第17回 指揮権と指揮系統、そして責任(中編) —指揮系統—


雷のような音が続く中でラミジはしだいに意識を取り戻し始めていた・・・同時に嗅覚も戻ってきた。硝煙が鼻をつくとおもったとき、『ミスター・ラミジ、ミスター・ラミジ!』と自分を呼ぶ声に気づいた・・・『なんだ?・・・どうしたんだ?』『とんでもないことになりました。みんな死にました・・・』『落ち着け、誰がお前をここによこしたんだ?』『掌帆長(ボースン)です。今ではあなたがこの艦の指揮官だといっています』  (山形欣哉/田中航訳)

これは『ラミジ艦長物語』の第1巻『イタリアの海』の冒頭の場面です。1796年9月、ラミジはこのとき英国海軍の28門フリゲート艦シベラの三等海尉でした。つまり序列からいったら艦長、副長、2等海尉の次、という席次です。同じフリゲート艦でも一番小さな6等級艦の一番の下っ端海尉という身分で、普通なら当直に立ち、戦闘時は砲列を指揮するという、まあ気楽な身分でもあります。

しかしこの時、フリゲート艦シベラは単艦でフランスの戦列艦と交戦し、当然のことながら沈没寸前にまで砲撃で痛めつけられていたのです。上級士官がすべて戦死したとなれば、下っ端といえども士官ですから、そこに指揮権が移ります。ラミジはこの時、艦長室にあった命令書を読み、それを実行に移したのです。ベテランの准士官がいる中で、経験もあまりない若い下級士官が指揮を取る、というのは彼が軍隊の「指揮系統に組み込まれている」からです。

私が旧制の中学生だったころ、戦時中ですから海軍経理学校の農場に接収された、現在の我孫子ゴルフ場に学徒動員され、あげくの果てに疥癬(かいせん)という病気にかかり、海軍病院で治療を受けたことがありました。15歳の少年でしたから、看護婦さん(当時は看護師ではなかったのです)が親切に看護にあたってくれました。進路の選択はほとんどが軍隊に限られていた若者に、担当の看護婦さんはこういったのです。「あなた、海軍に入るなら経理学校ではダメよ。ゼッタイ兵学校に入りなさいね!」

つまり、兵科将校でないと指揮系統に入れない、ということをこの看護婦さんがいったのです。当時の海軍は将官、士官、下士官、兵という縦の「階級」と共に、「将校」という横の制度がありました。基本的に兵科の士官が「将校」で、その他の主計科、軍医科などは「将校相当官」と区別されていました。ですから、戦闘時に多くの士官が戦死し、例えば海軍主計中佐と海軍少尉が生き残ったとしましょう。この時、その軍艦の指揮をとるのは海軍少尉の方なのです。なぜならば、少尉の方が指揮系統に入っているからです。海軍兵学校は「兵隊の学校」という意味ではありません。「海軍兵科学校」という意味で、そのために兵学校の生徒は「将校生徒」と呼ばれました。

それはともかく、指揮系統について説明した小説があります。海洋小説ではなく、サイエンス・フィクション(SF)で、もう古典に属する「宇宙の戦士」という、ロバートAハインラインの著作です。彼が軍国主義者になったのではないかと、物議をかもしながらもヒューゴー賞を獲得した作品です。機動歩兵という動力スーツを着た兵隊が、地球外生命と戦うという物語で、主人公のジョリアン・リコが士官学校の卒業課程で戦いに赴く前に、同期生と校長のニールセン大佐に面会した時の話です。

『諸君は三等少尉に(臨時に)任官されることになっている・・・だが給与はもとのままであり、肩書は引きつづいてミスターと呼ばれる。軍服でただひとつ変わることは、肩章が候補生のそれよりもまだ小さくなることだけだ。諸君が士官となるに適しているかどうかは、いまだに決定されておらんので、教育は続けられる。』大佐は微笑を浮かべた。『では、なぜ三等少尉と呼ぶのか?』・・・『ミスター・バード?』『ええ…われわれを命令系統の列に置くためであります。大佐殿。』『その通り!』(矢野徹訳以下この項同じ)

ニールセン大佐は縦にピラミッド型に広がった編成表を見せます。この図の大佐の名前の脇に水平の線で結ばれた先が「司令官補佐、ミス・ケンドリック」となっています。大佐は候補生についていろいろ彼女に質問し、即答を得ます。そして「もしミス・ケンドリックがいなかったら、ここを動かしてゆくわしの仕事は多大の支障をきたしてしまうだろう。」と説明するのです。しかし司令官が突然死んでしまったら、ミス・ケンドリックは司令官の仕事を引き継ぐことはなく、全く何もしないのだ、なぜならば彼女は有能でも、命令系統に入っていないからだ、と大佐は強調するのです。

『命令系統とは、単なる飾り文句ではないのだ。・・・もしわたしがきみに、“候補生”として戦闘するように命令したとする。きみのできる最大のことは、きみ以外のだれかの命令を次に渡すことぐらいだ・・・』

なので、もし戦場で候補生が命令したらそれは軍制の違反となるのだと説明します。指揮系統、命令系統といってもいいのですが、軍制でそれが絶対に必要である理由は、複数の指揮官が同時に命令を出す危険を避けること、あるいはいつでも命令を出す指揮官がいること、にあります。命を懸けた戦場で、どちらの命令を聞けばいいのかわからない、あるいは命令を出す指揮官がいない、という状況が戦力の最大の危機であるのは間違いありません。

もっとも、絶対的な指揮権、まあ命令権といってもいいのですが、これにも欠陥があります。任官したばかりの経験のない若い士官が、戦闘中に事情もよく分からずに命令したら、迷惑をするのは兵士の方です。長い歴史を持つ軍隊は、そのような危険をよく承知しています。いいかえれば、経験の少ない士官をどのように教育するかという問題になるのですが、この「宇宙の戦士」にもそれがあります。主人公ジュリアン・リコは“臨時の三等少尉”として戦場に臨むのですが、大隊指揮官で、リコの評価官でもあるブラックストーン大尉がリコを教育する場面が出てきます。

輸送宇宙艦内での任務に精励して疲れ果てたリコを叱り、戦場に臨むには万全の体調が必要だと、不要な(つまり生きていれば帰りにできる)作業をおっぽりださせて、まず睡眠をとらせるのです。その上で、彼はリコを自分が指揮するD中隊(ブラッキーのならず者隊)の第1小隊の小隊長に任命します。同時に彼の下に艦隊軍曹をつけます。艦隊軍曹というのは最優秀の下士官で大隊全体の参謀といった役割です。それを(中隊を飛び越えて)2階級も下の小隊軍曹に任命したのは、もしリコがだめならば、実質的にその軍曹に小隊を指揮させるという思惑があるからです。

この小説の面白いところは、機動歩兵が着ている動力スーツにさまざまな通信回路があり、指揮官には軍曹だけと話すことのできる回路があることです。ブラックストーン大尉がいうには、ベテランの軍曹に相談しないで独断でことを運ぶな、軍曹は相談されることに慣れている。”ただし、”とここが肝要なところですが、”決定は自分でやるんだ“と強調します。指揮官には命令権があります。相談、つまり経験を踏まえた情報や提案を吸収した上で、どう決定するかは指揮官の判断で、これができなければ指揮官としての資格がない、ということになります。若い士官はこうして経験を積んでゆくのだと、この小説は示唆しています。

指揮系統の問題で非常に特殊な例が「炎の駆逐艦」に出てきます。これはフィリップ・マカッチャンの書いた「キャメロンの海戦シリーズ」の第1巻ですが、主人公のドナルド・キャメロンはトロール船の船主の息子で“士官候補生に推薦される”三等水兵として駆逐艦カマーゼンに乗り組んでいます。時代は第2次世界大戦の北大西洋、ドイツの潜水艦Uボートが活躍していたころの話です。船団護衛でUボートを探知したカマーゼンは全速力で戦闘に臨みますが、間近の商船が魚雷を受けて爆発し、その破片が艦橋を襲って艦長ヒューソン少佐ははやばやと戦死してしまいます。

指揮系統に従い、副長のシーモア大尉がそのあとを継ぐのですが、その直前にカマーゼンは艦首に魚雷を喰って大破し、前進することができなくなります。詳しいことは省きますが駆逐艦カマーゼンは戦闘と貨物船との接触もあって、基地に帰投することすらままならず、艦体自体はもう沈没寸前といった状態です。生き残った士官は艦長職を継いだシーモアと機関長のマシューズ機関大尉だけです。

機関長のマシューズは心の中でもう戦闘は無理で、機会があればドイツに降伏するつもりでいます。そのためには指揮権を持たなければなりません。そこで水雷兵曹に疲労の極に達したシーモア艦長はもう無理ではないかと相談を持ち掛けます。

「海軍本部に関しては・・・あまり自信はないのだが・・・この私が変わるというのはどうだろうか?」「艦橋の当直につかれる、という意味でしょうか?」「ちがう、ちがう。必要が起きた場合、艦の指揮を——ということだ・・・(佐和誠訳、以下この関連項同じ)

この相談にベテランの水雷兵曹は、あなたに艦の指揮権は認められていない、と答えるのですが、マシューズは兵曹の支持を求め、あっさりそれを無視されます。その後沈没寸前のカマーゼンにUボートが接近し、砲戦でさらにカマーゼンは艦橋を破壊され、シーモア艦長も戦死します。乗組員は接舷して敵が乗り込んでくることを予期して艦内にひっそりと待機しているのですが、生き残っている兵科最高の階級はファロウ一等水兵だけです。

…ファロウは腹をくくった。ここはひとつ、あえて火中の栗をひろってやろうとするかい。彼は自分の置かれる立場に自信はなかった。ただ士官室甲板を去る直前の艦長の言葉をおぼえていたし、その言葉のふくむ意味についても忘れてはいなかった。指揮権をいきなりずばっと押しつけられたにもかかわらず、ミスター・シーモアは立派にことをやりのけている。彼をしかるべく支え、マシューズをこけにする。それは一にかかって乗組員たちの出方次第だった・・・なんの権限もない機関室士官を、正面からつついてやろうという魂胆だ。

艦長の戦死を知らないファロウはそう決心します。そして敵が乗り込んできたときに彼は全員を甲板に上げて戦闘を命ずるのです。

マシューズ大尉の怒りに燃える視線をとらえ、ファロウはいった。『自分の記憶では、大尉、艦長は、ここでの先任水兵として指揮をとるようにという意味のことを言われました。そこで、自分が指揮をとらせていただきます…』

こうして機関大尉という士官を押しのけて兵科の一等水兵が駆逐艦カマーゼンの戦闘指揮をとるという状況が成り立つのです。艦長の戦死した艦橋にあって、キャメロンは手榴弾を仲間とともにUボートの司令塔のハッチに投げ込み、あわてたUボートが離れて爆沈するという大手柄をたて、カマーゼンもその後、巡洋艦に曳航されて基地に帰投します。これは士官のみならず、下士官や一般水兵であっても、兵科の指揮系統の厳密さを十分に知って、それを実行したという物語です。

もう1つ、指揮系統が上からの命令で途絶えるという、まさに異常ともいえる例があります。これは小説ではあるのですが実際のことで、前回にも引用した司馬遼太郎の「坂の上の雲」のなかでの話です。明治38年(1905年)5月22日、日本とロシアの戦争で、遠い日本を目指すロシアのバルチック艦隊は、とうとう東シナ海に達していました。

その23日、第二戦艦戦隊司令官フェリケルザム少将が病死したのである。フェリケルザム少将は腕のいい船乗りであると同時に部下の信望もあったが、本国を出発するときから健康が思わしくなく・・・ずっと病床に伏したきりであった(司馬遼太郎、以下この関連項同じ)。

バルチック艦隊には戦艦戦隊が3つありました。第一戦隊は艦隊司令長官ロジェストヴェンスキーが自ら統率し、第二戦隊はフェリケルザム少将、第三戦隊はネボガトフ少将が司令官でした。その第二戦艦戦隊司令官が死んだのです。

提督は神に召されたり」と第二戦隊旗艦オスラービヤが暗号信号を掲げました。ロジェストヴェンスキーはすぐさま「その死を秘すべし」と命令したのです。「ロジェストヴェンスキーは海戦をひかえて指揮の沮喪することをおそれたのだが、しかし第二戦艦戦隊の臨時司令官を選ぶこともかれはしなかった。オスラービア以下の第二戦艦戦隊は死骸の司令官を奉じて戦場にむかわざるをえなかった。

あれほど厳しい指揮系統を中心とする軍隊に指揮者がいない、それも最高指揮官によってなされた、というのは本当に異常なことです。

事ここにいたっては、ロシア皇帝はロジェストヴェンスキー中将を司令長官に選んだことを後悔すべきであった・・・指揮者のいない軍隊というものを思いついた史上唯一の人物がロジェストヴェンスキーであった。

司馬遼太郎は本の中でこのことについていろいろ論考しています。

ロジェストヴェンスキーは自分の戦死を考えていなかったのだろうか、もし彼が戦死すれば、第三戦艦戦隊司令官ネボガトフは最後までフェリケルザムの死を知らなかったので、バルチック艦隊は文字通り指揮官のいない艦隊となっていたはずです。推定としてですが、司馬遼太郎はロジェストヴェンスキーが新鋭で高速の戦艦数隻だけを率いてまっすぐ日本海の奥にあるウラジオストクに逃げ込もうとしたのではないかと疑っています。

その傍証として、「ロジェストヴェンスキーの匿名幕僚の記録では、『司令官会議もなく、艦長会議もなかった』と執拗なまでに書いている。司令長官たる自分の方針や企図を麾下の各司令官や艦長に十分服膺せしめておいてはじめて艦隊が一心同体となって動くのだが、ロジェストヴェンスキーが水兵でさえも知っているはずの軍隊統率のこの初歩を履行しなかったのは、『自分のみが天才だと信じ、他の者はすべて愚人だという自己肥大的性格』・・・にこの重大問題を理由づけることは単純すぎるように思える。」つまり足の速い戦艦群だけで(他を顧みず)ウラジオストクに逃げ込もうという魂胆がなければ、こんな行動を予めとらなかっただろうというのです。

この問題をもう少し掘り下げると面白いと思うのですが、ここではそれを取り上げることはしません。良い、悪いではなくて、そもそも軍隊組織というものは指揮系統が確立していなければ成り立たないのです。小説という形を借りて、それがいかに維持されてきたか、またそれがなければどうなるか、という点をここでは取り上げています。

日本海海戦の結果は、ご承知のようにロシアのバルチック艦隊の壊滅、文字通りの壊滅で終わっています。早々の海戦で司令長官ロジェストヴェンスキーは負傷、旗艦スワロフも沈没し、駆逐艦に収容されたロジェストヴェンスキーは後に日本の駆逐艦に拿捕されて日本軍の捕虜となります。海戦の最後に第三戦艦戦隊司令官ネボガトフ少将は、乗組員の生命を守るために砲火を交えずに降伏します。こうして第二戦艦戦隊の指揮官がいないための影響は、壊滅的な敗戦によって目立つことはなく、負傷が癒えて帰国したロジェストヴェンスキーがこの点で責められることはなかったようです。

しかし、死者の司令官旗を掲げたまま戦闘に入った第二戦艦戦隊旗艦オスラービヤの、特に、権限のない艦長が、どのような気持ちで戦隊を指揮して戦ったのか、私には想像もつかないのです。


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