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60年分とそれから#6

「精一杯のちぢこまり」

 「カート君!」
 会場を出てお手洗いへと通じる白い絨毯床の廊下で、カートは椅子に体育座りをしてうずくまっていた。そんなに広い建物ではない。関係のない部屋に入れるようにはなっていないし、俺はすぐにカートを見つけることが出来た。というより、ここにいるであろうことは探す前から見当がついていた。そして見つけたら先ず最初にすることも決めていた。これまでずっと考えてきたこと。そして今日俺が初っ端から大コケをしてしまったことのリカバリーをするためにはどうしなければならないのかを。
「ごめんね!びっくりさせちゃって」
 それはつまり謝罪だ。これが何よりも先にしなければいけないこと。そしてこれは俺が成長するための足がかりでもある。
 俺たちの複雑な関係に対して、何が最良の付き合い方なのかずっと考えてきた。彼が俺を認めてくれるために俺はどうやって信頼を得なければならないのかを。
 最初は楽しく考えようと思ったけど、それが出来ないことに辛くなるだけでなんの生産性もなかったので俺らしくネガティヴに、ダメなことから考えて行った。やっぱり良くないことやってはいけないことばかりを考えて自分を律しすぎる人は一定数いるのだ。しかしそれは人ととして悪いことじゃ無い。ハンディキャップにはならないし、いや逆に。だからといって特性なんだと開き直ってそれをアドバンテージにできることも一切ない。陰も陽も凹も凸も無いただの属性だ。
 人はつい、自分に特別性を求めてしまう生き物だと思う。悲観論者はリアリストに見えて実は人一倍に物事にディティールを求めていて、実際が理想に伴わないことで人より悲しみを受信してしまう故、悲観する。逆にこだわりのない人は無関心で当たり前をなんてことのない普通として捉えていられるからチクチクと目につくことなく、ある種無知でいられるのだ。もし人種をこのどちら寄りかで分かつならば、圧倒的に俺は悲観論者だった。自分はただの一般人で一切特別じゃ無い、そんな生まれる前から分かり切っていることに自覚しては傷ついていたような痛い奴だった。
 だったと言うのはもちろん脱却済だと言う事で、それはユキエちゃんが最強の哲学者だったからという他にない。彼女は質問攻めのプロだったと言えば良いのだろうか、俺が理屈っぽく僻んだりすると絶対に「なんで?」と聞いてくる人で、自分が納得するまでとにかくそれだけを繰り返して俺を追い込んできた。初めての時にすかさずソクラテスか。と言ったらユキエちゃんはなにそれ。と訝しんでいたが、いやいやこちらからすれば哲学の教科書に載っているような産婆術を素で使ってくる人なんてそれこそ特別すぎるよと言いたかった。しかしそのおかげで、俺は悲観論者であることを辞めたのだ。
 俺が写真家になろうとする事を妥協してとりあえず配送業に腰を落ち着けた時、彼女に「申し訳ない」と謝ったことがある。するとユキエちゃんは「なんで謝るの?」と始めた。ここからは華麗なネガティヴブレイクの一部始終だ。
「配送屋になったので」
「配送屋のどこがだめなの」
「え、あんまりお金もらえないし、忙しいし、それになんか、負けた気がして」
「収入低くても私も働いてるし、私だって忙しいしなんにせよ忙しくなる予定だったんじゃない?なんでそれがダメなのよ?それからすごく立派な仕事よ、配送の人はね。若くても家族を養ってる人がたくさんいるんだから、辛い仕事の時も家族のために歯を食いしばるのよ、それに配送をする人たちがいなかったらこの世界は繋がってないわけでしょ、それってすごいじゃない!それにコウちゃんが逞しくなったらそれも素敵!なんで負けた気がしちゃうのよ!なんで?」
「俺は、俺は写真家になれなかったのが、嫌なのかも」
「なれるよ!配送することで写真家にはならなくなっちゃうの?」
「いや」
「じゃあなんでなれないの?」
「なれるなぁ、なんでダメだったんだろう」
「年取る分良いのが撮れるカモね、楽しみ」
「でも、もうなれるはずだったのに、また遠のいたんだ。もしかしたらこのままこっちが忙しくて、悔しい憂鬱なことに慣れてしまって、心の五感がどんどん鈍ってなんとなくフェードアウトしちゃうかもしれない」
「私のこといつも撮ってくれるじゃない!あれももうしてくれなくなっちゃうの?」
「あ、いや、撮りたい」
「でしょ!」
「ううんでも」
「なに?」
「ほんとうに大丈夫かな」
「なんで?」
「なんでか、わからないや」
「ね、ね、わからないことは、わからないのよ人間には。○も×もわからないも、ちゃんとした答えなの。どっちかにしなくていいの。わからないことは、わからないのよ。それはなんにも×じゃないんじゃない?」
「わからないは×じゃない」
「じゃない?」
「う〜ん、なんでダメだと思ったんだろうなぁ俺は」

 こう言った具合に(終始笑顔で無邪気に)、「なんで?」攻撃を繰り出される毎に自問自答をすることになり、結局は「たしかに、なぜ俺はダメだと思っていたんだろうか」と分からなくなってしまうのだ。俺が確たる理由なく不安を自傷行為で埋めようとすることに敏感に反応していた、という事だろうか。ユキエちゃんは現実逃避的に自分を誤魔化していた生き方から引きずり出くれたのだった。ユキエちゃんに報いる為にも、俺はこの進化を無駄にしてはならない。ユキエちゃんの「なんで」攻撃に頼らず自分自身で温い僻みの壺から抜け出して戦いに出ることが、つまるところの俺の成長なのだ。そしてカートと向き合うためにダメなことを突き詰めて一番大きく決めたこととは、「人間と人間として話すこと」。訳がわからない奴は鼻で笑えばいい。これは人生の指標にしたいくらい大切な事だと思っている。特に歳をとってしまった俺たちができないことだから。年齢も知識も関係なく、人間同士であることを忘れないこと。大人と子供だとその概念につい相手をはめたがるがそれが一番してはいけないことで、この意義のない印象誤解が青春時代の少年を苦しめ、彼らが自分の額縁を打ち壊すことの邪魔をするんだ。カートを始めこれからそれを迎える彼らがあんな思いをしない為に、なにかと先立ちやすい俺たちは肝に銘じなくちゃだめなんだ。カートに開口一番謝罪をしたのは、今これを具体的に行動して見せる時もっとも適切だと思ったからだ。なにより人として悪いことをしたらまずごめんなさいと言うのは、全人類の常識だろう。
「嫌な気持ちにさせるつもりはなかったんだけど、覚えてくれているか不安でさ」
 俺がそう言うと、カートはばつの悪そうな顔になったが、しかしなにも返答することはなかった。
「本当にごめんなさい」
 それからもう一つ。ここからが本当の勝負
「話しかけたのはさ。お願い事があるからなんだよ」
「...やだ」
 まだ言っていないのにまた嫌だと言われてしまった。ええい、暴れ馬め。俺は未だ椅子に座るカートに対して左横から立ち膝になり目線の高さを合わせてから言った。
「違うんだ、俺はカートのお父さんになろうと思ってないんだよ」
「えっ」
 その「えっ」は人生で聞いた中で最も早口で最も短い「えっ」だった。意外すぎてほとんど体が追い付かずに声に出てしまったんだろう。やっとこっちを見てくれたな、カート
「お父さんにして欲しいんじゃなくて、俺にカートの写真を撮らせて欲しいんだよ」
「え?」
 今度の「え?」はさっきとは真裏に属する重たくてどっと暗い「え?」だった。もしかして俺は何か大切な順番をすっ飛ばしたのか?これはまるで言いたいことが伝わってないどころか全然良くない受け取り方をされてしまってないだろうか。こんなに眉間に皺を寄せるのか小学低学年って。まるで緑のキャンディがあるから青リンゴ味だと思って口に放り込んだらアボカド味だった、みたいな時の顔だ。緊急事態だろう。そうだこれは確実に緊急事態だ。
「カート君が考えてる事を、僕は覗き見ることはできない。できないけど、恐らくだが僕は、君のその、考えてることが分かったなら違うよと訂正する、だろう」
 大焦りで俺は訂正した。一瞬でこれ以上会話する事が叶わなくなるところだった。
「つまりね、僕はカート、君はいらない?つけなくてもいいよね?突然不安になっちゃったよ、こういうのはタイミングが難しいんだいきなりタメ口になると馴れ馴れしいなってなっちゃうしちょっと遅いとギクシャクしちゃうというか、あ。こいつ今タメ口になったなみたいな短い間があってあ。こいつ今タメ口になったなって思ったなって思っちゃうからさ、なんとなく双方を避ける形で上手に切り替えて行かなきゃいけないわけでさ。つまり、僕はカートと呼んでいい?あ、僕の名前はコウタローだよ、漢字は難しいから、いいんだコウタローとカタカナで思い浮かべてくれれば」
 回答はない
「いや、俺の名前は覚えてたんだった。ごめん。えっと、カート、。」
 無し
「カート。僕はね、君と友達になろうと思って話しかけたんだよ」
 ようやく俺が言いたい事をカートに告白すると、カートはイスに座ったまま首を斜めにこちらに伸ばしてきた。驚いた顔はやっと子供らしい表情になっていた。いや、子供らしいというのは世論印象的な事じゃなく年齢特有の外見を表す意味としてで決め事を破った使い方ではない。
「友達?オマエと?」
 オマエと言われるのはやっぱり引っかかるが、誰にも分け隔てなく接していると思えば嬉しいものだ。と、せっかくいなしてみせたが
「やだよ」
 と、フレンド申請を断られてしまった。しかも当たり前だろと言わんばかりの言い方にが非常に深い切創を作る。俺の戦いは、これからだった。

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