生物学的な性について生物学者が色々と思う話

僕はいわゆる生物学者なのだけれど、生物学的性 (biological sex) という言葉に常に違和感を覚える。わりとポピュラーな言葉だしお堅い文章でも使われるのだけれども、何をもって生物学としているのかが全然分からない。

と思っていたところで調べてみるとその違和感に関してちゃんと述べている文章があったので自分で語る必要もなさそうではある。詳しい話はこのあたりとかこのあたりに書いてある。とはいえ自分の考えの整理のために書く。

生物学といえども分野は広く、分子を見るものから自然の集団を見るもの、細胞を見るものから行動を見るものまで色々ある。性を分子で見るならば染色体から始まる。XXだとかXYのアレである。ここにも無視できないレベルで例外が存在する。ターナー症候群に見られる性染色体異常など、いろいろなパターンがある。なんなら高齢の男性では、体細胞のY染色体がときどき脱落する (mosaic Loss of Y-chromosome, mLOY)。しかしこれをもっておじさんの中に女性性が芽生えると言ってしまうのはさすがに無理がある。

もう少し視線を大きくすると生理学だとか発生生物学の分野になる。あるいは内科的・外科的領域なのか。この解像度では生殖器の形状だとか有無、性ホルモンの分泌量みたいな話になる。これもまぁ中間的な人がいて、そういうところでジェンダー以前に、性にもある程度グラデーションを与えてくる。このあたりで決めようとすると難しいのは、外科手術でたとえば卵巣摘出したら性が変わるのかとか、そもそも男性的男性にもばらつきがありそうな男性ホルモン量だけで決めていいのかとか、そういう話になってくる。境界問題が多い上に、染色体云々よりも外から手を加えられる場面が増える。

ジェンダーというのは心理学的・社会学的な側面なのだと思うけれど、これも言ってしまえば脳科学であり動物行動学であり、生態学なのである。性的指向なんかはまだまだ未解明な脳科学の分野であるけれど、ホモセクシャルのシステムはヘテロセクシャルを作るシステムと同じ部分から生まれているのだろう。どちらが正常でどちらが異常という話ではなく、性的指向を作るシステムの中で生まれる多様性があって、なんならアセクシャルもここに含まれるのだと思う。観察事実としてはこの多様性を含んだシステムがご先祖たちが辿った進化の選択肢だったわけで、言うなれば性的指向の多様性を含まないことには生物としてのヒトの進化・性選択も理解できないだろう。このあたりのマクロな現象も生物学の対象なのである。

結局のところ生物学的性なんてものもまやかしだし、グラデーションの性とグラデーションのジェンダーが重なった二次元的な分布を示すとしか言えない。公衆温泉だとかトイレだとか、スポーツの区分けだとかもそもそもが二元論でやっていたのが雑すぎたのであり、その感覚を見直しましょうよという話でしかない。文系-理系みたいな話にも通ずる。二元論の理由づけをどこかの学問に任せたいという要請から生物学に助けを乞うたのだろうが、生物学はあなた方のお役には立てない。もうちょっと生物学を勉強しなおしてほしい。そして我々生物学者もちゃんと勉強して発信すべきだろうなとも思う。なのでこうやって細々とnoteを書いている。

戸籍に登録されている性は戸籍に登録されている性でしかない。産科医だとか助産婦さんが書類にどちらかを書かないといけないので決めざるを得ないというのが、戸籍登録的性のしょうがなさなのだろう。別に何か異常が見てとれるわけでもないのに染色体検査に回すわけにもいかないし、多くの性差は二次性徴以降に現れるのでちょっと時間がかかる。これを空白にする社会が実現するには相当な時間がかかりそうだ。折衷案的には成人までの仮登録制度にしておけばいいんじゃないかと思うけれど。

ところで実験用のマウスの性別を生まれた直後に判別するのは少し骨が折れる。慣れた人がやるとまぁ大丈夫なのだけれど、肛門と生殖器の間の距離がオスの方が離れている、みたいなふわっとした概念なのでかなり難しい。僕はなんとか研究所の試験はクリアしたけれど、いまだに自信がない。例えばメスだけの5匹とかを並べられるとたぶん適当に1-2匹をオスだと言ってしまいそうである。遺伝的バックグラウンドがととのった実験用マウスですら難しいので、たぶん野生個体をかきあつめて判別しようとすると相当な難易度になるだろうと思っている。そういえば実験用のショウジョウバエも幼虫の時期の性別判定はめちゃくちゃ難しい。そんなもんでいいよなぁと思う。(親マウスは100%判別しているのかもしれないけれど)


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