OKAMI the 18th 終演レポート
1.ご来場ありがとうございました。
7月9日をもって、昨年末から突っ走ってきた企画「たんとかだっていってけれ」が終演しました。まずは、ご来場いただいたみなさま、キャスト・スタッフのみなさま、カダーレ職員のみなさま、関わってくださった全ての方に心から感謝申し上げます。
2019年に秋田で演劇をやろうと思い立った日には、まさか、秋田の人たちと作品を立ち上げられるなんて思ってもみなかった。少しずつ知って下さって、関わって下さってという方々が増えてきて、幸運なことにあたたかな人たちに恵まれ、なんとかかんとか活動を継続できている。
秋田の演劇シーンなるもの(秋田県は広いし、秋田と書くと秋田市だと思うのが一般的な秋田県民の感覚だけど、ここでは秋田県を指します。)を僕はリアルタイムで経験してきていないけれど、今回参加してくれた方々やいただいた感想から、肌で感じることができたのは大きな収穫だった。
改めて、多大なる感謝を!
2.脚本選考とオーディション
地域を変えてものを創るというのは、しょうがなくウキウキする。今回は東北6県から戯曲を秋田県から出演者を公募した。正直言って、どこの馬の骨とも分からない人間の勢いしかないような企画にも関わらず、ご応募いただいたみなさまの勇気、そして度量に尊敬のマナザシ。今回はご一緒できなかった方々ともいつの日かご一緒に、なんて思う。どこかで何かが交わればいいな、なんて思う。ノックするのはタダなので、これからも、相手にされなくとも、ノックはし続けていきたいなと思う。ノックしてどうなるかは、日ごろの行い次第だろう。祈る。
そういうわけで、dasukaさんの『イけない二人』と出演者11名とで、演劇をこさえていくことになった。基本的に、僕は俳優であり、何かにつけても選ばれる側なので、選ぶ側になってみるとそれはそれで緊張する。いたってシンプルに一緒にモノづくりをしていく日々を駆け抜けられるかどうかだ。自分もこけるし、誰かもこけるけど、手を出したり、待ったり、傘をさしたり、一緒に転げたり、そんな日々を一緒に過ごせる人たちと作品を創りたいという思いがある。
汗だくで泥まみれ。時には泣いちゃって擦りむいちゃったけど、このメンバーで創作が出来てよかった。そして今上演すべき作品に出会えてみなさんと分かち合えたことが嬉しかった。
3.秋田での創作
秋田に来たのは6月2日。稽古の前日。学生時代は年末年始にお盆と律儀に帰省していたけれど、気づけば年末年始も帰らなくなったりしていて、それが急にこんなにも秋田を行き来し始めたのは、コロナ禍における祖父の急逝が大きな要因に思える。人生の一過性と演劇の一過性と。亡くなってしまった母方の祖父と、父方の祖父母と父と母とが暮らす、愛しているかは知らないけれど、少なくとも居ついているほどの大きな愛着のある地域で、僕は何ができるだろうか。そんなことを頼まれてもないのに考える。
初日、顔合わせの日はとんでもなく緊張していた。そもそもが忘れっぽい人間だけど、この日の記憶はほんとすとんとない。あ、この人たちと演劇創るんだ、どんな人なんだろうと、興奮と不安とで、いっぱいいっぱいだった。少なくとも、これまでの大なり小なりの僕の企画では、基本的には知り合いで、こんなにも初対面の方々に囲まれることもなかったので、みなさんもそうだったと思うけど、よくわからない汗をかいたのでした。
どこでもそうだろうけど、人間関係の構築から始まる。探り合う。ものすっごい疲れるところだけど、人と人とが顔突き合わせてつくるのだから、これはちゃんとやらないといけない。1日で終わるような何かしらであれば、今日だけだしの精神で乗り切れる日もあるけれど、稽古は重ねていくものだし、その場しのげない日々の連続だ。そうして、共通言語の構築。独自の世界にはそこの言葉あるし、その世界の中の、1つの島の中の、1つの町の、1つの家にしか生まれない言葉だってある。初舞台から経験者まで、様々なバックボーンの人たちがいるし、感覚的なものを扱う部分もあるから、全体で1つの価値観を共有していくということは、てんでんばらばらの人間が集まるこのような企画においては最も大事にするところだと痛感した。僕は人に伝える言葉をほとんど持っていない。30にもなってなんだかなあと我ながら思うけど、その点、参加者のみなさまには大変苦労をかけました。
『イけない二人』…一番出演者が多かった。総勢で9名かな。脚本のカラー同様にワイワイガヤガヤな稽古場だった。個人的には佑治くんと藍ちゃんとしか絡まなかったので、もっとみんなと会話したかったなと思う。結果的にダンスで一体になれたかな。楽しかったなダンス。真珠さんのはっちゃけっぷりが脳裏にこびりついている。麻衣ちゃんもノリノリだったなあ。佑治君も藍ちゃんも初めての役者ということで、なんだろう、こう、ストレートをさ、フォームががたがたでもさ、思いっきりミットめがけて投げる様とでも言いますか、稽古場で届いたり届かなかったりしたけれども、その懸命さが僕にとっては愛しくて、背中をバシッと叩かれたかのようなそんな感覚。
『ネモフィラの花が咲く頃に』…伊岡森さん。僕を演劇の道に引きずり込んだ(と勝手に思っている)方の新作。ダイレクトの世代的には、僕やあみちゃん瞳さん。そこに順平さん、佑治君、優果ちゃんと世代を超えて、アラサー、地元、の人間関係を描いて。座組としても少し打ち解けあったころから、芝居の雰囲気も変わったように思う。居酒屋で同窓会で飲み会なんてシチュエーション。芝居は芝居だけど、意図せず素の人間が乗ってしまうのも妙。みんなで走り回ったの楽しかったなあ。どこかで喉をやってしまうかと思ったけど、無事に走り切れてよかった。ああ、佑治君の唇をおもいだしてしまった。思ったよりやわかった。香奈がすーんと吐露して去ってしまうところや、晃との腹を割ったところ、ラストの由梨とのやりとり。ひとりひとりの言葉が自分の心を揺さぶってくれて、本の言葉に耳を傾けていたら、康太君が顔を出してきて、初日はネモフィラの後も僕がトークをしていたのですが、2日目からは麻衣ちゃんと真珠さんにお願いすることになり、急な変更でご迷惑をおかけしました。由梨は瞳さんと優果ちゃんのダブルキャストで、俳優としてやりがいのあるところだった。当たり前のことだけど、人が変われば言葉も変わる、言葉が変われば受け取り方も変わる、受け取り方が変われば僕の発するものも変わる。楽しかった。
『晴れ。時々、アザラシ。inあきた2023』…寺戸さんの本。秋田の風景を取り入れてリライトしていただきました。寺戸さんの描く世界はしんどいところもあるけれど、あたたかさを感じる。このあたたかさを分かち合うことは容易なことではないけれど、演劇の可能性を感じるのも事実。僕は出演しておらず、稽古場でもいろいろ一緒に悩んで、試しての日々がありました。眞庭も一緒に悩んでくれて、秋田で劇団員の存在に安堵しつつ、何度も何度も多くのトライを重ねていった稽古場でした。脚本があって、それを肯定しながらも、ほかのあらゆる自由を獲得していく、というような姿勢を改めて気づかされた日々でもあった。あみちゃん、ほんちゃ、はるちゃん、室ちゃん。四者四様に苦心していた日々があって、でも、僕に出来ることは一緒に悩むことだけだったけれど、個々が何かを掴んで1つの物語となっていった過程に、僕はプロデューサーとしての感動を覚えた。袖で聞いていた最後の言葉が僕は好きだった。たんとかだっていってけれの終わり。その場に居合わせた人の数だけたんとかだっていってけれがあった。
そして、創作に欠かせないのは堅実なスタッフワークの存在。毎度のことですが、東京の演劇シーンでも確かな仕事をしてきたスタッフさんたちに秋田に来てもらっていて(岩ガキ最高でしたね。)、おおよそほとんどの方は目の前に立つプレイヤーと放たれる言葉たちに注意しがちですが、プレイヤーの芝居を強固に支えてくれているスタッフたちがいるから可能なことで、今回もまたこの人たちと秋田で演劇を創れてよかったと心から思った。なんだかんだと秋田を好いてくれているので、ひょっとすると僕とは関係のないところで秋田の人たちと演劇を創っている未来もあるかもしれない。そういうつながりが育まれたら、心底嬉しい。
4.秋田のお客様たち
今回、秋田の役者たちと共につくったので、なんとなく存在は知ってたけどみたいな方や初めて演劇みますという方や、長い間秋田で演劇創ってるぜという方、たくさんの方がご来場してくれた。おかげさまで5ステージ中3ステージが完売御礼となり、伸び悩んでいた土日も少しずつ伸びて、出演者より多くなってホッとした。最終的には190名の動員で、秋田での企画では一番動員できたし、アプローチしあぐねていた層にお越しいただけたのは幸いなこと。200行きたかったなあ。当日券文化が根強いと多くの方から耳にしていたけれど、これを機に予約を獲得していくマインドがプレイヤーにも生れると2つ目の幸い。また、秋田市の方はわからないけれど、由利本荘というところは夜に出歩く文化がないので、次回は午前中にも公演を行おうと思う。
全く異なるテイストの3本をやってみて、経歴、年齢、性別などなど、個々に刺さる作品が違ったのはとても嬉しかった。いろいろなジャンルがあるし、作家の数だけ言葉がある。そんなところを味わえるのも短編集の魅力だろう。いかんせん特殊能力トーク×なので、ちょっと何かしらのどれかしらを講じないとだなと思いつつある。でも、直に僕の熱量や人となりを知ってもらうためには必要な時間だったと思う。ひとりひとりとお話できる機会を設けるのはなかなか難しいのも現状。拙いしゃべりに耳を傾けていただいて本当にありがとうございました。全く視線をくれないあなたを振り向かせたかったという乙女心もあり。
きたのかいのみなさんはものすごくTシャツを買ってくれた。稽古着や寝間着に使い倒してください。作ってよかった。感謝。
5.秋田の演劇シーン
秋田滞在中にはココラボで『言葉と体』、シアター★6さんの『Wonder』などなど、様々な演劇が行われていた。康楽館には昔すれ違った俳優が来ていたようだし、点々と賑わっていたようだった。そういえば、コロナ禍で横とのつながりが切れてしまって客演もなくなってしまったようなことをはるちゃんが言っていた。
実際問題、人口が著しく減少している地域において、伝統芸能も様々な職場でも若年人口が不足しているから、至極当たり前に、演劇というフィールドもばっつり食らっているところである。
Ζガンダムにおいてクワトロ・バジーナ(28)が『新しい時代をつくるのは老人ではない!』と言っていた。企画を立てるときはこの言葉を大事にしていて。コロナ禍でストップせざるを得なかった当時、学生演劇をびっちりやっていた僕は憤り、横浜で学生向け演劇フェスを3年やった。それと、スマホで完結してしまう世界にもものすごく寂しくなって、演劇のよさとはなんだろうというところにぶち当たった。
つくりては少なからず演劇が好きだろう。じゃあ、この好きという気持ちをなるべく言語化して、演劇の持つ力や魅力を隣人に知ってもらって、あわよくば隣人にも演劇を好きになってもらって、そんな分かち合いが広がっていくようなものづくりを重ねていかねばならないし、世代を超えて、新しい時代を築いていく若者に対して、何かを押し付けていくのではなくて、一緒に歩む仲間として働きかけていくということをやっていかないと、僕らが好きなものは僕らの好きで完結してしまうだろう。僕はそれを寂しいと思う。僕は幸運にも演劇が大好きで僕に対して対等に厳しく優しく仲間であり先輩でもあるような大人たちに出会えたおかげで、世界がぐわっと広がった。こと演劇という行為においては、舞台と客席が一体となったあの感覚を誰もが一度は経験するだろうけれど、あの感覚を持ち続けていくことが大事だと思った。
物理的な距離は如何ともしがたい。秋田県は広い。面倒くさいことがたくさんある。それでも模索し続ける。今回20代前半が座組の半数を占めた。もっともっと素朴な疑問を突き付けられた。これからの世代とものづくりができたことで、この世代が自ら上の世代に働きかけていくようなパワーをもってくれたら嬉しいな。劇団じゃなくとも自主公演とか。やり方はたくさんあるし、秋田には頼れば気さくに応援してくれる先人たちがたくさんいる。いい土壌だ。芽吹いて、自分だけの花が咲くといいよな、と思う。
物理的な距離が問題で、今回巡り合えなかった方々もたくさんいると思う。この問題は解消できることではないけれど、幾ばくか緩和させて、もっと多くの秋田の作り手たちと活動することはできないだろうかと思案してみる。
急なおすすめ著書。20代から30代前半までの方におすすめ。大人って何思っている方もぜひ。(『「若者」をやめて、「大人」を始める──成熟困難時代をどう生きるか?』を出版します - シロクマの屑籠 (hatenadiary.com))
6.これからの秋田での創作
様々な抱える問題は頭を悩ませるけど、歩みを止めずに進んでいきたい。その過程で、新たな出会いも別れもたくさんある。故郷が新天地というのもおかしな話だけど、今時代人間が集って何かをつくりあげていくという運動に、一筋の光明が差し込んでくるような気がする。ほの明るさに導かれて、僕らは演劇をつくる。まだまだ試せること、試したいことがある。
記憶が新鮮なうちになるべく書き留めておこうと思い、長々と言葉にしてみた。もはや企画書の一部となっている気がする。来年も、諸々整えて、たくさんの方々と関われるように。生き抜こう。
あ、そうだ。Tシャツをお買い求めいただけなかったみなさまに、オンラインでの販売です。現地販売より少々お高めにはなってしまうのですが、こちらですと好きな色も買えちゃいます。家にも既存の色(白とグレー)でしたらMサイズが残ってますので、theokamiproject@gmail.comまでお問い合わせください。
OKAMI企画 ( M_LUCKY_STRIKE )のオリジナルグッズ・アイテム ∞ SUZURI
へば、また秋田での再会を願って。
真坂 雅
写真撮影:comezo