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揺れるイメージと「ブレる」自分
「いや写真ブレてんじゃん!」
出先で友人を写した時、突き返されたiphoneの写真は確かにブレていた。
カメラを少しかじったことがある方はわかるかもしれないが、ブレは基本的に撮った状況に対してシャッターの速度が遅いことが原因だ。
日中では手ブレ以外ではシャッター速度は十分なためあまり起きないが、特に夜では光を多く取り込む必要が出てくるためブレが起きやすい。
そのため、三脚で固定してブレを最小にしたり、ストロボを使って光を足してみたりするわけだ。
自分は、どちらかというとブレている人間だろう。
身の回りの小さなことにも影響を受けるし、それについて考えたり、リアクションしてしまう。揺れて、ブレまくっている。
それに疲れて、ブレたくないと思っても、それができない。やっぱりブレている。その揺れが自分の中からきているものなのか、外からきているものなのかもわからなくなるときもある。
写真は一瞬を切り取るものだ。その決定的な瞬間がクリアになるほど気持ちのいいストレートな写真になることは間違いない。
でも、写真で「連続」を表現することも可能だ。ブレればいいのである。
ブレればそこに残像が残り、光は線となり、新たなイメージを作り出す。
運動は流れとなり、イメージはそこに動きを取り戻す。
ブレを捕まえた時、その対象の奥深くにある、何かをさらけ出したような、そんな気がちょっぴりするのだ。
揺れていることは、必ずしも悪いことではない。
そこには運動があって、エネルギーがあるのだから。
それなら思いっきり揺れて、ブレてやろう。写真に焼きつくまで。そこからはみ出してしまうまで。
K
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