「正解」は誰が決める?
昔よく見ていたお笑い番組。
芸人がなにかするたびに
「笑い声」が流れていました。
断定はしませんが
おそらくあれは録音。
そして私は
そうだと思っていても
「つられて」笑っていました。
もちろん、笑い声がなくても
十分おもしろいのですが、
笑い声がなければ
笑っていない場面もたくさんあったように思います。
■ファーストペンギンは、
リスクを恐れずに挑戦する人
のことを指します。
続いて海に飛び込むペンギンは
雪崩のごとく。
おそらく後方にいるペンギンは、
「安心して」海に飛び込んでいることでしょう。
警戒や不安
を抱くことなく行動できるのは、
たくさんの仲間がそうしているから、
です。
条件反射的
といってもいいかもしれません。
■あなたが
渋谷の交差点を渡るとき、
交差点の真ん中で
ひとりの男性が上を見上げていても
あまり気にならないかもしれません。
でも5、6人が上を見上げていたら
どうでしょうか?
私なら間違いなく
立ち止まって上を見てしまうはず。
この状況下では
けっこうな割合の方が、
私と同じことをしてしまう可能性
があります。
■某銀行前に行列。
それをみた人が次々に列に並び、
ATMからお金を引き出そうと必死になっています。
「銀行がつぶれる」
「今のうちにお金を引き出さないと」
という噂は
あっという間に広がります。
ところが銀行はつぶれませんでした。
渋滞によって遅延していたバスを、
多くが銀行前のバス停で待機していたのを、
誰かが勘違い、
そして根も葉もない噂を広めたために起きた事件です。
■去年、
影響力の武器という本を読みました。
けっこう分厚い本でしたが、めちゃくちゃ興味深く、
あっという間に読むことができました。
そこにかかれていた「社会的証明」
人は他の人たちが何を正しいと考えているかを基準にして物事を判断する。
情報があふれた現代社会では特に、
この原理が役に立ちます。
いろんな情報を精査する必要はなく、
みんながそうしてるなら、
それが正解だと、
近道を利用できるからです。
思考の近道は時間の節約にもなり、
いそがしい現代人にとってなくてはならない心理となりました。
「にぎわい感」
をいかに演出できるかは、
いまやマーケティングの肝。
職人気質で
「いいものを作っていれば売れる」とは過去のもの。
いいものをつくるのは当然のこととして、
いいものをいかに人に届けるか?
人が殺到している状況(雰囲気)
をいかにしてつくり、
周知させるかによって
売り上げは大きく変わります。
■多数決。
ビジネスにおいて
多数決を採用するのは安全策なのかもしれません。
AとBとCとDのデザイン候補があったとして、
それを多数決で決めれば民主的。
そのデザインによって
商品化したものが売れればOKだし、
失敗しても誰の責任でもありません。
そして上述の原理に従えば、
多くの人は多数決で決まったデザインを
「正解」
だと考えてしまう。
それが、
市場のニーズにマッチしているかどうかは
別物であったとしても、です。
多数決に参加した人たちが
めちゃくちゃ優秀で、
市場調査をしつくして、
さらに考えられるあらゆる勉強をして、
人々の需要を洞察したうえで
決議されるのであれば話は別ですが、
そうでもないかぎり
大多数の意見に盲目的に賛同するのは
なんとなく危険な気がします。
■3人の「サクラ」
が扉に背を向けて立っている
エレベーターに、
ひとりの被験者が乗るという実験では、
最初は戸惑いを見せて、
おかしいと思いつつも
少しずつ体の向きを変えて
結局、被験者も
後ろ向きになりました。
人は群れと同じ行動をとったほうが
安心できるというのは本能であり、
生きていくうえで通常
それは悪いことではありません。
でもときとして、
それは直観的、経験的に
おかしいと思っていても、
積極的に支持する原因になってしまうので、
ビジネスの場などではリスクが伴います。
ある社員が、
チャレンジングな企画を考えたとしても、
「30人もの管理職が承認したんだから失敗してもオレの責任じゃない」
という意識とともに、
当事者意識は薄れてしまう。
仮に成功しても、
自分でやったという意識
を持ちにくいので、
やりがいは感じられないかもしれません。
■良し悪しではなく好みの問題、
好き嫌いの話をしています。
だから多数決が悪いとか、
大勢の人の意見に従うことが間違っているとは言いません。
好みの問題として、
私はこの社会的証明の原理を
ビジネスに持ち込むことに疑問を感じます。
リーダーである社長が、
いろんな人の意見を聞いた上で
最終的には「こっちにいく!」といって、
極端な話、みんなの意見を
全部無視してでも
自分の信じる道にみんなを連れて行くほうが、
私は好きです。
多数決では
なんとなく責任の所在があいまい。
でもリーダーが決めるのであれば、
リーダーが全責任を負います。
仲間や社員だけではなく、
その家族にも影響を及ぼすかもしれない自分の決断を、
決断したあとの絶え間ない努力によって
「正解にする」
こういう人にあこがれてしまいます。
繰り返しますが、
多数決も社会的証明の原理も尊重します。
ですが好きなのは
リーダーの「決断」です。
リーダーの「ビジョン」
といってもいいかもれませんね。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!