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【海業のススメ】和歌山県太地町~逆境をばねに、クジラとすごせる海

本州でも最南端に位置する人口3000人の小さな漁村が、今全国で注目されています。その町こそが、和歌山県太地(たいじ)町。この町には、マンホールや看板、モニュメントといったいたるところクジラがいます。それもそのはず、この町はチームで漁をする古式捕鯨の発祥の地。現在では日本に5港しかない捕鯨基地がある場所なのです。太地町の捕鯨の歴史は古く、江戸時代までさかのぼります。しかも関ヶ原の戦いが明けた1606年からというのだから驚きです。そんな勇猛果敢なDNAをもった小さな漁村が、日本の水産業に新たな風を吹かせようとしています。


太地町漁協の前にある飛鳥神社

天然の入り江や熊野灘に面した太地町は、クジラばかりではなく、マグロの延縄や定置網などもできる良漁場。日本で12港しかない海業振興モデル地区(※1)として選ばれたり、水産業の活性化を目指す浜プラン(※2)の参考事例地区として選ばれたり、地域資源を観光資源として取り組む渚泊(※3)の取組事例として選ばれたりと今後の漁村のモデルとして取り上げられているのです。とはいえ、これまでの道のりは決して順風満帆だったわけではありませんでした。国際的な捕鯨全面禁止や魚価の低迷、地域の過疎化など数々の難問が降りかかり、一度は自己破産にまで追いやられたのでした。でもこの苦境が町を1つしたのでした。

「日本一の(漁業)組合にしたんるや、その強い思いしかなかったですね」

そう当時を語るのは、太地町漁業協同組合の貝専務理事。なんとか組合員(漁師)を守らなければ。その思いに、時には鹿児島の江口漁協が運営する蓬莱館(ほうらいかん)を視察したり、東京の大学の先生にお話を伺ったりと、漁協の復活に奔走したのでした。もちろん本業の魚の水揚げで収益を上げたいところ。とはいえ、その頃には漁獲量が減っていたり魚価が下がっていたりと思うようにはいかない状況となっていたのでした。そこで目を付けたのが漁協直営のスーパー。売上、経費、設備を徹底的に見直すとまだまだ改善の余地があることを発見したのでした。不要なものを削除して町や地域の協力をえて収益化を図っていったのです。さらに町と交渉して、道の駅の運営も着手。出荷で余ってしまった魚も定置網の組合が仲買人として入札して一度買い取り、道の駅で直販したのでした。そうして今では県内でも有数な立派な道の駅となっていったのです。マイナスなことも視野に入れて設備を最小限にとどめたり、小さな町の地域資源をフル活用したりと、事業を1つまた1つと増やしていったのです。すべては「太地町の漁師が続けられるように何とかする」という強い思いがあればこそ。そんな太地町のために奔走する貝専務の姿には、大学の先生や経営コンサルなど地域の内外からたくさんの応援者も駆けつけるようになっていき、今や日本中から注目される漁村と成長したのでした。


道の駅たいじ
道の駅で売っているくじらのカレー

そんな復活街道まっしぐらの太地町で今一番力を注いでいるのが、「森浦湾くじらの海」です。太地町の北側に位置する森浦湾の入り江をまるまる1カ所仕切り網で囲ってマリンレジャーを楽しめるようにしたのです。それがそんじゃそこらのイケスのレベルじゃないんです。湖1個分ともいえるほど大きさ。そんなに広大な敷地にイルカやクジラが放し飼いになっているのです。しかもそのクジラたちに触れあうことができるように海水浴場となっていたり、シーカヤックやSUP、釣りができたりとクジラと共に遊べる一大レジャーになっているのです。このくじらの海はまだまだ発展途上らしく、クジラと共に遊べる巨大な海の遊園地が生まれるそうです。


くじらの海のイルカたち

巨大な「水産業の衰退」という荒波に、持ち前のチーム力と勇敢なDNAで果敢に挑む太地町の姿は、また新たな歴史を作ってくれるでしょう。

※1、海業振興モデル地区とは、海や漁村の地域資源の価値や魅力を活用する事業である海業において、先進的な取り組みをしているモデルとなる地区。2023年3月8日に水産庁から発表された。
※2、水産庁が進める施策。地域の漁業所得が5年間で1割以上アップすることを目標とし、それを実現するための収入向上の取組やコスト削減の取組などを、地域が整理しプランを作成していく。
※3、漁村地域における滞在型旅行のこと。漁村の持つ地域資源を活用して観光資源として地域の収益化を図る。農泊の漁村版。

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