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信仰を育む科学 第9章
アブラハムとサラが不信仰から生まれたイシュマエルに関わる全ての計画を断ち切り、ただ神の言葉のみに依存する信仰に立ち戻ったとき、約束された真の子供イサクが生まれました。
サライの声に耳を傾けた(創世記16:1)アブラムは、神の言葉への厳密な誠実さ、真の信仰から逸れてしまいました。今や彼はただ神の言葉のみに戻り、真の信仰に立ったため、彼の信仰が義と見なされる前に試されなければなりませんでした。
彼はイシュマエルに対して神の言葉のみを信頼し、真の約束の子であるイサクを得ました。そして今、イサクを得た後、彼がイサクに対しても神の言葉のみを信頼するかどうかが問われます。
そこで、神はアブラハムに言いました。「今、あなたの息子、あなたの唯一の息子イサクを連れて、モリヤの地へ行き、私が告げる一つの山で彼を燔祭として捧げなさい」。
アブラハムは、ただ神の言葉を信じてイサクを受け取りました。イサクだけが神の言葉によって約束された子供でした。イサクが生まれた後、神はその言葉を「イサクにあなたの子孫が呼ばれる」と宣言して確認しました(創世記21:12)。そして今、神の言葉がやってきて、「あなたの息子、あなたの唯一の息子イサクを燔祭として捧げなさい」と言います。
神はアブラハムに、あなたの子孫は天の星のように数多くなるだろうと宣言しました。「あなたの子孫によって地の全ての国民が祝福される」、そして「イサクにあなたの子孫が呼ばれる」と言いました。しかし今、「イサクを燔祭として捧げなさい」と言います。
しかし、もしイサクが燔祭として捧げられ、焼き尽くされたら、彼に関する約束はどうなるでしょうか?イサクが焼き尽くされたら、全ての国が彼によって祝福されるという約束はどうなるでしょうか?また、あなたの子孫が天の星のように数多くなるという約束はどうなるでしょうか?それでもなお、神の言葉は「イサクを燔祭として捧げなさい」と言います。アブラハムはイシュマエルに対して神の言葉を信頼しましたが、これはイサクに対して神の言葉を信頼する以上のことです。それは、神の言葉に対してさえ神の言葉を信頼することです!
アブラハムは、希望を超えて希望を持ち続けました。神は、「あなたの子孫は天の星のようになる」、「イサクにあなたの子孫が呼ばれる」と言いました。そして、「イサクを燔祭として捧げなさい」とも言いました。アブラハムは、神がこれらの「矛盾する」言葉を調和させるべきだとは主張しませんでした。彼にとって、それが全て神の言葉であることを知っていることが全てでした。それを知っていれば、彼はその言葉を信頼し、その言葉に従い、もし説明が必要であれば神に任せることができました。
アブラハムは言いました。「神はイサクを燔祭として捧げよと言われました。それを私は行います。神は『イサクにあなたの子孫が呼ばれる』と言われました。また、あなたの子孫は天の星のようになると言われました。私は一度、約束に干渉し、それを妨げましたが、私は自分の行いを全て放棄し、ただ言葉のみに立ち戻りました。そのとき、神は奇跡によって約束の子イサクを私に与えてくれました。今、彼はイサクを燔祭として捧げよと言います。私はそれを行います。最初に神が奇跡で彼を与えてくださったので、今度は神が奇跡で彼をよみがえらせてくださるでしょう。彼が燔祭として捧げられたとき、彼は死んでいるでしょう。しかし、彼を蘇らせる奇跡は、私たちの肉体が死んだ状態から彼を生んだ奇跡と同じです。神はイサクを死から蘇らせることができ、そうしてくださるでしょう。主を賛美します!」
それが決まった。彼は立ち上がり、召使いとイサクを連れて三日間の旅をしました。そして三日目に彼は「遠くにその場所が見えた」とき、アブラハムは召使いに言いました。「ここで待っていなさい。私は少年と共に行き、礼拝をし、戻ってきます」(創世記22:5)。誰が行くのか?「私と少年が行く」と。では、誰が戻ってくるのか?「私と少年が行き、戻ってくる」と。アブラハムは、イサクが彼と共に戻ってくることを確信していました。
アブラハムは、イサクを燔祭として捧げ、イサクが灰の中から蘇り、彼と共に戻ると信じていました。神の言葉が「イサクにあなたの子孫が呼ばれる」と、「あなたの子孫は天の星のように数多くなる」と出されたからです。そして、アブラハムは、その言葉が決して失敗しないことを信頼しました(ヘブライ11:17-19)。
これが信仰です。そしてこのように「アブラハムは神を信じ、それは彼に義と見なされた」(ヤコブ2:23)。しかしさらに重要なことに、「これは彼のためだけに書かれたのではなく、私たちのためにも書かれたのです。もし私たちが、主イエスを死者の中からよみがえらせた神を信じるなら、私たちにも義と見なされるのです」(ローマ4:23-25)。
神の言葉のみを信頼すること。神の言葉のみを依存すること。そして、神の言葉に対してさえも神の言葉を信頼すること—これが信仰です。これが神の義をもたらす信仰です。
これが信仰を行使するということです。これが「聖書が私たちに信仰を行使することの必要性を促すときの意味」です。そして「信仰を行使する方法を理解する」こと、これが福音の科学です。そして福音の科学はすべての科学の中の科学です。
A.T.ジョーンズ
『アドベント・レビュー・アンド・サバス・ヘラルド』第76巻第5号 1899年1月31日