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【舞台感想】今は漕ぎ出でな/宝塚歌劇星組宝塚バウホール公演

2月3日に宝塚バウホールにて星組公演「にぎたつの海に月出づ」をマチソワしてきました。
平松結有先生のデビュー作でした。

星組の美しい3番手極美慎さんの2度目のバウホール主演作、そしてヒロインは宝皇女(皇極=斉明天皇)と知りこれはぜひ見たいと思いました。
宝皇女はその出自から即位、そして死に至るまで(なんならその子や孫に至るまで)謎の多い女性で、かつて私はその周辺の記紀の記述をなんどもなんども読み返してああでもないこうでもないと考えていました。

物語は齢60代の斉明帝(詩ちづるさん)が百済に救援をおくる決意をするところからはじまりました。
どうして大国唐を敵に回してまでも百済を救援しようとしたのか、その理由がこれからの物語となるようです。

百済と倭国の連合軍は白村江にて大敗。
そこから場面は数十年さかのぼり極美さん演じる百済の留学生智積が若き頃の斉明帝=宝皇女(寶皇女)と宮中で遭遇。Boy Meets Girl的に物語が動き始めました。
思いつめた様子の宝、これから高貴な人との謁見の場に向かう智積、これからどうなっていくのだろうと思っていたところ・・。
「推古天皇のおなーりー」に思わずずっこけました。そ、そうかこれはこういうわかりやすい世界観でいくのだな、と気を取り直して。(生前なのに諡号で呼ばれるのね、あいわかりました)

宝の最初の夫である高向王(颯香凜さん)が引き立てられて出てきたときは、よもや宝塚で彼の名前を聴くことがあろうとはと感慨一入。
彼は用明天皇の孫で両親については記紀にも記載がない人だけれど、名(諱)が示す通り渡来系の高向氏と関係があると思われます。宝とのあいだに生まれた子の名前も「漢皇子(あやのみこ)」で同じく渡来系の東漢氏と関係が深かそうです。
宝自身も、母方から見ると蘇我系の血を引く用明天皇と推古天皇の同母弟である桜井皇子の孫にあたるのでこの婚姻は妥当なものだったのだろうと思います。
高向王とは死別なのか離別なのかは記紀にも書かれていませんが、そののち舒明天皇の皇后に立ち、さらには自らが天皇になることになろうとは、若い宝皇女は思いもしていなかったのではないかなぁと思います。
舒明天皇(田村皇子)自身も、血筋からは蘇我とは無縁のように思われますが、蘇我馬子の娘や推古帝の皇女を娶っていたことで時の趨勢が彼の味方についたのではないでしょうか。
最初の婚姻が短く終わった宝皇女や年齢的に不釣り合いではないかと思われる推古帝の第3皇女を娶っていたこと、采女が生んだ子を皇子として養育していることなどたことなど、そういう一つ一つが女性である推古帝には信頼に足ると思われていたのかもしれません。訳がありそうな皇女を任せられるくらいには。
そんな舒明天皇ですが体が丈夫ではなかったのか、たんに夫婦で温泉好きだったのか、たびたび有馬や道後の湯に行幸しています。宝皇女は天皇になってからも白浜の湯を気に入っていたみたいなので、皇后につきあってあげていたのかな? そのせいかはわかりませんが、そんな天皇のもとで気持ちが緩んだのか群卿らは出仕を怠けていたと書紀に書かれています。政は専ら蘇我大臣まかせになっていたようです。

さてしかしそういうことはここでは置いておいて、舞台では宝の最初の夫である高向王は女性(妻である宝)に暴力をふるった咎で盟神探湯(くかたち)にかけられようとしています。熱湯に手を入れて火傷をしなければ潔白という裁判です。
ん?妻に暴力をふるったら罪に問われる世界観なんだ。歴史物としては新鮮だなぁ。盟神探湯ってこの時代でもやっていたのかな。

熱湯に手を浸けられ火傷を負った高向王を見て、智積が大王の玉座に駆けのぼり薬箱を掠め取って高向王の手当てをしようとする。智積の師である観勒僧正(悠真倫さん)の機転によって咎を免れるけれど、推古天皇めちゃくちゃ寛大じゃない? 歴史物としてびっくりな展開にちょっと心がついていかない・・。これはファンタジイとして見たほうがいいのかな。

自分の歴史観との折り合いがつかず初見の観劇はかなり苦戦しました。
渡来僧観勒僧正が開いた学堂がお習字教室だったり(暦とか政とかを学ぶのではないんだ)皇族と農民の子が一緒に学んでいたり・・やっぱり歴史物語というよりもファンタジイ寄りで見た方がいいのね。

ところで智積という名前は平松先生の創作かと思いきや、皇極紀にその名前が2度出てきます。「大佐平」という臣民として最高位の身分の人で、最初は舒明帝崩御の年に「大佐平智積が死にました」という百済弔使の従者の言葉でいわゆる「ナレ死」。
ところが翌年皇極帝即位の年には百済の使者として宮廷で饗応されたという記述があり、死んだんじゃないんかーい!ってかんじです。
平松先生はそういう謎なところから名前を採用したのかなぁ。

設定に関してはファンタジイだと割り切って見るのがいいとはわかったのですが、心を通わせ愛し合い未婚で生んだ子の育児を全面的に担ってくれていたイクメンのジェントルラバー智積くんのことを、かんたんに讒言を信じて拒絶してしまう寶に、えっ?と思いました。彼を信じてかばってあげないの?
そしてもしやとは思っていたけれど、やっぱりその子は中大兄か。
田村皇子に対して自分との結婚の条件として未婚で生んだほかの男性の子を田村皇子の実子として育てるよう要求する寶にも引いたけれど、自分の血を引かない子を皇子(しかも大兄)として育てることを承諾する田村皇子にも、いくら恋に目が眩んだとはいえ皇統の自覚はないん?と思いました。(いちおう中大兄皇子=天智天皇の血統が現在までつづいていることになっているんだけど・・いいのかなそれで・・まぁ記紀自体が誰かに都合よく書かれたものだものなぁ・・)

瀬戸内海の熟田津(愛媛県松山市)から小舟で朝鮮半島の百済にたどり着くことなど万が一にもないでしょう。蘇我氏の謀によってそれを強いられる智積。この船出は死にゆくとおなじこと。
ここまで自分や自分の家族に誠意を尽くしてくれる智積の命乞いを、なぜ宝はもっと中大兄を我が子として育てることを田村皇子に要求したとおなじ圧をもってしようとしないのだろう。物語全編をとおしてちょいちょい私は宝の気持ちがわからなくなりました。この決定を覆すために奔走することもなく、どうしてその死出をかくもやすやすと受け容れてしまえるんだろう宝は。
自分のためにこれから死に向かう智積に対して「(百済で)待っていてくれますか」とか、それから20年後にあたりまえだけど彼は百済に帰国することはなかったと聞いて「まだ迷っているのですね」とか、詩的に表現されてもそれはないんじゃない?と。
「帰る国(百済)がなくなっては困るでしょうから」というセンチメンタルで百済救援を決意することも。自分がために独り大海に漂流し果ててしまった人の死でうまいこと言わないでと。私はずっと宝に腹を立てていたように思います。あまりにも自分本位に思えて。
智積は納得したうえだったのかもしれないけれど、それは納得せざるをえなく宝がしたからですよね。
私的な感傷で国運を賭けた戦をするのも苦しかった・・。このあと多くの人々が亡くなったり捕虜になったり、国防のために家族から引き離され遠く壱岐対馬筑紫の防人となり故郷に帰れず悲しい歌を詠んだりしているのだけどと。

というかんじで呆然としたまま初見は終わってしまったのですが、2回目の観劇ではそういうことは一切考えないようにしてイクメン智積くんの美しさをひたすらに堪能しました。その美しさに釣り合う実力を身につけた極美さんに惚れ惚れとしながら。宝皇女を愛しそうにみつめる立ち姿頭のてっぺんからつま先まではいにしえの少女漫画もかくやと。美しく舞台に立つことの尊さをしみじみと感じました。
若くて無分別ですらある宝皇女と老年の域にいる斉明天皇を演じ分ける詩ちづるさんの確かな実力。貴女のせいじゃんと思いつつも、かつて智積が乗った小舟と百済に向かう倭国水軍の船の大きさの違いを嘆く彼女に感情を揺さぶられました。

理性的な青年皇族だった田村皇子が内面の阿修羅を表出し嫉妬の炎を燃やす姿、そして良心の呵責にやつれた舒明天皇としての姿を演じて見せた稀惺かずとさんも目を瞠るものがありましたし、その舒明天皇や主役である智積を追い詰めていく 蘇我入鹿役の大希颯さんも悪役としての気迫が素晴らしかったです。(稀惺さんと大希さんとで「あかねさす紫の花」を見てみていなぁと思いました)

威厳と美しさに溢れ、宝皇女にすすむべき未来を示唆する推古天皇役の瑠璃花夏さんも重要な役どころを絶妙に演じているなぁと感嘆の思いでした。高貴な女性としての身のこなしも素敵だなぁと思いました。
輝咲玲央さん演じる蘇我蝦夷はもう、見るからに腹の黒い悪しき大臣の役作りで、この人が表に出てきたら誰も太刀打ちできないんじゃない?と思いました。彼のひと言により策略を巡らした入鹿によって舒明帝も智積もまんまとやられてしまって・・陰で物語を動かす人でした。

智積の親友で同じく百済からの留学生の覚従役の碧海さりおさんは頼もしかったです。舒明帝の遺勅を奪うために入鹿が放った追手に襲われる智積と宝皇女たちのまえに颯爽と登場して敵を斬り払う姿は惚れ惚れしました。
親友である智積をあのようなかたちで失わねばならなかった彼の心中は、その遣る瀬無さを思うと胸が痛みます。
凰陽さや華さん演じる宝皇女の弟軽皇子は癒しでした。その存在に和まされついつい目で追っていました。

鳳花るりなさん演じる小鈴は演じるのが難しいだろうなと思いました。智積と宝が袂を分かつきっかけをつくる大事な役なのだけれども設定があまりにファンタジイで。
着ているものにしても母親が仏教に帰依することにしても国で最高峰の支配階級の若者たちが集い学ぶ場に被支配民の子が混じる設定も、飛鳥時代の「百姓」としての解像度が粗いわりに、物語の進行上担っている役割が大きくて、プロットからあまり肉付けがされていない感じだなぁと思いました。でも作者の社会的な関心が投影されているようなところもあって、肉付けし出すとと収まりきらないところを削る作業がまた膨大になりそうな役でもあるなぁと思いました。(そこが愉しさでもあるのでしょうけど)

小鈴が智積の日記を持ち出す動機として、「宝への嫉妬心を利用された」と描けば典型的でわかりやすくドラマになりそうではあるのだけれども、そうしなかったのが平松先生らしさなのかなぁと思いました。
そうであれば、そこに期待したいなぁと。私の世代では持ちえない新しい感覚の平松先生がこれから描かれていく物語のなかの別の「小鈴」をたのしみにしたいなぁと思います。
なによりもこのデビュー作で主役を魅力的に描ける才をお持ちだとわかりましたので(私が宝塚でいちばん望むことです)今後の作品も大いに楽しみです。
そして私は智積が宝皇女たちと愉快に宴会をしている様を夢に見ます。素敵だったフィナーレを思い浮かべて。

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