ミヒャエル・ハネケ『セブンス・コンチネント』
1,イントロダクション
物凄い質感が冷たくて、渇いた映画を観た。
ミヒャエル・ハネケ監督の『セブンス・コンチネント』という映画だ。
一言では説明しづらい、しかし、妙に心の片隅に残るような作品だった。
他人に薦めたい、でも、心に留めておきたいような感じだ。何処か蟠りがあるが、言葉にして表現しないと気が済まない自分は、今、文章にして、映画の感想を書こうとしている。
それでは、しばしお付き合いください。
2,あらすじ
1987年。とある家族。父親・ゲオルクは昇進目前に控えているが、上司と対立している。母親・アンナは、弟とともに眼鏡屋に勤め、家族を支える。娘のエヴァは、学校で目が見えないふりをして、先生を挑発し、母に叱られる。それでも、それなりに暮らしていた。
1988年。とある雨の日。交通事故現場に遭遇し、その後、洗車場に行ったが、母・アンナが涙を流し、人生を悟った。
1989年。ゲオルクの両親のところで過ごした翌日、父親・ゲオルクは、会社を辞める。その後、家を売り払う契約をし、持っていた車も手放す。それから家具や家電など破壊していく。その後、家族でテレビで歌番組を見た後、娘・エヴァ、母・アンナの順に服毒し、最後に、父・ゲオルクが死ぬ。
3,感想・考察
胸に引っかかる、不思議な映画だった。
映画の序盤は、固定されたショットが続く。その断片が集まり、出てきては消えるような感じが、少し恐怖を感じた。非常に渇いている。そして、冷たく感じてしまう。暗転しては映像が表れ、その繰り返しである。それが、逆にリズミカルに表れてしまうから、不思議と観られる。この展開が、どうなるか、待ってしまう自分がいる。映画は、分かりやすいのも悪くはないのだが、説明せず観客に投げかけ、深層を考えさせるのも面白い作品だと感じる。
固定されたショットが多いのだが、クローズアップも多い。何故か水槽や食卓とかがわかりやすく映し出されている。眼鏡屋に併設された眼科の検診のシーンも、他人の眼の光彩が縮むところが克明に映し出されている。
「オーストラリアに移住する」という発言があったが、結局オーストラリアには行かなかった。オーストラリアの広告が映し出されることがあったが、どうもユートピアに見えてしまう。楽園を意識していたのだろうか。
この映画は、映画音楽がない。そういう意味で、渇いた感じがさらに引き立たせているような気がする。音楽は、映画において重要な役割を果たすこともあるが、逆にシリアスな映画は、音楽がない方が良いこともある。流れる音は、日常生活や車、第三部の物など破壊するものばかりである。ダルデンヌ兄弟の『ある子供』は、全く音楽がない映画だったが、素晴らしかった。『ある子供』や本作『セブンス・コンチネント』も、その部類だろう。心を芯から抉るような感じがする。
この家族が乗っている車は、フォード車で、調べてみたら、結構良い値段するらしい。新車でも、100万円以上して、もっと良いものだと500万円程度するとのこと。
この家族の崩壊は、2013年に観たドラマ『家族ゲーム』に似たものを感じた。一家が家財、家具などの物を壊していくものを彷彿とさせた。その後は、その家族は新たな場所で再生したが、この映画の家族は、崩壊したまま、死を迎える。上手くいっていても、突然何もかも投げ出したくなるようなことがあるんだな、と思った。
レコードを折る、ガラステーブルを砕く、チェーンソーで家具を切り刻む、服を破くなど、様々な破壊行為は、感情が冷めている、そして、死んでいることを示していたが、父親が水槽を破壊し、水が流れて、魚が跳ねているシーンは、驚いてしまった。娘も大泣きし、感情の崩壊があらわになった。
最後は、紙幣をトイレに破いて流す行為に狂気を感じた。最後は、様々な人の顔や思い出などが、走馬灯のように出現して、テレビの砂嵐が流れて終わる。非常に救われない終わり方だが、こういうのも、ズシンと心に響き、考えさせられる。こういう映画も再び観たくなるような中毒性がある。
時間を置いてまた観たい。また観たら新たな一面を見るような気がする。
4,終わりに
ミヒャエル・ハネケ監督のデビュー作である本作は、日本だと劇場未公開だったらしい。しかし、今はDVDでも観ることができ、実際観たら、現代でも少し通用するような題材のように思えた。「感情の氷河期三部作」の第1作目にあたる今作だが、やはり自分の心にも冷たい暴風が吹いていた。
タイトルを直訳すると、「第七大陸」だが、存在しないものだと思う。地球には、六大陸しかないのだが、この家族は、理想郷を死によって形成したのだろうか、とも思えてしまう。何とも残酷な映画だと感じた。
写真を破くシーンがあったが、自分も昔、こういうことをやった記憶がある。過去の嫌な思い出と訣別するため、高校時代の部活動の写真を破った。実は、時々、良い思い出のない高校時代の卒業アルバムも燃やしたり、破きたくなる衝動に駆られる。あと分厚いから、置き場に困っているっていうのもあるが、やはり破壊衝動に掻き立てられることがある。
最近の芸能人の自殺のニュースを見ていると、こういうことを照合してしまう自分がいた。心のうちの不安や焦燥感は、時に残酷な事件を引き起こしてしまう気がする。順調に進んでいても、明日はどうなるかわからない。
自分は、今のところ、読書と映画があるから、もっと読みたい、観たいから、それで自殺行為するのはもったいない気がしているから、生きているようなものである。ただ、人望が薄く、信頼もないようなものだから、どうなるかわからない。やはり、興味と情を持って人に接して、関係を築くことをしていかなければならない、と感じてしまった。
明日は我が身だ。少しずつ、心を潤していこう。
また書きます。
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