Wrapped feelings
感情にサランラップして保存しておけたらいいのに。
で、好きな時にまたそれを味わうことができたら。
当たり前の様に流れていく「ように見える」日常。
もう何が普通か、何が普通じゃないかわからなくなってきている。
ある夏、東南アジアの市場でビニールの袋に包まれた大きなテディベアを見かけた。無機質なビニールに包まれて店先に座らされていたのと、市場の熱気とカオスな感じも相まって、その大きなぬいぐるみは目を引いた。
なんとなく息苦しそうだし、でもそれでいいやと言っているようにも見える。足も曲がっちゃって息苦しそうなんだけど、なんとなく落ち着いている感じもある。気温も湿度もかなりあるので、中はかなり暑いだろうなと思うのだけど、それも気にしない涼しい顔にも見える。
怪訝な顔をしてこちらを見つめる店の女性を横目にシャッターを切った。
死んだフリしていたら引っ込みつかなくなってフリをやめれなくなったあの時。
起こしてほしい。でも起こされるとそこで終わり。
でも絶対に気づいてほしい。でも気づかれたくない。
ああしたいのに、こうしないといけない。そんな葛藤を繰り返しているうちにアレ、元々なんでこうなったんだっけとわからなくなる。
自分にラップかけて、一見守ってるように見えるんだけど、中から息できなくなっている自分がいることに気づく。
やっぱり感情はどこまでいってもナマモノなのであって、保存することを前提としてはいけないのである。
出されたら、そこで食べちゃう。
たとえ保存できても、再び食べようと思った時にはもう別のナニカに変わってしまっているのだから。
今そういうことができる場所が少なくなってきている。
やらなくちゃいけないこと、考えなきゃいけないことが多すぎて、自分の感情にラップして保存しがちだ。
自分の感情に巻く(wrap)なら可愛いリボンくらいにしといた方がいいだろう。もちろん可愛いぬいぐるみにも。
あんまりキレキレにデコるってのも考えものだけど。
K