伊達政宗ってどんな人物?【THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』講座 vol.1】
どうも!
この度、THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』
時代考証担当を仰せつかりました、小松雅樹です!
より「伊達政宗」を楽しんでいただけますよう
これから数回に渡って、伊達政宗や伊達政宗が生きた時代背景などを
解説していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します!
第1回目はタイトルロールである
”伊達政宗”の生い立ち・そしてどんな人物だったのかを
掻い摘んでお届けします。
独眼竜『伊達政宗』
漆黒の鎧に弦月の前立てがトレードマークの独眼竜『伊達政宗』
小さい頃に眼の病気にかかり右目が不自由になったんですが、
そのハンデを跳ね返し、一時は奥州(今の東北地方)のほとんどを支配した武将です。
しかし、幼少期は右目を失ったショックから内向的になり、
周りからは弟を後継ぎに!!という声も上がり、後継者争いがはじまりました。
政宗の敵、弟派の代表はなんと実の母親!
彼女は美形の弟を溺愛し、片目の政宗を嫌っていたとも言われています...
政宗はこの母親から毒殺されかけた…というなんとも恐ろしいエピソードがあるほどです。
この家中の愛憎劇の結果は、弟の処刑で幕を閉じ、
政宗が伊達家の当主となります。
当時の東北地方の武将は
争ってはいても、誰かしらが親戚という関係の為
『まあ、この辺で~』と痛み分けや仲裁が入り、ずっと決着がつかないままでした。
しかしある時の戦で
政宗は、命乞いする敵まで皆殺しにするという断を下し、これを実行!
政宗は馴れ合いをせず断固とした態度で東北地方の『制覇』を進めていったんですね。
一方、やはり自分の容姿にコンプレックスは感じいてたようで、
自分の肖像画等には両目のある姿で描いて欲しいと言っていたそうです。
グルメな武将!伊達政宗の食生活!
自ら厨房に立つ事もあったという政宗は
戦国時代トップクラスのグルメといわれます。
その有名な朝ごはんのメニューは
でした。
朝ごはんではありますが、なんともお酒が進みそうなメニューばかりですね。
味噌の大量生産や、東北の米を江戸に売るにまでブランド化した人でもあり、
政宗が北上川流域水運を通じて石巻から江戸へ米を移送したおかげで、
江戸時代初期は、江戸の流通米の多くが仙台からの廻米でした。
武将でありながら、江戸に対して『仙台ブランドの名プロデューサー』のような役目も果たしていた訳ですね。
晩年の伊達政宗が徳川三代将軍 家光に注いだ愛情
晩年の政宗に大層懐いてたのが、後の徳川三代将軍 家光でした。
家光は政宗を"伊達のじい"と呼んでいました。
『戦を知らない将軍』であった家光は、
周りの戦国武将たちにひけをとらないようにするために、
政宗から熱心に戦の話を聞いていたそうです。
そして、政宗の娘(五郎八姫)が徳川家に嫁いだということもあったのかも知れませんが、
政宗は家光を"外孫"の様に可愛がりました。
かの有名な『世は生まれながらの将軍である』という家光の発言には
実は政宗の続きがあります。
その発言の後、政宗は『もしこの言葉を聞いて徳川に敵対する者があれば、まず、この政宗がお相手いたそう!』と、周りの武将を睨み付けたそうです。
家光も弟と後継者争いをさせられたりしていたので、どこか自分と重ね合う部分もあったのかもしれません。
家光は度々伊達屋敷を訪れ、政宗を見舞い、
政宗の死に際して家光は、家光の父である秀忠が亡くなった時以上に泣きじゃくったそうです。
愛情に乏しかったからこそ、
"思慕の裏返し"の様な晩年の政宗の原点は家族だったのかもしれませんね。
次回は伊達政宗の父である「伊達輝宗」についてをお届けします!
次回の更新をどうぞお楽しみに!
THE☆JACABAL'S 公演
『伊達政宗』
2022/7/13(水)〜7/18(月)
両国シアターχ
チケット:6,800円(全席指定席・税込)
☆チケット一般発売 受付中☆
https://www.quartet-online.net/ticket/datemasamune
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※ご予約は観劇日前日23時まで
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