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夢を持てるか、想像できるか、可能性を信じられるか?


高度経済成長を経験して、

米国につぐ世界第二位のGDP
を記録した日本。

その後はバブル崩壊、
失われた20年(30年?)を経て

緩やかに右肩下がりの経済状況
におちいってもなお

何不自由なく生活ができる環境は
私の目を曇らせていました。

7人に1人の子どもが
「貧困」にあると指摘するデータに衝撃を受ける。

絶対的貧困という、
目に見えて明らかに貧しいというものではなく、

相対的貧困とされる人々は、
G7で米国についで2番目に多い。

人間関係が希薄化し、
ご近所さん同士の助け合いは、

ゼロではないにしてもかつてのような密度は
もはや取り戻せないのかもしれません。

加えて周りの目、

周囲の評価を過度に気にする社会、
いや気にせざるを得ないといった方が適切か?

生活保護を受ける割合が極端に低くて、
貧困家庭の進学率は低いまま。

学歴によって将来の収入が
ある程度決まってしまう日本社会において、

貧困家庭の再生産という
負のサイクルはなかなか改善できません。


■物質的な貧困だけではなく、

精神的な貧困
見えないところで人々を苦しめてはいないか。

生きる目標や
あるべき未来を見失ったまま、

余りある豊かさに取り囲まれて
閉塞感と絶望を強いられていないか?


お小遣いが入ったら

どんな服を買おうか?
ネットで調べているときは楽しくて、

ほしいものがあるとき、
多くの場合「想像」しているときが

私にとって一番幸せだったりします。

幸福感を覚えるとき、
ほとんどの場合その隣に「想像力」というものが

影のごとく寄り添っているものです。

目標や希望、
夢があれば次にどうしようか?

何をしようか?来年は?
今月は?今日は?

次への発展の余地が残されているとき、
次の想像力をかき立てる余地があるとき、

しんどいときでもあとちょっとだけ
私はがんばれます。

物質的な豊かさもさることながら、
精神的な幸せを手にしようと思えば、

心の中で「想像力」という酵素を
十分に作用させる必要があります。

逆にいえば、

物質的に豊かであったとしても、
想像力という酵素が不足していれば、

豊かさの中で
窒息してしまうかもしれません。


■可能性とは

それがまだ実現していないからこそ
可能性というのであって、

その時点では想像の中にしか
存在していません。

でも、実際に手に入れてしまって
可能性が塗りつぶされた状態より

まだ何も実現していないけど
可能性が感じられるほうが至福感に満ちています。

モノや情報が無制限でかなえられてしまうと
想像力という酵素は分泌されません。

そしてこれもまた
現代人がかかえる貧しさ、不幸の根源。

人間を殺すのは実は絶望であり

どんな困難があっても
どこかに活路があると信じられれば

驚異的な力によって
生き抜いていけるもの、それが人間の力です。


■代表とともに

毎日もがきながら経営する
スポーツクラブ

えらそうなことばかり言ってますが
そうそううまくいくことばかりではありません。

ですが希望や明るい未来だけは
ちゃんと想像できている。

そこに
確固たる可能性を感じることができます。

うまくいかなくても
もちろんうまくいくときもありますが

何が起きても明るく前向きに仕事ができるのは
可能性を感じられるからです。

かつてほど強力で、人々を動かす
みなで共有できる大きな物語

人によってはあるかもしれませんが
多くの人が想像できなくなっていないでしょうか。

でも私たちサロンメンバーは
毎日ワクワク、高揚感をいだきながら

クラブが紡ぎ出す出来事に
一喜一憂しています。

生きる力をわきあがらせてくれる想像力
ともに築き、大きくしていく仲間を探しています。

もし興味があれば
ぜひ連絡してください。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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