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60年分とそれから#7

「生存戦略」

 こんなはずじゃなかった。父親ではなく友達になりたいと言った俺に対してカートが一気にイメージを変えて、段々と心の扉を開けてくれて行くはずだったのに、カートは普通の顔で「嫌だ」と言った
「どうして?」
 うちひしがれた胸を必死に押さえて俺はカートに聞いて見せた。友達ですら居たくないなんて会話もしていないのにどこでそんなに嫌われてしまったんだろうか
「敵だから」
「敵じゃないよ、僕は味方だよ」
「嘘だ」
「僕は嘘はつかないよ」
「だって最初は写真とらせてって言ったじゃん」
「あれも本当なんだ、カート、真実っていうのはたくさんあるんだよ」
「わかんないよ」
 なかなかどこから切り出していいのかわからない。カートはまず俺と話すこと自体を拒んでいるようにも見えた。何か興味を持ってもらえることはないか
「実はさ、僕は写真を撮るカメラマンなんだ」
 これは半分嘘だ
「カメラマン?」
「ちょっと待っててね」
 カメラマンという聞き慣れない言葉が新鮮だったのだろう、早速カートは俺の話を聞き入れてくれた。すかさず俺はジャケットの胸ポケットから携帯を取り出して何枚か自分の撮った写真を選んだ。ちょうど出版社に持っていくポートフォリオを作ろうと思って昔のもUSBからデータを吸い出していた。
「綺麗!」
「これ好き?これは俺が高校生の時に撮ったんだよ。お正月のさ、年越した日に昇る太陽を何て言うか知ってる?」
「初日の出!」
「そう!カートは見たことあるかな」
「あるよ、おじいちゃんとおばあちゃんがね、いっつも見るんだよって山のてっぺんまで連れてった」
「すごいな、自分で歩いたの?」
「おんぶ」
「そうかそうか。そりゃそうだだって何歳の時?」
「んー、2才」
「だよな。そりゃあ自分じゃ山なんか登れないわけだ。その時の初日の出綺麗だった?」
「綺麗だった!でも寒かった」
「あー!そうか寒いよな、おじいちゃん達もよく連れていったなあ」
 自分の撮った写真が、こんな時に助けてくれるなんて思ってもみなかった。しかもそのカートが見つけた写真はまだ一眼レフを手に入れていなくて、デジカメで撮った写真だ。中学校の通学路で俺は毎日河川敷の土手を真っ直ぐと歩いていた。河川敷は開けているし水量もたいしたことないので、部活もやっていなかった俺は日がくれるまでよくそこをぶらついていた。その時に撮った写真の一枚だったはずだ。ポートフォリオからはまず除外するような写真なのにどうして入れていたのだろうか。懐かしい、写真を毎日撮るようになったのはこの頃だった気がする。
 学校が始まる前の早朝と終わった放課後、デジカメを持ってなるべく人の居ないたった一人になれる場所を毎日探し歩いた。構図も何も考えずに自分の情緒が反応するものを最も好きな画でカメラに納め続けた。あの頃は写真を残すことより、シャッターを切ることそのものが楽しくて仕方なかった。今なら取れた写真が評価できるものかが必ず最初によぎる。プロになるとはそういうものだと自分に言い聞かせてきたが。カメラマンとして撮ったいくつかの写真ではなく学生のころに撮った写真に感動しているカートを見て、本当にそうだったのだろうかと俺は思った。
「ママ」
 俺のフォルダをスクロールしていたカートが一枚の写真を見つけて言った。たしかにユキエちゃんの写真だった。一人暮らしの俺の部屋に敷き詰められた雑多な観葉植物を片っ端から世話をするユキエちゃんが映っている。カートはその写真以外はもう見ずに、新鮮な目でじっと見ていた。俺がユキエちゃんを撮った最初の写真であり、カメラを再び手に取るきっかけとなった写真。楽しそうに慈しみの表情を浮かべているユキエちゃんをベランダから夏の眩しい日差しがバックライトになって照らしている。ユキエちゃんは世界で最も画になる女性なのだ。カートが見入るのも無理はない
「そうだよ、ユキエちゃん」
「ユキエちゃんじゃないよ、ママ」
「ママの名前知らないの?」
「知ってるけどやだ!」
「ええ」
「お前がユキエちゃんって呼んじゃだめ」
「どうして?」
「...」
 カートはまた黙りこくってしまった。降り出しにもどってしまったのだろうか、せっかく一緒に話せる話題を見つけられたかと思ったのに。しかし、カートの表情はこれまでの何かを頑なに拒むような表情とは違ったものにも見えた。なにか、未知のものに対して混乱しているような不安を抱えている表情だった。
「カートは」
 俺がしゃべり出すと、カートがゆっくりと振り向く
「好きな人とかいるのかな?」
 何となく、聞いて見たくなった質問だった。すると、カートはもっと困った顔をして唸った
「好きな人?」
「クラスの女の子とかさ」
「みんな好きだよ」
「そうじゃなくてさ、こう、ドキドキする、みたいな」
「ドキドキ?」
「そう。キュンとするともいうな。何て言うか。そういうふうに僕もなったことないからうまく説明できないんだけどでも、人によるというか、僕はね?そうだな腹のそこからみぞおちにかけてぐわーっとなんか、くるんだけどさ」
「わかんないよ」
 やっぱりなあ。と俺は心の中で呟いた。何となくそんな気がした。いや今のは何割か俺の口下手が要因だけど、今の子供達がどれくらいの歳でどれくらい進んでいるものなのかは分からないにしろカートはまだ恋というものに触れていないのかも知れない。なんならカートは同年齢の中でも遅い方なのでは?ただでさえ親の恋愛沙汰なんて理解しがたいものなのに、この年で自信の経験も浅くてなんて、たしかに土俵に立ちようがない。俺は自己中心的に受け入れてもらえない現状をそのまま受け取ってただため息をついている馬鹿野郎だったのだろうか。ここから彼を解きほぐしていく必要があるのかもなと思った。
「気持ち悪いかな、わからないの」
「...うん」
「じゃあさ」
「うん」
「友達の中でそんな話をしたりしないかい?」
「男と女?」
「こだわりはないけど、まあそうかな」
「俺がママを好きなのは違うの?」
「好きは好きでもさ、種類があるんだよ、多分ね」
「カイセイ!カイセイはそうだよ」
「お、なになにカイセイは誰が好きなの」
「カイセイはミエコ先生が好き」
「おお、先生かあ。どんなふうに好きなの?」
「そんなの知らない。でも好きだっていってた」
「そっか。カイセイはミエコ先生にドキドキしてたのかな?」
「んー、」
「例えば、先生の前だと赤くなったりとか」
「赤くならないけど、先生がくるとすぐした向いて喋らなくなるし、あと何でもかんでも先生に見せにいってた」
 顔も知らぬカイセイ君に恥をかかせている気がしてとても申し訳ない気持ちだけど、いい教材を手にすることができた。目標は俺とユキエちゃんの話をできるようになることだ。
「他には?」
 万全を期すために、俺はカートからより多くヒントを得る作戦を実行した。
 何を隠そう俺はRPGでは心行くまで経験値あげをしサブクエストをしこたまクリアしてからラスボスに挑むタイプなのである。

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