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スポーツの「現場」と「学問」はなぜ融合しづらいのか?


キャリアのポートフォリオ

が注目されるのは
今に始まったことではありませんが、

僕もそれなりに
危機感をもって意識してきました。

海外に留学したことも、
サッカークラブで10年間働いたことも、

現在エンタメ業界に関わっていること、
博士号の取得を目指していることもそう。

自分なりに、
経験を組み合わせることで

これから訪れるであろう
激動社会に対峙して、

力強く生きる力を備え、
同時に自らのミッションを達成したい。

そんな思いもあります。

教育者、研究者、そして経営者として働き、
サッカーを通じて社会に貢献すること。

このミッションをかかげるようになったきっかけは
現場と学問の乖離。

スポーツの現場
で働いている人たちは、

実践に裏づけられた経験
をもって仕事をしている一方で、

学術の世界で活躍する人は
実践経験が乏しい。

しかしながら現場の人は
業務や経営について

「なぜうまくいったのか」
もしくは「なぜうまくいかなかったのか」について

言語化することができず、
(言語化することが優先されず)

再現性という意味では
物足りない面も。

そこは研究に培われた論理をもつ
学者に一日の長がある。

単純に、双方が融合すれば
すごいことになりそうだが、

歩み寄る気配は今のところ
一向に感じられません。


■僕は一応、

サッカークラブに転職するまえに、
スポーツビジネスを学んでいたこともあって、

現場と学問が
折り合いにくい関係であることは

なんとなく
肌感覚で気づいていたものの、

ではどうすれば問題を解消できるか
について

今ほど積極的に
考えることはありませんでした。

ただそんな中でも、

本を読んだり、セミナーに通ったり、
コンサルを受けたり、

結構な額を学びに投資し続けながら
現場で汗をかく日々。

具体と論理の往復運動
粛々とくり返していました。


■結論からいうと、

数多い実践経験と、
多くの文献や書籍を読み
たくさんのコンサルを受けて感じた

「問題意識」

が転職や進学
を決断させたわけですが、

現場経験を分厚くしつつ
博士論文を書いたあと、

学者として
研究を続けるかたわら

できればクラブの経営層に入り
現場で実践を続けることで

僕が「橋渡し役」になろうと。

そして先述したミッション
をかかげたわけですが、

それにしてもなぜ、

ビジネスとアカデミックの融合
が実現しないのか。


日本のスポーツクラブの多くが、

親会社をバックに、
親会社から出向した方がマネジメントしている

という特徴はあるにせよ、

例外となるクラブも
もちろんたくさんあって、

学者が経営に関与する余地は
ゼロではない気がするのですが、

それでもなお、
深い溝を埋める事例は見当たりません。

そしてそんな現状における
理由のひとつとして

「サンクコスト効果」

があるのではないかと
最近ひそかに考えることが多くなってきました。


埋没費用の誤謬(ごびゅう)

と訳される
サンクコスト効果は、

将来の投資の価値を評価する際
過去に行った投資にこだわってしまう概念

を指します。

とあるプロジェクトに
1,000万円を投資してきて、

大きな成果を残せずにいる中

さらに500万円の追加投資
をするかどうか判断を迫られたとき

どう考えるか?

ここでやめたら
今までの投資が間違いだったことを認めることになり、

強引にでも500万円を使う、
そんな判断をする可能性がありますが、

正しい意思決定プロセスは、

1,000万円の先行投資を
一旦脇において(なかったことにして)

純粋に500万円の投資が
今後どんなプラスを生み出すのかについて分析し、

投資が妥当だと判断されなければ、

たとえ1,000万円の投資がムダ
になったとしても追加投資は断念すべき、

という論理展開。


MBAの伝説、マイケルジョーダンが
ワシントン・ウィザーズの社長になって、

ドラフトで一位指名した選手が
活躍できずにいたにもかかわらず、

試合に使い続けたこと。

そして社長職を解任され、
別のチームにやとわれたジョーダンは、

その選手を自らのチームに移籍させ、
試合に使うことにこだわったことがありましたが、

ドラフトにかなり関与したとされるジョーダンは、
サンクコストにしばられて判断を誤った

そんな事例もあります。

※記憶が定かではなく
間違ってたらすみません、、、


■話がおおきく逸れてしまいましたが、

サッカークラブの現場における、
スタッフの努力、

それこそ血のにじむような
激務の日々は僕も経験しているのでよく分かりますし、

その「投資」の大きさたるや
一般的には想像しがたいもの。

高く積み上がった自尊心は、

アカデミックな論理に拒否反応を示すのも
無理はないのかもしれません。

受け入れてしまえば、

今までの苦労が否定されるような屈辱
を感じてしまうことも

なくはないと思います。


■一方、

現場での出来事をロジカルに、
そしてクリティカルに分析する学者にとって、

仮に現場における成果が偶発的なこと
(論理的に説明不可能)であると見抜いたとき、

より再現性の高い論理を
構築、提示することは当然の成り行きです。

ですがクラブが、その提案の
受け入れを拒否した場合、

研究に投じてきた膨大なコスト
を踏みにじられた思いをぬぐえず、

現場と一定の距離を置くようになる。

否定的な評価をまともに受けとめないことで
プライドを守ろうとする可能性は低くありません。


■マイケルジョーダン

ほどではないせよ、
現場スタッフも学者陣も、

自分たちの努力、
もしくは能力を認められたいという欲求

少なくないはず。

そんな心理が大きく働いたうえで、
さらにサンクコスト効果が邪魔をして、

アカデミックなビジネス
が展開されにくい環境が生まれている。

だからこそ
僕の存在が役に立つのでは?と。

現場の経験もあり、
学術的な研究も怠らない

そんな存在は
希少価値があると思うし、

現場にロジカルシンキングを
定着させると同時に、

アカデミックな世界に
実践経験者を増やせるかもしれない。

サッカービジネスが今以上に
もっと発展していけるように

少しでも役に立てれば
という思いでいる。


困難な状況であること。

そして誰も踏み入れていない領域
に挑戦できるからこそやりがいもあり、

競争優位を生み出せると考えている。

もちろんまだまだ道半ば。
何も始まっていませんが、

失敗を恐れず、立ち向かう勇気をもって、
挑戦を積み重ねていきたい。

たとえ挫折を経験したとしても、
あきらめずに立ち上がって

いつか結果に結びつける。
そんな気概を持って日々闘っています。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございます。

それではまた明日。
おつかれっした!




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