人生にぱっくりと開いているクレバスに落ちないように
落ちる穴を知る
今日は、前回の続きといきたい。
前回はヒトが生来持つバイアスのひとつ、「確証バイアス」について話を展開していき、例をひとつ示すにとどまってしまった。
なので、今日はもう何個かを自分の生活に即して、話していきたいと思っている。
まず、さらっと前回のおさらいであるが、「確証バイアス」とは、簡単に言うと、自分が得たい答えに沿った情報を得ようとするヒトが生来持っている傾向である。
自分の思い込みによって、偏ったものの見方をしてしまう癖ともいえる。
人には自分が信じるものを信じ続けようとする傾向があるのである。
これを理解した上で、自分の生活に潜む確証バイアスの「穴」を探り当てていくのが、最近の楽しみなのである。
例をあげていきたい。
血液型性格診断もそれに該当するだろう。
あれは、何の根拠もないもので、日本特有の文化みたいなモノであるという。
他の国では、遺伝子的に偏った血液型の分布になっていることもあるそうで、血液型性格診断など歯牙にもかけられていない。
日本人は血液型性格診断がとても好きな稀有な民族なのである。
民族揃って、あえて「確証バイアス」にはまっているともいえそうだ。
わたしも何の根拠もないと分かっていても、つい「あの人は何型だろうか?」、「A型だったら、そうなるよね」とか、「O型だったら納得するな」みたいに、今だに血液型診断をひとつの基準にして、人を見てしまうことがある。
エビデンス的に全く信憑性がなくても、ついその枠に当てはまるものがひとつでもあると、「やっぱりね」と悦に入ってしまうのは、確証バイアスの「穴」にはまっている証左であろう。
ドライフルーツや干し芋が自分にとって健康とは限らない
次の例といきたい。
ライフハック系の本を読み込んでいると、お腹が空いた時の間食として、ドライフルーツや干し芋を推奨していることがある。
クッキーやお菓子などの超加工食品を食べるよりも健康的だからとおススメされていたりする。
これも鵜呑みにしてしまうと、簡単にその「穴」に落ちてしまう。
わたしは以前、wellnessには〝血糖値コントロール〟が重要であると思い、自分が食べたものがどう自分の血糖値の推移に反映されるかが知りたくなった。
そこで、持続血糖測定器をカラダに備え付けて、約3ヶ月ほど、血糖値をモニタリングした経験がある。
そこで判明したのが、ドライフルーツや干し芋は比較にならないくらいに抜群に〝血糖値スパイク〟を引き起こすということ。
血糖値スパイクとは、糖質の摂取により急激な血糖値の上昇が起こった後、大量のインスリンが分泌されることで血糖値が急降下することである。
血糖値の推移を追っていくと、急峻な山を描くことから血糖値スパイクと呼ばれている。
この血糖値スパイクは、血管を傷つけたり、カラダを糖化させたり、慢性炎症の原因となり、カラダの老化を促進させたりする。
ドライフルーツや干し芋は干すことで水分が抜けて凝縮し、栄養素がそこにギュッと詰まることになるので、少ない量でもその分、そこには糖質がふんだんに詰まっていることになる。
持続血糖値測定器を用いて24時間モニタリングしなければ、発見出来なかったことである。
結果論的には、分かりきった単純なことではあるのだが。
モニタリングでわかった後だから、想像しやすくなったのだが、ドライフルーツや干し芋の干される前の100gと干された後の100gは水分が抜けただけで、含有する栄養素は同じである。
水分が抜けて干された分、小さくなっており、つい食べすぎてしまう傾向にある。
結果、血糖値スパイクを起こしやすい食材となるわけである。
もし、持続血糖測定器を使っていなければ、確証バイアスによって、自分が信じたいことを信じており、ずっとドライフルーツや干し芋かwellnessな食材だと信じてやまなかったと思う。
ただ、ドライフルーツも干し芋も栄養がふんだんであることには変わりはない。
ただ、満足するには血糖値スパイクが起きる量を食べてしまいやすいということである。
少ない量で満足できる人にとっては、最適な間食かもしれないが、自分にとっては、例えばドライイチジクだったら1粒、干し芋でも、細長い形状のものを一切れ食べただけで、容易に血糖値が跳ね上がったから、自分にとっては最適な食材ではないということである。
美味しいラーメン店の秘密
次の例はこちら。
行列が出来ているお店を見ると、さぞかし美味しいものを提供するのだろうと考えるのは、皆んな同様だと思う。
わたしは、以前に新宿で評判のラーメン屋に行った際に1時間ほど行列に並んだ経験がある。
そのラーメン屋のことは以前から気になっており、ずっと一度は行ってみたいと思っていた。
そこで、知り合いと一緒に行ったわけである。
行列に並んでいる時に、自分の番が来れば来るほどに想像力が高まり、期待値が天井知らずにグングンと跳ね上がっていくのを感じていた。
そして、いざ自分の番となり、店の中に通されて、一番人気のラーメンを注文する。
しばらく待ったのちに、待ちに待った待望の人気ラーメン店の一番人気のラーメンが目の前に。
そして、知り合いと目を見合わせて実食となる。
「ん?」
しかし、食べてみると、自分も知り合いも同様の事を考えているのが、目を見れば分かる。
黙々と食べ進め、食べ終えた後に店を出て、開口一番、
「全然、美味しくなかったよね?」
「そこらへんの、どこにでもあるラーメンだったな」
「なんであんなに行列してるんだろう?」
という感想だったのである。
これも自分の目の前にある「確証バイアス」にまんまと陥っていたのだなと、振り返ってみて初めて理解できるのである。
テレビや雑誌で見かける、散々とその店のいい評判のみを信じてしまい、行列に並んでいる間も、そこまで評判なら間違いないはずだ、どれだけ美味しいラーメンが食べれるのだと勝手に期待値を上げてしまい、もしかしたら自分にとって口に合うとは限らないとか、評判通りとは限らないとか、期待値を上げすぎることが本来の味を損ねてしまうかもしれないとは一切考えなかったのである。
まさに実際にラーメンを食べる直前までは、〝自分が信じるものを信じ続けようとする〟、確証バイアスの傾向にハマっていたのである。
まっさらの状態で食べたら、さぞ美味しかったのかもしれないが、何層にも及ぶフィルターが邪魔をした結果となったのである。
こうして見ていくと、至る所に確証バイアスとは散りばめられているものだなと思う。
この確証バイアスは頭が良かったら避けられるもの、知っていれば罠にはハマらないものと思っていたら、そんな単純な話ではないらしいのである。
ヒトの進化的に必須のバイアスであるからして、避けては通れないものだという。
大事なのは、自分が「確証バイアス」の穴にハマりやすい傾向にあるという認識をすることが第一歩なのである。
自分は大丈夫だよって思いがちである。
そんな自分こそ、まんまとその「穴」に落ちやすいのだという。
しっかりとヒトが持つこの習性を認識した上で行動していきたいものである。
皆さんひとりひとりにとっても、生活に即したバイアスがきっとあるはずである。
それを振り返ってみるのも一興なのである。