映し出された素晴らしき形骸
カリガリというバンドの、カメラ オブ スキュラという曲をきいています。
出会い、選び、別れ、巡る いいさそれで終わりならそれまでのこと。
だそうです。
きっと花村萬月のアイドルワイルド!のように全てを魅了していく偶像は、いずれ人を殺すでしょう。
私は職場が変わり、それまで私を悩ませていたストレスが無くなったと思いきや環境変化によるストレスで3日ほどまともに眠れていませんし、常に意識が朦朧としております。
それはともかく、スマートフォンのケースを数年ぶりに買ったので、せっかく透明だし何か挟みたいと思って中国からステッカーを取り寄せ、やっと中に挟むコラージュシート的なものを作ったのですが、向日葵と睡蓮を忘れていました。早急に手配します。
さて意識はまた飛びます。今日はそういう日なのです。
私は部屋の窓を真っ黒な布で覆って、そこへ小さな穴を明け、部屋ごとカメラオブスキュラにしてしまう計画を立てました。素晴らしい青空は嫌いですが、逆さまに映し出された世界なら愛することが出来る気がします。
結局、カリガリの14というアルバムを聞いています。かつてカリガリを好きだと言って薦めてくれた友人が自殺した後に出た死のアルバムです。聞いているといったものの、読んでいます。詩の話です。4。
宗教の脆弱さとは、唯一の信じる幻想が常に崩壊と隣り合わせにあるところにあります。
もうずっと遠くの方で、惨劇は繰り返すと、かつての宗教が歌っています。
偶像が目に涙を浮かべ、何か一生懸命に話しています。私はもう、ここから動けません。動きたくありません。
偶像というのは儚い。そんなことは何度も繰り返しこの拙い日記の中で称えていたのですが、私はもうそんな偶像を愛することしかできなくなってしまいました。
半年ほど前までは偶像にのめり込む自分自身を否定したりしていたのですが、もうそれも出来ません。偶像だって一生懸命に生きている泥臭い人間のひとりです。それは何よりも美しいです。
二人が偶像を続ける限り、私は崇拝を続けます。
私は今日も眠れそうにないです。
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