ストリートウェアの死と生(前編)
The Rest Is Sheep
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ストリートウェアの死と生
Virgil Ablohの亡霊
「間違いなく、ストリートウェアは死ぬだろうね。ブームはもうじき終わるだろう」
2019年12月、Virgil Ablohは『DAZED』誌のインタビューで「ストリートウェアの終焉」をこう宣言した。ストリートウェアをラグジュアリーの舞台に押し上げた稀代のファッションデザイナーによる大胆な発言は、ファッション業界を超えて、彼を新しい現代のドレスコードの預言者とみなしていた人々の間でも驚きを持って受け止められた。
Ablohはのちに「ストリートウェアは常に『死んでは蘇り』を繰り返してきたんだ。(あの発言には)ストリートウェアの再生から新しいものが生まれてくるという意味も込められている」と自身の発言のニュアンスを微修正したが、それから5年が経ち、Ablohが正しかったことに疑いの余地はない。「ストリートウェア」は確かに死んだのだ。
ストリートからランウェイへ:ストリートウェア小史
ストリートウェアは1980年代から1990年代にかけて、スケートボード、ヒップホップ、グラフィティ、サーフカルチャーなど、様々なサブカルチャーが交差する場所で誕生した。StüssyのShawn Stussy、A Bathing ApeのNigo、SupremeのJames Jebbiaといった初期のアイコンたちは、美術学校やアトリエなどで正式なファッション教育を受けたわけではないデザイナーたちだった。
彼らのスタイルは「自分たちは自分たちのやり方でやるんだ。大手ブランドや有名デザイナーは必要ない」というもので、業界全体が、主流であるものすべてに対して反抗的な態度を取っていた。彼らはランウェイや光沢で輝く雑誌のフィルターを通さない直接的なコミュニケーションを好み、秘密裏にプロダクト・ドロップをおこなうことで狂乱的な関心を喚起し、台頭しつつあるソーシャルテクノロジーを活用して業界の秩序に風穴をあけた。
しかし、スケボーやスノーボードがオリンピックの正式種目になったように、ストリートウェアは外れの地からメインストリームに浸透していった。Off-WhiteやVetementsのような「洗練されたストリートウェア(Elevated streetwear)」は、パリのランウェイに彼らのショーと価格帯を持ち込んだ。
2019年には1,850億ドル規模になるとPWCが予測した「ストリートウェア市場」に、ハイファッション業界も血の匂いを嗅ぎつけた。黒人やヒスパニック系の人々が生み出した文化を基盤とするストリートウェアの80%は白人やアジア人の若者たちに消費されており、そこに「新しい消費者層の出現」を見出した。彼らは「この美学を自分たちのものに取り入れよう。お金を持っていて、ストリートウェアを買っている消費者を自分たちのものにしよう」と考えた。
2017年のLouis VuittonとSupremeのコラボレーションは、ストリートウェアとラグジュアリーファッションが融合した象徴的な瞬間となった(Louis Vuittonが著作権侵害を理由にニューヨークを拠点とするこのストリートウェア・ブランドに弁護士を送り込んでから17年後の出来事だった)が、翌年にはRalph Lauren がPalaceと、Dior HommeがKawsと、GucciがDapper Danと協業するなど、旧来のブランドたちはストリートウェアの持つ強力なモメンタムとの関連性を維持しようと必死になり、かつては相手にするのもバカらしい存在と見下していたアウトサイダーたちと戯れるようになる。
さらに、一過性のコラボレーションを超えて、ストリートウェアのキーパーソンがラグジュアリーブランドに引き入れられるケースも目立ち始めた。Virgil AblohのLouis Vuittonメンズのアーティスティック・ディレクター就任がもっとも大きな出来事だったが、Been Trill出身のMatthew WilliamsがGivenchyのクリエイティブ・ディレクターに、NigoがKenzoのアーティスティック・ディレクターに、相次いで指名された。
アイデンティティ・クライシス
しかし、ストリートウェアのメインストリーム化は副作用を伴った。ラグジュアリーファッションに取り込まれる過程で、ストリートウェアが持つ反体制的な精神やコミュニティを中心とした文化は次第に希薄化した。ストリートウェアは常に現状への反抗を体現してきたが、反発する相手とのコラボレーションが増えるほど、その境界線は曖昧になる。また、コレクションの高価格化により、従来の熱狂的な支持層が遠ざけられ、一部のストリートウェアは富裕層にとってのフェティッシュ的存在へと変質した。
さらに、「ストリートウェア」というラベリングも、その起源となる精神性やサブカルチャーから乖離し、クリエイターを制約する枠組みへと変化している。「ストリートウェアデザイナー」という呼称は時に、本物のファッションデザイナーではない、伝統的な系譜に属していない、その作品に芸術性が欠ける――こうした偏見を助長し、彼らを排除するレトリックとして機能する。
ラグジュアリーファッションは、ストリートウェアの美学やビジネスモデルを取り入れてきた。しかし、それらは単なるトレンドとして利用され、長期的なパートナーシップを築くものではなかったと言える。「コミュニティによる、コミュニティのためのもの」というストリートウェアの本質を、ラグジュアリーブランドが真に理解していたわけではないからだ。
2024年には、ストリートウェアの未来に対する懸念はさらに高まった。SupremeやOff-Whiteといったブランドの度重なる所有権の移転や、2024年のランウェイでストリートウェア的シルエットが減少したことは、ラグジュアリーファッションとストリートウェアの蜜月が終わりを迎えつつあることを示唆している。「ストリートウェア」というトレンドそのものが終焉を迎えるのではないか――そんな不安が広がる年となった。揺らぐストリートウェアのアイデンティティは、どこに行き着くのだろうか?
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#007_Sheep ストリートウェアの死と生(前編)
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