人間は合理的ではない生き物
「ホモ・エコノミクス」とは、もっぱら経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動するとした人間像のこと。人は元来、とても合理的で、完全な情報と計算能力をもっていて、常に自分の満足度を最大にするように行動しているという考え方です。
この言葉の意味を知ったとき、「これは私にはあてはまらない」と思いました。買い物などは、「いつもの店」ばかり。洋服しかり、食料品しかり。経済合理性に基づいて行動していたら、より安いお店を探すはずです。スーパーでも「いつもの総菜」ばかり手が伸びていましたが、2階にはもっとコスパのいい食材が並んでいることに最近気づきました。
わずか数分の移動すら面倒で、経済合理性を無視して「いつもの」に落ち着いてしまう。お金より、時間とか安心感を優先してしまうのかもしれません。いずれにしても私は、「ホモ・エコノミクス」という属性の外にいる人間、しかも割と少数派という認識でいました。
ところが、「ホモ・エコノミクス」の人間像を否定する科学的な論証を目にすることが増え、実は人類は、情報を十分に利用しなかったり、冷静な計算ができなかったりして、合理的ではなく直感的な意思決定をすることが多い、という説が出回るようになりました。
選択肢が三つあると、たいていの人が真ん中を選んだり、比べやすいものだけを比べて、比べにくいものは無視する傾向があったり。人間の意思決定は、理論的な思考の結果や確率計算に基づくのではなく、代表的なものに依存してしまう「代表性」、想起しやすいものに飛びつく「想起性」があると指摘されるようになりました。
「盲目的な一貫性」とは、ある問題に対して自分の立場をはっきりさせ、強い一貫性を持つ態度のこと。複雑な現代社会を営む上で「思考の近道」を提供してくれます。つまり、ある問題について必要以上に考えることなく、日々出会う情報の嵐を取捨選択できる強い力のこと。
スマホの通知には、LINE、Gメール、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなど多岐にわたります。その他、ショッピングアプリをダウンロードしていれば、ひっきりなしにスマホがバイブして私たちの集中力を削いでいきます。買うか買わないか、返信するかしないかなどをひとつひとつ丁寧に、吟味して意思決定していたら精神的に疲弊してしまいます。
晩ご飯を買いにスーパーによるときは、たいてい疲れ切っている私。仕事を終えて、その帰り道にあるお店によるときはすでにくたくたです。なので「いつもの」に直行して脳を使わないようにしているんだと思います。数メートル歩けばもっと安い総菜があることを気にするより、「いつもの」が楽で、安心感があります。
特別だと思っていた私の性格。でも実は人間は、慣れ親しんだ行動に従う安心感を重視。合理的ではなく直感で行動していたとしても、「いつもの」が示す通り、一定の「法則性」があるようです。スマホでも同じ。提供される情報が増えると、人は「情報過負荷」となって意思決定麻痺に陥り、買うのをあきらめるといわれています。
したがって最近に企業は人の嗜好に合わせたアルゴリズムの開発に躍起になっています。「選択肢過多効果」といわれ、数百、数千の潜在的候補を、時間や場所といった条件(コンテクスト)に合わせて最適化された顧客に絞って情報を配信しています。
かつては、各社から届くメルマガなどのプッシュ通知に不快な思いをしていたはず。ですがミレニアル世代やZ世代の約半数は、何らかの見返りが得られるのなら情報を進んで提供すると回答したアンケート結果があります。広告は煩わしい、のは変わりありませんが、情報は逃したくない。そんなニーズが見え隠れします。プライバシーには敏感でも、個人情報を「取り引き」する若い世代は確実に増えています。
それもこれも、検索が人を消耗させるから。常に疲れている私たちは、「画面で最善の正解が真っ先に目に入ることを望む」ものです。そもそも合理的ではなく直感や日常的な一貫性に頼りがち。その特性をつかんでいるからこそ企業は、位置情報などを生かしたマーケティングに投資して、莫大な利益をあげることになりました。
テレビCMの契約金額が、ネット広告に抜かれたのはかなり前だと思いますが、今や「位置情報」をプロモーションにした広告が、全体の39%を占めるようになりました。いつのまにか多く支払っている私たちですが、ストーカーされて売り込まれている感じがなく、むしろ快適でどこか自分専用のコンシェルジュがそばにいるような感覚を覚えます。
久保大輔