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オペラの魅力➁『驚き』(後編)

オペラの魅力を『驚き』という観点から見ていく記事の後編です。
前編を読んでいない方は先にこちらからどうぞ。

神の国の音楽の圧倒的な美しさに驚く

宮廷でポストを得たいモーツァルトのために彼の妻コンスタンツェは夫に内緒で彼の自筆譜を持ち出し、彼がいかに才能があるかをアピールしようとサリエリ邸にやってきます。
モーツァルトの自筆と聞いてサリエリは慌ててその楽譜を読み始めます。
そこには数々の恐ろしく美しい曲が書かれていて、しかも書き直しの跡が全くありませんでした。
そして最後の曲を見た後に彼は呆然として楽譜を手から落としてしまうのです。

その曲とは『大ミサ曲 ハ短調』より第一曲 キリエ(Kyrie)
この作品は父親の了承無く結婚したモーツァルトが、歌手でもある新妻に大事なパートを歌わせて父親に結婚を認めさせようとして作曲したものだそうです。
『アマデウス』のこのシーンにはサリエリでなくとも誰もが呆然としてしまうでしょうね。

直前で静かに低い声で歌っていたソプラノが突然に輝くような声で“Christe eleison(キリストよ 憐れみたまえ)”と歌い始めます。
それは突然何かに目覚めたかのようです。
しかもそのメロディは美しすぎます。サリエリが語るようにそこには「神の国」が存在して見えます。
それは科学的には証明できませんが、音楽を通して私たちにも間違いなく見えるのです。

この音楽の素晴らしさを私はうまく説明できません。
ただただ頭(こうべ)を垂れて聞き入るのが精一杯です。

「馬鹿げた」内容に付けられた奇跡の音楽に驚く

サリエリは単なる鑑賞者ではなく、自らも音楽で神を讃えようとしたクリエーターですからモーツァルトの才能を嫉妬せずにはいられませんでした。
彼は体を壊しているモーツァルトをさらに追い込むために、匿名で急ぎの作曲を依頼します。
そしてサリエリが「奴め、必死で作曲していることだろう」と思っていると、スパイとしてモーツァルト家に送り込んだ女中から別のオペラを作曲していると報告を受けるのです。

異常な情熱で作曲に打ち込むモーツァルトの姿に恐れをなし、スパイの仕事を辞めさせてほしいと泣きながら懇願する女中にサリエリは驚いて再度聞きます。

「奴は別の作曲をしているのか?」
「しています!馬鹿げたオペラを!」

その女中の台詞と重なるように、その時作曲中のオペラ『魔笛』序曲の冒頭の音楽が鳴り始めます。

…なんということでしょうか!
モーツァルトが命を削りながら取り組んでいた「馬鹿げたオペラ」、それは彼が作曲した中でも最も素晴らしい音楽でした。

『魔笛』は大衆のために舞台を提供していたシカネーダー一座のために作曲したオペラです。
フリーメーソンの思想を連想させる内容のおとぎ話で、いろいろと突飛な内容の試練を経て主人公が成長していくストーリーとなっています。
現代の冒険モノの映画のような設定ですので私たちにはあまり違和感はありませんが、確かに荒唐無稽というか、勢いで思いついたプロットの感は否めません。
それもそのはず。台本は素人(一説にはシカネーダー自身)が書いたとも言われています。

そんなオペラ『魔笛』の序曲はゆっくりとした序奏で始まりますが、それはもう素晴らしいの一言です。
この序奏だけでも人類史における最高の音楽だと私は秘かに思っています。

「智の殿堂」を表すかのように荘厳な出だしから、おとぎの国の夜明け前の暗闇、迷い、不安、息遣い…
そしてほのかな光に気づいて、顔を上げると…
そんなシーンが目に浮かんでくる音楽です。

この短い音楽の中にどれだけ多くの情感がこもっているのでしょう。
モーツァルトは既に悪化していた体調を押して『魔笛』以外に別の作品をいくつも同時進行で作曲していたのに、これだけの素晴らしい音楽はどうやって生まれてきたのでしょうか?
彼は『魔笛』を作曲した年に亡くなってしまいますが、自分に死が近いことを予感はしていたのでしょうか?悲しくはなかったのでしょうか?

このオペラの中では本当に美しい、というか「素直」で「純粋」な音楽が奏でられます。
それは“奇跡の音楽”と呼んでもいいでしょう。そしてこの奇跡の音楽は『魔笛』の劇中でも幾度となく現れてきます。
モーツァルトは「いつでも再現できる奇跡」を音楽によって生み出しました。
そのおかげで私たちは今でもその恩恵に与ることができるのです。

超絶技巧を初めて聞いた当時の聴衆の気持ちを想像して驚く

モーツァルトが命を懸けて作曲したオペラ『魔笛』は無事大当たりします。
聴衆はシカネーダー一座の常連である“庶民”です。
彼らはそれまで主流であった貴族趣味のオペラ、神話や歴史の物語で難しいテーマのオペラよりももっとわかりやすいものを好みましたが、そこへかつて皇帝さえも唸らせた一流の作曲家モーツァルトが音楽を提供したのです。彼が用意した音楽はとてもわかりやすいのに完成度はとても高いものでしたので聴衆は大喜びだったでしょう。

『アマデウス』の中では悪役の「夜の女王」が娘の「パミーナ」に宿敵を暗殺するよう唆す有名なアリア復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』が取り上げられています。
モーツァルトの自堕落な生活をなじる姑(コンスタンツェの母親)のヒステリーぶりに、このアリアの超絶技巧のシーンが重ね合わされます。

コロラトゥーラ』と呼ばれる華やかな歌い方を駆使した、これまでにない本格的なアリアに生まれて初めて接した聴衆の興奮がリアルに描かれています。(この記事のアイキャッチ画像もそのシーンです。)
この世のものとは思えない激しい表現に客席の老婆は両手を挙げて驚いていますし、休日を取って見に来た使用人かお針子らしき若い女の子たちも立ち上がって拍手をしています。
もちろんこれは現代の映画の中のシーンですが、実際に当時もこんな大興奮する聴衆の姿が見られたと思います。

私たちも素晴らしいオペラ作品を見聞きした時はこのように感動を表現できたらいいですね。
現代の劇場でこんなに騒いだら周囲から顰蹙を買ってしまうでしょうが、こうしたワクワク感こそがオペラの本当の魅力だと思います。
外国では野外イベントとしてオペラやコンサートを行うこともあり、そこでは観客もかなりオープンな感じですので『アマデウス』の観客たちと似た雰囲気を楽しむことができるかもしれません。

オペラで「心地良い驚き」を経験してほしい

現代では高尚な芸術だと思われてしまっているオペラですが、初演された当時はほとんどの演目が聴衆のレベルに合った内容のものでした。難しい顔で鑑賞するものではなく、『アマデウス』のシーンのようにかなりエモーショナルなものだったのです。
モーツァルトの作品に限らず優れたオペラにはこうしたハッとするような、興奮させる、心に沁みるシーンがたくさんあります。普段の生活や現代の娯楽作品では感じられないほどの激しい心の揺さぶりをオペラは経験させてくれるのです。
それは一言で言うと「心地良い驚き」とでも呼べるものでしょうか。そうした感覚を最も強く感じさせてくれる娯楽がオペラだと私は思います。
皆さんもぜひこの驚きに満ちたオペラの世界を堪能してみてください。


長い記事でしたがお読みくださりありがとうございました。
オペラの魅力としては別に「ノスタルジー」を挙げた記事も書いています。
ぜひこちらも読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。


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