人の「価値観」前提にした信用経済
昨日の日経新聞一面にはこんなことが書かれていました。
日本の年収 30年間横ばい
1.5倍になった米国を引き合いに、新政権が富の分配を検討していることが報じられました。コロナ以前から低成長を続ける日本。ワンコインでランチが食べられる日本経済のあり方が問われ始めたのはここ数年でしょうか。
景気が悪いと一言でいっても、「ほしいものがないから仕方ない」といった現状を打開しないとお金は回りません。貨幣経済はモノの希少性を前提に成立しています。高度経済成長の時代、国民は競って豊かな生活を求め、猛烈に働き、3種の神器をはじめとするモノを買い、右肩上がりの成長を遂げました。
現代社会ではすでにモノが行き渡り、品質が向上したモノの耐久性によって一般人がモノをほしがらなくなると、モノとお金を取引するような経済が縮小していくのは避けられないでしょう。人口が減っていることも、そんな状況に拍車をかけています。
ただ、貨幣を使った取引が減少する一方で、人と人との交流は失われるどころか活況を呈しています。スーパーに行けばびっくりするような安値で食品が売られていますが、知らない人が作るリンゴではなくても、「知っている人」が作るリンゴに価値を見出す消費者もいます。
インターネットを介して、青森にすむ農家との接点が生まれ、東京にいながらにしてリンゴを買い求める。人との交流、自分だけの体験といった、お金に変換できないもののほうが貴重だと考える人も増えてきているように思います。
リンゴを愛する一人の女性。「私はリンゴが大好きです」といってインターネット上で発信を続けていると「そこまで言うなら」と、少しずつ人やお金が集まってきます(もちろん簡単にはいきませんが)
自然災害などで品質が安定しないかもしれませんが、日々、リンゴの特性や甘味を引き出す工夫や苦労話を聞かされているコミュニティにとって、その時々の「ベストなリンゴ」が評価の対象となり、購入意欲が高まります。リンゴに対して興味関心がなかった人でも、リンゴを愛する一人の女性の価値観によってまとまることができるかもしれません。
人望のあるリーダーにあこがれる人が自発的に集まり、ときに無償で手伝ったり。現代はお金がないと経済は回りませんが、価値の交換は必ずしもお金を介しなければいけないわけではありません。「実際に会うことが一番の売り物」になれば理想です。もらのはお金ではなく、自分に適した方法で稼いでもいいと思います。
今は、一つの安定した組織が価値を保障するのではなく、たくさんの曖昧なもので価値が保障されるようになってきて、私たちもその価値を信じざるを得なくなっています。そんな取引のベースは「信用」ということになるでしょうか?リンゴを愛する一人の女性に会ってみたい。彼女の人間性や活動実績が信頼をうみ、「会うこと」に希少性が高まるような信用経済。
決して他人事ではなく、日々の仕事や生活を通して、自分自身の価値を高められるような活動を積み重ねていきたいと、どっぷりとオフの気楽さに浸かりながらまとめてみました。
久保大輔