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布団で過ごした年末年始と納豆巻きの話

1月も後半に差し掛かっていますが、あけましておめでとうございます。
2025年もどうぞよろしくお願いいたします。

今回は年末年始盛大に体調を崩して大変だったのでそれについて書いていきます。

帰省&発熱

年末年始はかなりの時間を布団で過ごした。
酷めの風邪を引いてしまったためである。
順を追って書いていくと

12月24日 ライブに行く
12月25日 家でピザ&ケーキパーティ
12月26日 夜に愛知から長崎に帰省(飛行機)
12月27日 朝、発熱(37.9度)、住民票と転出届を取りに行く

12/26時点ではちょっと喉が痛いかなーくらいだったのだが、27日未明頃に悪寒で眠れなくなって朝方に熱を測ると37.9度の熱があった
おそらくだがクリスマスイブのライブハウスや電車、駅で風邪の菌をもらい、2〜3日の潜伏期間を経て27日に発熱したようだ。
空港や飛行機でもゴホゴホと咳き込んでいる人が大人も子どももかなり多い印象を受けた。

さらに追い討ちをかける出来事が。
半日早く帰省していた妹がインフルエンザだった。やばすぎる。
飛んで火に入るなんとかではないか。

絶対に転出届を取らねばならぬ日も、生きてたらあるよね

帰省した途端熱が出てしまったが、12/27は住民票の取得&転出手続きを絶対にしなければならなかった(転出するのに住民票取るのなんかヘンだが所用でどうしても必要だった)。

というのも12/27(金)は役所が仕事納めの日で、仕事始めが1/6(月)。

私の帰省が12/26から1/6で、行きが夜の到着で帰りが朝発のため、もう何が何でも12/27に住民票と転出届を取得しなければいけなかった。マスクをして母に地域センターへ連れていってもらった。
地域センターで尋ねると「ここでは転出届は出せません」とのこと!!!
ぐったりしながら車で移動してなんとか転出届もゲットした。

ハンコ販売イベントの中止

また、12月28日に長崎市の本屋ウニとスカッシュさんでスタンプの販売イベントをしようと準備していたのだが体調不良で断念。ウニスカの店長さんも体調不良だったらしく、体調崩している人が多いなぁとなんだか他人事のように感じていた。

久しぶりのお客様ともお会いして話したかった。
スーツケースの4分の1ほど作品や什器を詰めて持ってきていたため、持ってきたまま持って帰るのが非常に滑稽だったが仕方ない。
どうしても長崎に帰る機会が少なくなってしまうのでしばらくは開催できないと思うが、またいつか機会があったら地元でイベントをしたいと思っている。

微熱だったので病院に行かず

その後は数日寝込む。
12/28(土)の段階で病院にいけたらよかったのだが熱がもう微熱になっていたため、すぐに治るだろうと思い行かなかった。
結局微熱が長引き1/1まで寝込むことに。

ちなみに28日に病院に行ったインフルエンザの妹は数日で回復していた。
他の家族はインフルエンザにはならなかった。
私の風邪が何だったのかは分かっていないのでなんとも言えない。

寝込みながらもnoteの40数ヶ月連続投稿記録を手放したくなくて、ほぼ完成していた下記の記事を推敲して投稿した。

年越しは布団で過ごした

12月28日 微熱、鼻が詰まりすぎて息がしづらく死を覚悟する(酸欠?)
12月29日 微熱だがちょっと元気になってくる、人に会う予定をキャンセルし、めちゃ悲しい
12月30日 熱も下がったので外出するが、帰ってきたら上がっていた、辛い
12月31日 熱、丸々布団で寝込む、ぬるりと年を越して悲しい
1月1日  微熱、1日寝込む、しんどい
1月2日  しんどいが外出、熱はない。餅を丸めた
1月3日  喉に違和感があるが出歩けるようになる、カフェでお茶してコートを買った
1月4日  パンをいっぱい食べた
1月5日  集合写真を撮った
1月6日  早朝に起きて長崎から愛知に戻る

12/31は寝込んでいた。
ずっと悪寒がするので布団の中で湯たんぽをかかえてぐったりして寝て起きたら年越ししていた。

この時には体調より精神的にかなり参ってしまってそっちの方が悪くなっていた。
帰省期間の半分以上の日数を寝込んで過ごして楽しいことが何もできず、かなりしんどかった。

せっかく往復で3万円ほどかけて愛知から長崎に帰ってきたのに年に1度親戚が大集合するので楽しみにしていた1/1も布団の中で過ごすことになってしまった。
例年親戚とおせちを食べて元日を過ごしているので年を越した実感が湧かない。
2025年の元日は私にとって素敵な日になる予定だったのに、布団の中でYouTubeの「大喜る人たち」を見ているだけになってしまった。

誰かに風邪を移すのも悪いし誰にも会いたくなかったので、もう1/5まで寝とこうと思っていたのだが、1/2に母に叩き起こされ祖母の家へ行った。

その後は喉の違和感や不快感、倦怠感はあったが長崎をそこそこ満喫して、1/6に愛知へ戻った。

再発熱

1月6日 長崎から愛知に戻る、けん玉を購入
1月7日  転入手続き、母が風邪を引く、私は元気
1月8日  運転免許の住所変更手続き、美術館に行く、元気
1月9日  発熱(37.4度)、喉と関節と頭が恐ろしいほど痛い

再発熱である。この熱は38度台まで上がった。
絶望や怒りではなく「いやまたかーーーーーい!!!!」という気持ちが強かった。
体調はこっちの方が悪かった気がするが、なぜか精神的に強くなっていた。

納豆巻き

1月9日 発熱、寝込む。病院に行くが発熱からそんなに時間が経っておらずインフルかコロナかなんなのか分からず、食欲なし
1月10日 少し熱が下がる。鼻水がひどい。食欲なし
1月11日 微熱、鼻水と頭痛、目の奥が痛い。食欲なし。食べ物の味がしない
1月12日 昼に食べた納豆巻きがきっかけで固形物を食べれるようになる
1月13日 諸悪の根源のような鼻水が出る、目の奥と後頭部が痛い。熱下がる

1/12はまだ体調がかなり悪かったのだが、どうしてもコンビニへ代金支払いに行かなければならなかったので朝の薬を飲んで効いてきたタイミングで出かけた。

この支払いのついでに買った納豆巻きが体調が良くなるキーポイントになる
この頃は鼻詰まりのせいか食べ物の味がほとんど分からなくなっていた。

が、納豆巻きは食感がとても面白くておいしく食べることができた。
海苔のパリパリ感、酢飯の少しツンとくる感じ、そして納豆のネバネバ。
味はやはりあまり分からなかったのだが、食感のおかげでもっと食べたいという気持ちがおこって自力でお茶碗1杯分ほどの簡易酢飯を作って海苔に巻いて食べることができた。食欲が出てきたおかげでちょっとずつ元気を取り戻していった。

急性副鼻腔炎

1月14日  耳鼻科に行く、蓄膿と診断される、毎食後に5錠の薬を飲むことに
1月15日  鼻水から痰へ移行する。咳がひどい。オリジナルの痰壺をDIYする
1月16日 咳がひどすぎてなかなか眠れなくなる
1月17日 咳がひどすぎて咳き込んで起きる、新しいバイトを始める
1月18日 咳はあるが長く寝れるようになる、凧揚げをする
1月19日 咳も減ってきた、かなり寝れる
1月20日 しっかり寝れるように
1月21日 耳鼻科に行く、蓄膿の治療延長

鼻水が酷く、目の奥が痛かったり頭痛がひどかったりしたのでおそらく蓄膿になっているだろうと思い耳鼻科に行ったら、案の定急性副鼻腔炎=蓄膿症と診断された。

鼻水がつらかったので1/12前後から鼻うがいキットを使って鼻うがいをしていた。
私が使用した鼻うがいキットは専用のボトルとノズル?、水を生理食塩水にするための粉末がセットになっていた。
最初のうちはしょっぱくて生ぬるい水が口からも出てくることにかなり抵抗感があったのだが、慣れてくると口からは水がほとんど出なくなり鼻もスッキリして結構気に入っている。

毎食後5錠+朝晩1錠の薬を1週間飲み、1/21に再度耳鼻科へ行ったらまだ完治していなかった。耳鼻科にあるネブライザーが自宅に欲しくなってきた。

慢性副鼻腔炎

そしてさらに1週間経った1/28。慢性副鼻腔炎と診断された。
とはいっても良くなってきているらしい。

レントゲンを撮ってもらったのだが、鼻の奥に膿がまだ残っていてこのままだとまた悪くなる可能性があるとのことだった。
薬の量は少なくなったがしばらく飲み続けて、また定期的に耳鼻科へ通院しなければならなくなった。

いつから蓄膿だったのか分からないが年末年始に痛い思いをしたので絶っっっ対に完治させたい
蓄膿の菌を根絶やしにする、それが私ができる蓄膿に対する復讐である。

けん玉

余談だが、年始にちゃんとしたけん玉を購入した
祖母の家にあったので年始に遊んでいたのだが、ふと「けん玉って結構楽しいよなー」と思い、中部国際空港内の店でけん玉を買った。

もしもしかめよに合わせて玉を行き来させたり、日本一周や世界一周などの技に挑戦したりしている。
今年はマリオパーティーよりもけん玉で遊んでいるほどである。
2025年はけん玉を極めたい。

もちろん制作も頑張ります。

おまけ

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