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検索係③高卒ルーキー岡本和真のきらめきを見逃すな。
こんにちは。今回も”検索係”のコーナーで、気になったトピックスについて調べてみました。
岡本一真ほどの高卒ルーキーっていないんじゃないか?ってことです。
現在は、守勢に回ることが多い群馬のチーム状況のなかでサイドバックながら可変ポジションの右サイドを任され、安定感のある守備と闘志あふれる攻撃でチームに欠かせない存在になっています。
岡山戦終了時で出場試合数は8試合。
⚽️8/28日までJ2
— 高校サッカーをもっと!! (@kokosoccermotto) September 5, 2022
高卒ルーキー出場時間
🥇1356分 西久保駿介/千葉←三菱養和Y
🥈1179分 佐野航大/岡山←米子北
🥉1088分 玄理吾/徳島←静岡学園
4⃣901分 岡本一真/群馬←前橋育英
5⃣534分 大和優槻/甲府←柏U18
6⃣498分 松田隼風/水戸←JFAA福島
⏬以下はこちらhttps://t.co/LBqHLibeQj
これを見てみると全国の高卒ルーキーが試合に出場することの難しさと同時に岡本一真選手のプレーが認められ起用され続けていることがどれほど大変なことかわかるのではないかと思います。
特に彼の場合は、体力消耗の激しいサイドバックのポジションで、ミスをすれば直接的に失点へ直結してしまうこともあることから、より安定したプレーが求められます。
岡本一真選手の活躍に目が離せない、離してはいけないのです。
こそでひとつの疑問が。ザスパクサツ群馬で過去活躍した高卒ルーキーはどんな選手だったのか。顕著な活躍を見せた選手たちを紹介したいと思います。
横山翔平(2012年)19試合 1得点
横山翔平選手は、前橋育英高出身のMFで、
当時はサイドミッドフィルダーとして試合に出場していましたが、
セカンドトップもこなす攻撃的なプレーヤーでした。
ザスパクサツ群馬には、4年間在籍し、その後町田ゼルビアから海外のリーグへ旅立ちました。
その経緯がつづられているので、ぜひご覧ください。
横山翔平選手の全3話です
— 菊池康平 (@koheikikuchi753) July 12, 2019
現在クロアチア1部リーグのNKヴァラジュディンでレギュラー目指して日々の練習に励んでいます!
スパイクのサプライヤーを探してるとのことですので、メーカーの皆様からの連絡待っています👍https://t.co/ogK2DQk4zrhttps://t.co/L6yZJmGVy9https://t.co/QNFypCdkSS pic.twitter.com/eTtiPY6Y5x
横山翔平選手のベストゲームは2013年8月23日に行われた第31節愛媛戦@正田スタだと思っています。
この試合は、映像がなかったのですが、横山翔平選手のドリブルからのゴール(だったような気がする)。伝説の平繫龍一選手のドライブシュートのアシストも横山選手。ロングボールを競ってヘディングのこぼれ球を30mほどの距離から振り抜き得点したものでした。(脚色されている部分があるかも)
クロアチア2部NK Varazdinの横山翔平選手とカターレ富山に移籍が決まった白石智之選手のトレーニングでした。不思議な巡り合わせで2011年に桐生第一が初めて選手権に出場した時の前橋育英のエースNo.10と14のサポートをするのは何かの運命なのでしょう(笑) pic.twitter.com/wjwwibuMWd
— 大曽根聡~理学療法士~ (@satoshibluebird) December 16, 2018
前橋育英高時代、横山翔平選手と白石智之選手は同期でした。ちなみに小牟田洋佑選手、川岸祐輔さんの1個下です。
佐藤穣(2009年) 21試合 0得点
こちらも前橋育英高出身の選手で、ポジションはサイドMFです。
今年度の前橋育英高はインターハイを制し、2回目の優勝となりました。
1回目の優勝は、佐藤穣さんが高校3年次のチームでした。
冬の選手権もベスト4までコマを進め、準決勝の相手が「大迫ハンパねぇ~」を生んだ高校サッカーを席巻した大迫勇也のいる鹿児島城西高。3-5の激闘でした。
U-18日本代表合宿に呼ばれるほど、注目されているプレーヤーでした。
そんなチームで主力として活躍していた佐藤穣選手は、シーズン前半戦こそ試合に絡むことは少なかったものの、後半では存在感を増して得点に絡むアシストを見ることもできました。彼のザスパ草津でのベストゲームは09年シーズン最終節栃木戦です。クロスバー直撃のミドルシュート、柔らかいアシストも見ものです。
残念ながらザスパ草津を一年で退団してしまい、海外へ渡ることを選択した佐藤穣選手でしたが、それはチームにいたベテラン選手の影響もあり、自らの成長のための決断であったという趣旨の記事を見たことがあります。おそらく09年シーズン背番号10を背負っていた廣山望選手から感銘を受けたのではないかと思います。
その後、彼はメキシコに旅立つことになります。
そして海外を転々としながら、UELやACLなどの国際大会も経験することになる佐藤穣選手。サッカー選手の人生とは、サッカーを通じた旅ですね。
そんな佐藤穣選手の魅力が詰まったプレー集をInstagramで見つけたのでぜひ、ご覧ください。
後藤涼(2005年) 16試合 0得点
最後は後藤涼選手。前橋育英高出身のMFです。
最初は、サテライトチームの選手として入団し、草津町内の温泉施設で働きながらサッカーの練習に取り組んでいたそうです。
トップチームに昇格するとJ2で高卒ルーキーイヤーに16試合に出場しました。最初はサイドMFとして出場が多かったようですが、私がザスパ草津の試合を観始めたころからは、セカンドトップのようなポジションでポストプレーヤーの近くを回りながら抜け出しや周りとの連携を使って得点を狙う選手だったように思います。
2008年には12得点を挙げて、ザスパ草津のチーム得点王に輝きました。
2009年途中からサポーターをしている私としては、この試合が後藤涼さんが一番輝いた試合だと思っています。