[15min.#05]ゲームミュージックとクラブについて15分話す/DJフクタケ
第5回目は、DJ&ライター&プロデューサーなど幅広く活躍されているDJフクタケさん。7インチオンリーというだけでも個性的ですが、ゲームミュージックにアニメ、特撮、NWにパンク、マンチェ&レイヴ、90'テクノ、歌謡曲、音頭にマーチと広すぎる守備範囲で軽やかにフロアを盛り上げ、ふとした会話から関連曲をジャストタイミングで入れ込む粋な選曲スタイルで一気に魅了される人が続出しているDJさんです。また定期イベントやお祭りはもちろん、ラジオやSUPER DOMMUNEなどでのミックスやトーク、CDのプロデュース、執筆方面にも引っ張りだこ。超有名人ながら、以前私が主催したパーティに遊びに来てくださり、話してみたらばどうやらアメリカ村の某Tシャツ屋はじめ90年代に絶対に大阪ですれ違っていた行動半径だったと判明。顔見知りになったのをいいことに、大阪時代のことを聞かせてもらってきました。15分に入り切らなかった部分にも当時のお話が満載だったので、こちらも別の機会にまとめたいと思います。
そして今回のお店は、教えていただいた中野のベトナム料理店Bia Hoi Chop(ビア ホイ チョップ)でした。おいしかった〜。
※このシリーズを始めた理由はこちらからどうぞ。
-- (持ってきてもらった束の中に)難波ROCKETSのマンスリーフライヤーだ!懐かしい!
DJフクタケ(以下、フ):懐かしいでしょ。「NEWTYPE GAMERS NIGHT」って書いてあるパーティ、1回目は普通に遊びに行ってたけど2回目からゲーム周りのスタッフをやるようになったんですよね。この10月7日のステージ2ね。DJのKくんに「自分らマニアックやし手伝わへん?」って誘ってもらって。Kくんは当時よく遊びに行ってたCAFE BLUE(大阪のクラブ)のテクノ系のパーティで仲良くなって、ゲーム系が詳しいならってことで他のメンバーにも紹介してもらったんです。このフライヤーにはもうとれまの名前があるから、1994年くらいだったと思う。
-- DJ Kさんはその時からゲーム系のDJさんだったんですか?
フ:いやいや。Kくんは元パンクバンドで、マンチェの影響からクラブミュージックに触れてテクノに入った流れの人。ROCKETSは夕方から夜がライブハウスだったからそっち系統のお客さんも多かったしね。個人的にも、当時の大阪のテクノ系やクラブミュージック系はパンク上がりの人が多いって印象がありました。
-- ROCKETSと言えば、のDJの田中フミヤさんも元々パンクの人でしたしね。ちなみにフクタケさんはいつ頃からクラブに行ってたんですか。CAFE BLUEが最初ですか。
フ:最初は阿木譲さんがCAFE BLUEの前にやってたマセマティック・モダン(M2)。僕は1993年の4月に大阪芸大(大阪芸術大学)に入ったんだけど、その直後にあった「ロッテルダムナイト」に行ったんです。そのレジデントだったDJ ISHIIさんは当時日本で一番ロッテルダムテクノをかけてたんじゃないかなあ。卓球さんもお忍びでDJにきてましたよ。記憶がもうだいぶぼんやりしてるけど、当時はまだお試しみたいな感じで、かけてるのもテクノじゃなくてニューウェーブ中心。自分が好きなジャンルだったからそこは覚えてますね。
-- 私はM2ギリギリ行けてないんですよね……。そもそもは何きっかけでM2に?
フ:大学に貼ってあったフライヤーを見て。DJ ISHIIさんて大阪芸大の先輩にあたる人なんだよね。僕が1993年入学でイシイさんがギリギリ学生ってくらいだったと思うから、3つ、4つくらいは年上かもしれない。校内の掲示板だから学生課からの承認ハンコもきちんと押してあって、今思うと大阪芸大らしいなって思います。
-- 確かに。でも当時の大阪芸大だと掲示版もすごそう(笑)。
フ:アンダーグラウンドなテクノのパーティや(難波)ベアーズのサイコビリーのライブのフライヤーを大学の学生課に確認してもらってると思ったら変だもんね(笑)。いやーでも、われながらROCKETSのこのマンスリーはよく取ってたなぁ。毎月出ていたけど、今手元にあるのはこれだけだと思います。CAFE BLUE関係のフライヤーはかなりあるんだけど。
-- じゃ、行くのもROCKETSよりCAFE BLUEが多かったんですか。
フ:そうかもしれないすね。フライヤーもCAFE BLUEのほうが多いと思う。この阿木さんがやってたパーティのフライヤーとかもね、モノクロだけどめちゃめちゃ雰囲気あるでしょ。
-- DTP技術を持ってるプロのデザインって感じがしますよね。パンク上がりの人のテクノパーティとか、フライヤーは切り貼りが多かった気がするからこういうデジタル系のデザインは特に際立っていたような。あとは手書きものもありましたよね。大阪だとレゲエフォントで2色刷りみたいなレゲエパーティのフライヤーも多かった。
フ:その中でもテクノのパーティはいろいろ特殊だったよね。遊びに行くとキャッシャーやバーカンで「テクノの子はほんまに酒飲まへんなあ」とか「水ばっかり売れる」って嫌味のように言われることも多かったし。
-- うんうん。ハウスやガラージのパーティに行った時に、みんなたくさんお酒を頼むからびっくりした覚えが。かかってる曲もやわらかかったし。
フ:テクノはとにかくストイックというか、みんな踊り目当てで遊びに来てる感じでしたよね。お金もなかったから一晩楽しもうとすると水で粘るしかないってのもあったんだけど、店側からしたらもっとお酒を飲んでもらわないとって気持ちだったんじゃないかな。客が結構入ってるのにドリンクが出ないイベントはちょっとなぁって。
-- M2も鰻谷だったり、繁華街のど真ん中とか立地的にはいい場所にあるクラブがわりと多かったですもんね。そういえば『ゲーム音楽ディスクガイド』のhally(田中 "hally" 治久)さんも大阪の方ですよね。この頃からのお友達なんでしたっけ。
フ:そうそう。hallyさんは、僕らが当時やってた世界最初……というのは今にして思えばそうだったってことなんだけど、世界最初のゲームミュージックオンリーDJパーティのお客さんだったんです。1995年5月にやった第一弾が「FARDRAUT(ファードラウト)」で、タイトルはナムコの「ゼビウス」からの引用。彼はゲームが大好きでテクノにも興味があったけど、情報がなくて第一弾には来れなかったと言ってましたね。その後「FARDRAUT」のメンツにさらにゲームとテクノ好きのメンバーを加えてやった第二弾の「GMO(Game Music Only)」に来てくれて、そこですごく刺激を受けたらしく、彼も「NO CARRIER」ってフォロワー的なパーティをCAFE BLUEで始めたんです。だから「FARDRAUT」や「GMO」には、のちの関西ゲームミュージックDJ(VGMDJ)シーンやチップチューンシーンで活躍するDJやトラックメーカーがお客さんとして結構遊びに来ていたんですよ。
-- 「FARDRAUT」はフクタケさんとクラブとゲームミュージックを結びつけた原点って感じなんですね。何がきっかけで始めようと思ったんですか。
フ:CAFE BLUEで最初の頃に仲良くなったゲーム好きのDo.さんや、大阪芸大の1つ下だったBLASTERHEADの伊藤くんとの出会いがきっかけなんですよ。伊藤くんと知り合ったのは大学じゃなくてWILD WORLDってアメ村の裏路地にある怪しいTシャツ屋だけど(笑)。WILD WORLDで知り合い、ゲーム好きでテクノ好きな子がいるってことでCAFE BLUEのテクノパーティでDo.さんを紹介してもらったら意気投合してね。で、ゲームもテクノも大好きなのに、今のゲームミュージックを取り巻く状況がダサくてムカつくから、俺たちがちゃんとクラブミュージックとしてゲームミュージックをかけるパーティをやろうってことで始めたんです。それが「FARDRAUT」。今でこそクラブでゲームミュージックをかけるのも普通になったし、そういうパーティもあるけど、当時はめちゃくちゃパンクな行動だったからクラブ側にすら理解されなかった。しかも当時のゲームミュージックファンの多くは「ドラクエ」のようなオーケストレーションものやフュージョン系が好きで、テクノの耳でゲームミュージックを聞いてかっこいいと思ってる人は少数派だったんです。だから、ごく一部のマニアックな人に向けてクラブでゲームミュージックを流すってのは、まあ相当尖ってますよね。
-- テクノとゲームってまったく関連性がなさそうでしたもんね。
フ:そうそう。フライヤーも、当時は今みたいにSNSで拡散したりとかはできないから、ゲーセンやソフマップ、えるぱれショップみたいに中古パソコンやゲームソフトを扱うお店に置いてもらったり、とにかく草の根的な活動をしてました。
-- この辺のフリーペーパーのフクタケさんのテキスト、熱いなぁ。当時の自分も思い出すようでワーってなります。
フ:書いてることが青臭いよね(笑)。でも、今やってることともそんなにブレてないというか。インターネットで情報を拾えない時代にもゲームミュージック初期のレコード、例えば「スペースインベーダー」ネタの「ディスコスペースインベーダー」とか「パックマンフィーバー」とかもちゃんとテクノとかのレコード評的な視点でレビューしているから早かったと思う。
-- 本当にやってることが変わってないですね。
フ:そう、変わってないんです。今回の『ゲームミュージックディスクガイド』の話も、hallyさんがずっと、僕が昔書いていたこういう文章にすごく刺激を受けたことを覚えてくれていたのが大きかったというか。数年前、DOMMUNEで彼にチップチューン関連で話してもらいたい回があって10年くらいぶりに連絡を取って関係が復活した時に、ちょうど書籍の話が持ち上がってたらしいんだよね。で、当時みたいな感じの2019年版の文章を書いてほしいとオファーをもらったので、一部執筆で参加させてもらったわけです。学生時代にやっていたパーティが20数年越しで書籍の形になったんだと思うと、当時のクラブ遊びが巡り巡ってる感じでなんかこう、味わい深いなって。
【15分話してくれた人】
DJフクタケ
1990年代よりDJとして歌謡曲をクラブ・ミュージック・マナーでプレイするスタイルで活動。2014年から和モノ・歌謡曲公式MIX CD『ヤバ歌謡』シリーズをユニバーサル・ミュージックよりメジャーリリース。2017年3月には自ら企画・選曲・監修を務めた玩具・ファンシーキャラクター・ビデオゲーム関連のタイアップソングを集めたコンピレーションCD『トイキャラポップ・コレクション』Vol.1~3をウルトラ・ヴァイヴ/ソリッド・レコードより発表。現在は、東京を拠点に各地でJ-POP・和モノ系や80's~90’s洋楽系パーティを中心にプレイ。ライターとして書籍「ゲーム音楽ディスクガイド」、雑誌「レコード・コレクターズ」他で連載も手がけるほか、地上波ラジオ、配信番組DOMMUNEへの出演も多数。
★DJフクタケ Universal Music Japan 公式ページ
http://www.universal-music.co.jp/dj-fukutake
※画像のフリーペーパーの「029」「MUE」は当時のフクタケさんの名義
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