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3年前の癌の告知②
久々の更新です。
なんかずーっとバタバタしてたら、あっという間に時間は経ちますね。
病院を転院しようと決めて、なんやかやと忙しくしていたら記事更新が全然出来てませんでした。
書きたいことは山程ありますが、ひとまず前回の続きです。
婦人科の医師の紹介を受け、ひとまず総合病院に赴き、胸の腫瘍の生検を受けました。
生検の結果が出るまで1週間ありましたが、事前に医師から
「おそらく悪性」
と言われていたので、いざ「悪性」と結果をハッキリ聞いた時も、そうですか~という気持ちでした。
それに、落ち着いた気持ちだったのは、この時は、ワンチャン治るかも?という気持ちもあったんですよね。
私の癌細胞のタイプは
ルミナルB型HER2陽性。
(ホルモン療法も併用できる・繁殖力が強く湿潤タイプで全身に広がりやすい)
治療に使える薬は沢山在ると説明を受けました。
状態は、全身への骨転移あり(主に背骨と骨盤・大腿骨)ステージ4と、なかなかにハードだったんですが、治るという根拠のない自信があったんですよね。
曲がりなりにも健康産業に位置するものとして、知識は沢山あったし。
癌?治してみせるよ!はっはー!みたいに思ってました。
しかし、その自信は、早々に打ち砕かれます。
理由は、
抗がん剤治療が辛すぎる!
これにつきます。
私の場合は、ドセタキセルという細胞阻害剤と、パージェタ.トラスツズマブという分子標的薬の3本を3週間に1回投与したのですが、副作用がひどすぎて、4回打った時点で肝数値が上がったのと、肺に影が出来て中止になりました。
投与後は何日も寝込んでしまい起き上がることも出来ず、脱毛、味覚障害、皮膚疾患、痺れなど、寝ても起きてもしんどい状態でしたし。
健康の知識なんか、なんも役に立たん。
癌は全てを破壊する。
抗がん剤はもっと破壊する。
と、鬱々としていました。
そんななか、抗がん剤4回目の投与後、医師から
「あなたの場合は、癌が治ることはない。治療は、どれだけ寿命を延ばすかというのがメインです。なので病気の進行を抑えながら、いかにQOLを下げないようにするかを考えていきましょう」
と言われました。
そこから
「あ、治ることないんだ。そしたら治すというよりも、どこまで寿命を延ばせるかを考えないと…」
と、気持ちの切り替えが起こりました。
癌と闘うというより、いかに共存するのかというほうに意識が向きました。
そうそう。私はシングルマザー、3人の子どもが居ます。この時は末っ子がまだ小学生でした。家族の中で大人は私だけ。その私が万一居なくなるとこの子たちはどうなる?
とにかく泣いてる暇も、落ち込んでる暇もない。出来ることをやらなければ!
となり、この辺から、遺書を書き、預金を整理するという、今思うと一見全うでありながら、どこか斜め前の行動へ移ります。
冷静なようで、色々とテンパっていたのでしょうね。
ちなみに、癌の告知を受けた当時は、母も余命宣告を受けてて闘病中で、間もなく亡くなりました。
なので、私も、自分の体のことをゆっくり考えるよりも、身の回りをいかに整理整頓するかに意識が向いたのかもしれません。
そんなわけで、癌の告知から三月ほど経った頃は、身辺整理と、癌を治すよりも寿命をどう延ばすか?を考えて過ごすようになりました。
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