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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(3)LESS北山友之

2003年、中目黒ばん。僕は外様的感覚でこの飲み会に参加した。参加前はマシンガンを一人握りしめ戦地に赴くくらいの気分。おめおめ帰れないぞ!恥かく前に誰かの御首とってやるとか勝手な気合。だがそれは飲み会10分くらいで吹っ飛んだ。つまりはそう、会ったこともなかった同じようにTシャツを作ってきた人間が信じられないくらいいっぱいいて、もちろんWEB上では見ていたけれども、ああ、この独特のキャンバスに戦いを挑んでいたのは僕だけじゃなかったんだ、ちゃんと人がいたんだ、という感動があった。それくらい僕は大阪で、小さな部屋で孤独な戦いをしていた。乾杯の後の、酒がともかく美味かった。沁みた。

ここから飲んでいて記憶は少し曖昧だが、渋谷に店を構えていた「バックドロップ」から最初に挨拶された記憶がある。セレクトショップがいるのかよ、クラゲ(勝手な呼び捨て。まあ酔ってるから)半端ないなと。そこから「にきち」(老人のTシャツを作ってた)「ドロップキック」(プロレス系、グラフィック寄りだったかと)「悪意1000%」(漫画家こむらるなり氏のブランド)「レッドバズーカ(レッバズ)」(オモロ系でこの後天下を取るブランド)あたりと同じ席に。レッバズは中井氏だけじゃなく大和君(彼自身も別のブランドをやっていたがレッバズのデザイナーとしても参加していた)がいた記憶がある。あとは僕がずっとみていた「ちくわぶ」(オモロ系の重鎮、本業はキャッチコピーライターの岩田氏のソロブランド)。「ハンバーグ009」(97年結成のグラフィック寄オモロ系ブランド、おそらく当時一番アイテム数があった、彼らは名前の通り9人いると思ったら実は2人だった、ネット情報に僕はだまされていた(笑))。途中から「ハードコアチョコレート(コアチョコ)」のMUNEさんも来た。僕はTシャツラブサミットに参加したかったのに断られた的な話を速攻した。「1回目は規模の問題もあったんですよ。2回目はぜひ。」この言葉は素直にうれしかった。MUNEさんとは映画の話含めウマが合った。敵じゃなくこの人は遠くにいた戦友だった。ここから数年、コアチョコの何かのイベントがあれば僕は参加していたものだ。

しかし、ラブサミか、すごいなー。この人たちと並んで売ったら東京のお客さんは僕のTシャツを買ってくれるのだろうか?それよりなにより東京のお客さんと直で話ができて売ることができるなんて。いろんな気持ちが錯綜しつつ、酒量はとんでもなくなった。ともかく飲んだ。でもどこか頭は興奮していて酔いつぶれることはなかった。数時間なのに頭に焼き付くくらい。なんというかみんな暖かかった。そしてみんなも初顔合わせが多かったと聞く。なので来たみんな、僕と同じように楽しかったんじゃないだろうか?クラゲさんと後に話をするときも僕にとってこの日のことは外せない。この顔合わせがインディーズTシャツブームの始まりだったなんて、この時の誰が予見しただろうか?そして僕はここにいた多数のブランドのおかげでここから10年以上もの間、仕事でもどっぷり行動を共にすることとなる。ということで次回は初参戦Tシャツラブサミットの話をば。(4)へ続く

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