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第13話 『笑顔の行方』

奴隷の子が
あんな素敵な笑顔をするだなんて

これがその時の正直な私の感想です。

僕は貴族階級でも奴隷階級でも差別なく接していたつもりでした。
でも、それは頭の中で理解していることで、
潜在意識の中ではしっかり差別していたことを証明した感情でした。

そんな見かけだけの中身のない小さい人間にとっては、
その笑顔はまぶしすぎました。

僕は
手を振り返えすこともできた。
今からだって、引き返すこともできた。
そこにある王冠だって全部買えた。
よしんば、彼女だって買えた。

でも、何もできませんでした。
彼女の笑顔の行方を
正面から受け止める自信がありませんでした。

そんな自分が
悔しくて悔しくて…


目が覚めたときには真夜中でした
「なんであんな笑顔ができるんだろう」
また同じ質問の繰り返し。
この1日で何百回この質問を投げかけたのだろう。

「だって…人間じゃん」

答えはびっくりするほどあっけなく見つかりました。
至って簡単でシンプルなものでした。

だって、人間だもん

楽しいことがあれば笑うし
辛いことがあれば苦しいし
そんなの当たり前。
奴隷の人は笑える人生は送れないはず
という僕の中の勝手な常識が壁を作っていただけでした。

誰だって笑顔はもっている。
誰だって笑顔を作れる。
誰だって自分の未来を思い描くこともできる。
誰だって夢を叶えることもできる。

そう思いました。

小さい頃からの僕の夢は
『海賊になりたい』
でした。

国際法でガチガチに取り決めが決まってる
世界の7割をしめる海
本来、
誰のものでも、
どの国のものでもない、
みんなに平等にある海を
縦横無尽に渡り歩き
智恵と経験で自分の信じる道を進み、
国も身分も関係なく世界中を海で一つに繋ぐ

そんな掛橋みたいな『海賊』
そんな人に僕はなりたい
と思っていました。

この夢あきらめなくてもいいんじゃないか?
バカげた夢だろうと叶えることができれば
「自分にはできないよ」
とあきらめかけている人に
力になれるような気がする。

もしそうであれば
僕が夢を追いかけることにも
別にありなのかな?

そんなことを考えながら、1997年9月6日
僕はインドをたちました。

帰りの飛行機で、
久しぶりに新聞を見ました。

『マザーテレサ死去』
の見出し

あの『笑顔』に出会ったまさにその日に
マザーテレサが亡くなった?

あの『笑顔』は、
スラム街を探し回ったけど会えなかった僕への
マザーテレサの思し召しではないかと
自然に受け入れてしました。

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