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友人から手紙をもらった



 長い春休みが終わって大学2年生になり、やっと授業が始まった。

 1限の授業を終え、東京駅の丸善に寄って本を買い、駅のホームで久しぶりに祖母に電話をし、電車に乗った。早速トートバックから、丸善で買った又吉の新作エッセイ集を取り出す。読みにくい感じがするので、まず帯を取り本に挟む。カバーを外して装丁を眺めてみたりする。

 読み始めて数分、なんだかうとうとし始めた。当たり前だと思う。6時に起きて、満員電車の中座れずに1時間半立ちっぱなしだったから。すぐさま本を閉じて、目を瞑る。

 
*   *   *


 目が覚めると、一瞬自分が今どこにいるのか分からず焦った。夢も見ずに、割と深く眠っていたらしい。気がつくと東戸塚に着いていた。一番後ろの車両に乗っていたからいつもと景色が違く、緑が生い茂っていた。写真を撮ろうと思ったが、電車の中でシャッター音が鳴り響くのはいくら人が少ないとはいえ嫌だった。無音カメラで写真を撮る。なんか思ってたのと違う。

 隣を見ると坂本龍一くらい綺麗な白髪のおじさんが本を読んでいた。坂本龍一が好きな友達のこと思い出して、同時に、今日の1限の授業を思い出した。勝手に女の先生だと思いこんでたけど、男の先生だったな。結構優しめだったな。


 そういえば。

 便箋が余りすぎてるらしい友人から、授業の前に手紙をもらったことを思い出した。トートバッグからクリアファイルを取り出し、もらった手紙を出す。


 手紙を読む前の、このドキドキする気持ちはなんなのだろう。手紙の中にあるのはただの文字で、プレゼントを買うにはお金がかかるけど手紙を書くのにお金はほとんどかからない。なのに貰い手をこんなにも嬉しい気持ちにさせるのってすごい。みんなもっと手紙を書いた方がいいと思う。
 私は高校の頃友達とよく手紙を渡し合っていた。クラスが違う私たちは、学校で話す時間がほぼなかったから、話したいことがあるとき、喧嘩したとき、相手が落ち込んでるとき、ルーズリーフに言いたいことを全て託していた。


 綺麗に折られた便箋を丁寧に開ける。
 「折り方覚えてるかな〜って思ったんだけど、全然折れた!」と嬉しそうにしていた友人の顔を思い出す。私は特別なとき以外はルーズリーフを二つに折り曲げて渡したことくらいしかなかったので、こういう技術があるんだなと少し感心してしまった。

 いろいろな想像をしていた。友人は「たいしたこと書いていない」と言っていたが、「〇〇ちゃんは、こういうところもあるけどでもこんなところもあって〜」といった具合で、私に関することを書いているんだとばかり思っていた。
 しかし開けてみるとそこには、久しぶりに書いたので文字が全然書けないという話と、よくわからない光り方のするペンとの思い出についての話だけで、私に関しては一切書かれていなかった。

 なんだよ。なんだ、なんだよ。
 よくわからない光り方のするペンで書かれた、よくわからない光り方のするペンのエピソードはちょっと良かったけど、思っていたのとはちょっと違った。


 だけど、手紙について、もう一度考えてみる。

 私は、手紙は相手に関することだけを書かなければいけないと勝手に決めつけていたのかもしれない。そんなルールはないのに。最近私も、誰かに手紙を書きたいと思い、便箋を買ったところだった。だけど、いざ文章を考えてみるとなると、何を書けばいいかわからず止まってしまっていた。
 もしかしたら、自分に関係のない話をされるのって結構嬉しいかもしれない、と思った。その友人が、一生懸命喋っているのが思い浮かぶ。好きな人が、私と過ごしていない時間、私が関係ない話までも共有してくれるということは、よく考えればすごいことのように思える。話したとしても、私に関係のない話ということに変わりはないのに、なんだかとても嬉しい。



 そんなことを考えていたら、鎌倉駅に着いた。八幡宮の段葛は、もう葉桜になっていた。昨日、北海道出身のサークルの先輩が、北海道は4月の末にようやく桜が咲くと教えてくれた。飼い主に抱き抱えられたコーギーと目が合う。


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