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自分一人の力だけでは

世間は3連休らしい。3連休とて特別な何かがあるわけでもなく、いつもと変わらぬ日々を過ごす。それが自分にとっての「当たり前」になってしまっているからだ。「変わりたいと思っているのではないのか」「それじゃダメだと思っているのではないのか」と言われるだろう。そりゃ、こんな何にも変わらない、特別な何かをしているわけでもない時間を過ごし続けることが自分自身の為になっているとは全く思っていないし、それを変えていきたいと思ってはいる。「頭ではわかっていても、行動に移せないこと」は誰にでもあるものではないだろうか。「また言い訳を言っているよ」と思われても仕方がないだろう。でも、人間なんて誰もがこんなものではないかと思う。

「1人じゃないけど1人なの」状態が物心ついた頃から当たり前のようになってしまっていた自分自身の人生を考えれば、現状は当然の帰結だろう。意識してそうなってきたわけじゃない、普通に生活を営み人生の道程を進んできた結果もとい過程において「1人じゃないけど1人なの」状態でいることが当たり前で、それは「人との交流全般」に関して年齢相応に学ぶべき機会、経験する機会が自分の目の前に「明確なもの」として現れてこなかったから、「明確な意思」を持ち「人との交流全般」を得る行動に出てこなかった。それが当たり前になってしまっていたから…孤独感を感じ自己肯定感も低いのだろう 「もっと自信を持っていいことはわかっているはずなのに」

「青春の輝きがこの頃は憎たらしかった」とどこかの歌の歌詞であったけれど、自分の中でこの歌詞通り青春の輝きが憎たらしい時期はあった。今は「ああ、そんな世界線で生きていく人生でありたかった」と心情としては変化しているけれど、基本はもしかしたら変わっていないかもしれない(
苦笑)「なんで1人こんなことしているのだろう」とか。「なんで1人昼飯を食べているのだろう」とか(後者は現職で他の社員と一緒に行ったら愚痴の応酬になるのがわかっているからあえて避けている点はある)1人でいることでわずらわしさを感じず、何となく生きていけているから…「1人じゃないけど1人なの」の道を進み続けているのだろうか。

自分の意思において行動し発言していることであっても、それは本当に自分の意思に基づくものなのだろうか。外的要因が影響していることの方が多いような気がする。本当に自分自身だけの意思に基づいて動き出していくことは人間が思っているほど多くないような気もする。そう考えることで自分の弱さから目を遠ざけているだけかもしれないけれど、人間なんてそんなものではないだろうか。

だからこそ、私は「どこで誰と何をするのか」が大事であり「環境が人に与える影響の大きさ」を考えて行動していくべきだと思うのです。外的要因がなんであれ結果を出せる奴は結果を出せますが、「ちょっとまて、その成果も自分だけの努力の結果なのか。結局、外的要因も影響していないか」とも思う心地よい風が吹く3連休最終日の午前中のひとときなのです。

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