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映画レビュー『ウエスト・サイド・ストーリー』スピルバーグのメッセージ

旧作を観たのは、40年近く前(数えてゾッとした)。
母は、この映画のチャキリスが大好きで、どこかで仕入れてきたVHSビデオをしょっちゅう家で観ていた。
その当時のわたしはマイケル・ジャクソンに首ったけだったので、「ちょっと古いな」くらいに印象をもっていた。
でも、それもそのはず。
マイケルの「ビートイット」は、曲名はもとより、ウエストサイドそのままなシーンも多い。
今比較して観れば、マイケルは、この映画のファンで、影響を受けて、1980年代に自分が表現するものとして仕上げてきたよねってことがよく分かる。

スティーブン・スピルバーグが自ら監督を務めた新作『ウエスト・サイド・ストーリー』を観る前に、前作の数々のシーンをYouTubeで観直したら、時を超えて心底チャキリスのファンになってしまった。
こんなセクシーな人いる!?
マンボのダンスとか、他の誰にもできない彼だけのスタイルがあって、本当にかっこいい。
リタ・モレノの圧倒的に華やかでパワフルなダンスに対して、チャキリスはキレッキレでクールで、何ともセクシー。
賞味たった3分くらいのダンスシーンを、チャキリスにドキドキさせられたいがために何度も繰り返し観てしまう。
オンタイムで観た人たちは、その時代にビデオなんかもなかっただろうけど、脳内再生してたんだろうか。
マンボに限らず、映画史上最も有名なシーンのひとつ、オープニングの足上げとか、アメリカの掛け合いとリフトとか、クールのカメラワークとか、本当にトキメキというか、官能というか、脳内快楽の多い作品が、この前作だった。

さて新作。
前作を観た人たちが魅了された、この数々のダンスの名シーンがなかった。
もちろんダンスシーンそのものはあって、前作より街中など大掛かりなセットの中で撮影されていて躍動感も見応えもあるのだけど、あの「ここ!ここですよ!」という決めのシーンがない。
まるで前作より観る価値のない映画のようにきこえるかもしれないが、全くそうではない。

この新作は、前作よりも具体的に、映画やこの街、このカルチャーの外にいるわたしたちが理解できるように社会背景を描いている。
だから、こんな縄張り争いがあったのかと腹落ちするし「アメリカ」の歌詞がスッと入ってくる。
ベルナルドの敵役チノの人物像が描かれていたり、前作でアニタを演じたリタ・モレノの役回りや、トニーとの会話のシーンからも、人物像とともに社会背景が伝わってくる。

わたしがいちばん「あぁ、こういう風に描くのか」と心に残ったのは「クール」のシーン。

前作では、ジェッツのメンバーが歌う曲を、新作ではトニーとリフが歌う掛け合いとして使っていて、すごく意味が濃くなったように感じた。
もちろん、前作のシーンは痺れるほどかっこよくて、マイケルもそらインスパイアされるよねって感じなんだけど、「ここでこう使うんだ!」という意志を強く感じたし、2人とこの映画の悲しさを描く需要なシーンとして、作品における意味が強くなった。
どうしようもないことをどうにかしようとするけどどうにもならない胸苦しさ。
もっとどうにかできるんじゃないか?ってことを観客に訴えているように感じたし、わたしの中の葛藤にものすごく響いた。

スピルバーグがこの映画の特別映像で語っていた言葉を参照してみる。

考えの異なる人々の間の分断は昔からあります。
ミュージカルで描かれた1957年のシャークスとジェッツの分断よりも私たちが直面している分断の方が深刻です。
人々の分断は広がり、もはや人種間の隔たりは一部の人の問題ではなくなって、観客すべてが直面する問題なのです。

なるほど、だから今リメイクした。
何も変わってねーぞ!
っていうメッセージを伝えたくて、このような構成にしたということ、多少饒舌なくらいに、リアリティをもってその部分を説明したということか。
この分断を溶かすのが「愛」だという位置付け。
わたしたちは「愛」という言葉にちょっと照れや距離を感じるけど、興味や関心と捉えてもいいと思う。

あー、もうちょっとうまくこの映画の価値を説明したいけど、今はこんなところ。
また書こう。
まだ言葉にならないことがある。

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