こえないというのは何か?を問いかけるようなものを.同じ身体特徴とろう文化を始めとする文化性の違いの組み合わせで表現するとしたらヌードでしかないのか?と密かに考えていたのである.
だが,ヌードはセンシティブというのもあり,本当にやるべきか?やるとしてもどうやって?と色々な面で不安を感じ,断念すべきかと夢の話のようでどこかで諦めていた部分もあったのは言うまでもない.
そんな時,このTweetが目に入った.
これは申込してみるべきか…?と思いつつも,色々な不安を拭い切れないまま悩んでしまう.一旦,ろう者なので被写体とのコミュニケーションや他の人との配慮などで不安ですが,大丈夫ですか?とお問い合わせてみる,
早速,そんなに時間がかからず,スタッフにも手話が少々使える人もいるので大丈夫ですよと承諾の返事があり,そこでもう腹が決まった.
という長い前置きとして,ここからは何かを掴もうとしたのかを記す.
ここだけでは身体特徴と文化性の組み合わせから生じるものは
まだ見えないだろう
どこから文化性が見えてくるのだろうか?
身体の全てなのか?
それとも,顔と手腕から生じるようなものだろうか?
もしくは,視線で何となく分かるものだろうか?
顔ではなく,手腕のみで分かるものだろうか?
ここからはモノクロへシフト
一体どこからどこまでがろう文化を始めとする文化性が現れるだろうか?
少なくとも手指の動きのみではない
必ずしも身体の全てに何かの形で現れるのではないだろうか?
そして,あなたはどこに視線を向けるのだろうか?
私がファインダーを通して,その先を見透かそうとした瞬間
逆に私の中に潜む何かを見透かされてしまった
そんな私へ何かの形でメッセージを伝えようとしただろうか?
そして,愛しくて堪らない,その表情を
手放したくない,愛情に飢えている私をただ見つめる
あなたはどこまで見透かしただろうか?
胸糞さがたっぷりとある感情が私の中に潜んでいるのを
どこまで見えているのだろうか
そして,その見えたものをどこかへ逃そうとしているんだろう
何ともあれ,初めてのヌード撮影は色々と不思議な経験と新鮮な刺激をもらいました.
そして,被写体との距離感,ライティング,構図などもまだまだ磨いていこう.被写体が何を望んでいるのかを汲み取れるような表現を.と大変猛省してました.
そして,今回の撮影データを元にソルトプリントにて現像させても良いということで,あれこれと試行してたらコツを掴みつつあるので,色々な意味で気づかせてくれる機会をもらえたんだなと再実感.
いつか来る,その時までに何かを伸ばして備えよう.
そして,被写体であるaiさん,スタッフの高野ぴえろさん,申込前から配慮していただき,感謝でしかないです.
追伸:
aiさん,身体特徴と文化性について機会がありましたらゆっくりと話しましょう.
高野ぴえろさんも,また写真について手話で話すだけではなく何かの機会で一緒に表現やりましょう(図々しい言い方ですみません).
もっとわかりやすく書けるよう努力いたします!ほんの少しだけの応援をお願いいたします!