変わりたくないのか、変わりたいのか
10月も4日が過ぎようとしている。「10月になったら毎日noteを更新しよう」と考えていたけれど、考えていただけでもう4日も過ぎてしまった。ある意味、三日坊主かもしれない。いや、そんなことはさておき、「毎日更新しても同じようなことしか書かないだろうから」というのが先に立ってしまってアウトプット(自分にとっては、文章を書くこと・まとめることを指す)できなかったのが本音の1つ。もう1つは普段の生活が何の変化もなくむしろ嫌な変化に巻き込まれている日常が続きすぎたことによる…ほら、やっぱりまた同じようなことを書こうとしている。
自分の人生は自分自身の為にあるのだから、自分自身の人生における変化は自分で起こすしかない。誰かに頼ることも必要かもしれないけれど、誰かに頼った結果としての変化では「何かが違う」気がする。だからこそ、自分で考え自分で決めて自分で踏み出していくことで、変化していくしかない。自分自身で決めたことなら「後悔も少なく、納得感も得られやすい」だろう。だがしかし、私は思う。「変化がない状態が続いたことで、その状態が当たり前になってしまっていないか」と。そんな状態が当たり前になってしまっている人間が、たとえ自分の力で道を切り開いて自分自身の人生に変化をもたらしたとしても「その変化を受け入れられず、後悔し、納得ができなくなるのではないか」と。
「現実逃避だ」「甘えているだけだ」と言われてしまえば反論はできないけれど、こうした考え方を抱くようになったことこそ「何かの変化」であり「変化への第一歩(遅すぎるけど)」であり、変化が訪れた時に踏み出すことができる力が身に付いていることの証明じゃないか…とそんな気がするのだけれど、やっぱり「現実逃避で甘えているだけ」なんだろうか。「現実逃避で甘えていない」人なんて世の中にどれだけいるだろうか。人間とはこんなものなんじゃないかと思う。自分のような考え方を持ちがちではないかと。…現実逃避な考え方かもしれないけれど。
やりたいことがたくさんある。ほぼインドアなことばかりだけれど。仕事も含めてやりたいことがたくさんある。それが実現できない環境ではないとは思わない。「自分が強い意志を持てば」なんとでもなると思う。自分自身を勘違いさせない程度には。ただ、自分が意思を持って行動していけばいくほど、多分反発は食らうし、社会との接点も失うことになると思う。では、一歩踏み出して違う環境において自分自身の意思を実現させていけばそんなことにはならないのか。そんなことはない「どこで何をしたとしても」同じことは起きると思う。そんなことはわかっている。でも、自分が置かれている現状を考えれば、自分が置かれている現状認識に間違いはないと思う。…それならば、他の場所で「前に進んで行った方がいいのではないか」と思う。
理想ばかり語っていても結果を出さなければ、他の場所で「前に進むこともできない」けれど。