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『芸術』に親しんでもらうための説明は少し難しいくらいがちょうど良い。

芸術鑑賞は難しい?

芸術の話をすると「難しい話」と敬遠されそう。
誰もがそう思っていませんか?

そうとも言えるし、そうではない部分もあります。
確かに作者のプロフィールとか、作品の背景とか、歴史のうんちく話とか、何かと知識が必要っぽくて、すぐに鑑賞することが許されない。
ハードルが高くて、面倒くさい。

でもこれが仕事の話ならどうですか?
新しい仕事に就きました。仕事の仕方を教わります。
「う~ん、難しいな。面倒くさいな…」
そんなこと言う人ってどうでしょうか?

「趣味と仕事は違うよ。仕事はお金もらえるじゃない。」
「こちらは単なる趣味で、お金を払う側。なんで難しいことを我慢しなきゃいけないの?」

いやいや、仕事でお金がもらえるのは我慢したからではなく良い仕事をしたから。そして良い仕事の仕方は頑張って学ばなければ身に付きません。
趣味にお金を払うのはその世界への入場料。中で楽しめるかどうかはその人次第です。

芸術鑑賞も仕事も楽しみながらやれるとしたら?

仕事が嫌な人もいれば、楽しみながら仕事をしている人もいます。

「いいよね。そんな仕事に就けた人は。」

仕事は生きるために仕方なくやっている人もいます。
でも趣味は自分で選べるじゃないですか。
仕事は人を選びますが、趣味は人を選んだりはしません。

本当に楽しそうな仕事って何ですか?
真面目に考えてみてください。

海外で活躍する仕事、クリエイティブな仕事、ものを自分で作り上げる仕事、経営や投資、マーケティング、研究や開発...

そう。難しい仕事です。
専門的な知識が必要で、ハードルが高くて、競争が厳しい仕事。
やりがいがあって喜びも多い仕事は難しい仕事。
みんなわかっているんです。

『芸術鑑賞』という趣味もこれと同じで、やり方は難しいけど喜びはとてつもなく大きいものです。
でもこちらは何歳からでも始められて、学ぶ方法はたくさんあり、来る者拒まずで、競争なんてありません。
こんなに寛容な世界を「難しそうだから」という理由で敬遠するなんてもったいないと思います。

“感動”がお金みたいに流通できたら?

芸術鑑賞は“感動”という、お金とは違うご褒美を私たちに与えてくれます。
でも日本でこのご褒美の価値があまり理解されないのは、お金と違って流通しないからでしょう。
日本人は感動を自分の心にしまっておくだけ。つまり“タンス預金”と同じで、本来の価値を失ってしまっているのです。

お金は流通することで価値が増大していきます。
“感動”もまた人々の間を流通することで、その価値を高めていけると思います。

「でも流通って、どうやって?」

アーティストが作品を作る。
人々がそれを鑑賞して感動する。
発信力のある人や私みたいなこだわり屋が作品の魅力を不特定多数の人に発信する。
興味を持ってくれる人が増える。
そんな人たちの間で感想を語り合ったり、情報交換をするようになる。

“感動”が他の人に受け渡され、広がり、価値が高まって、手にする人が増えて、芸術が人々を豊かにしていく。
私がイメージする“感動”の流通とはこんな感じです。
それはつまり経済の発展と同じ仕組みなのです。

芸術を易しくする必要はない。

芸術鑑賞を工芸品作りに例えてみましょう。
職人さんは材料のことをよく知っている必要があるように、私たちは芸術作品に関して知っておく必要があります。
工芸品を作る手順を身につけるのには修業が必要なように、真の感動を得るには繰り返し作品に触れる必要がありますし、見聞きするポイントを知っておく必要もあるでしょう。

「感動は自然に起きるものだ」と言うのは「職人さんは工芸品をただ無心で作っている」と言うのと同じです。
でも職人さんは決して最初から無心なのではなく、知識と訓練によってそれができているのです。
そんな職人さんの仕事と同じで、芸術鑑賞も自然にできるものではないし、簡単にできるものでもありません。
むしろ説明内容を簡単にしたり、取っ付き易いイメージに見せたりするのでは本当の鑑賞眼(耳?)は育たないと思うのです。

ところが「わかりやすい芸術の説明」と言われるものを見てみると、なぜか薄っぺらいものばかりになってしまうように思えます。
それだと芸術に触れた時の感動が伝わりません。
なぜ芸術に触れてもらうのに妙にポップなアレンジをしたり、取っ付きにくさを取り除こうとするのでしょうか?
芸術の魅力とは、何ならハードルの高さなのではないのでしょうか?

私が芸術を説明するなら

芸術への啓蒙活動に関わった事もない私が偉そうなことを言っては叱られるかもしれませんが、私は芸術のハードルは決して下げたくはありません。
芸術はハードルが高いから魅力的なのです。

ただし人を寄せ付けないことが魅力なのではなく、一度ハードルを越えた時に見える景色がスッと先まで果てしなく広がっていることが魅力なのです。
それに気付いてもらうことが芸術を好きになってもらう良い方法だと思っています。

ですが芸術には多くの知識が必要だし、面白さも正直わかりにくいです。
ですから私はハードルを下げるのではなく、ハードルを乗り越えるサポートをしようと思いました。
具体的には私が面白いなと感じた“プロセス”を丁寧に説明することで、皆さんにも感動を追体験してもらおうという、若干押し付けっぽい方法です。

私はくどい説明になってもいいから、感動に至るまでの頭と心の動きを丁寧に伝えていきたいと思っています。
それは私の個人的な経験を語るだけになるかもしれません。
でもそれが最も感動を伝えられる方法だと思うのです。
そうして真の感動を多くの人たちと分かち合い、芸術への理解が日本全体に広がっていくことを願って、私はここで記事を書くことを始めました。

ですから皆さん、ぜひこの『セレマ学院』を応援してください。
よくわからないこともたくさん書くと思いますが、それだけ独特な感性で書かれているとおおらかな気持ちで読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

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