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PATRICK KIELTY(パトリック・キールティー) - 北アイルランド出身のスタンダップコメディアン - Borderline: A postcard from the edge of the Union(国境:連合国の端っこからのポストカード)

Patrick Kielty(パトリック・キールティー)は、北アイルランド出身のコメディアンです。長い名前なので、通常は、パディー(パトリックの省略)と呼ばれています。北アイルランドの非常に複雑で痛々しい歴史についても、恐れずに挑発や批判もしつつ、とてもチャーミングで共感できるスタンダップコメディーを続けています。最近、アフガニスタンのコメディアンがタリバンに殺された事件も耳にしましたが、コメディーは、秀逸な物語のように、抑圧や暴力、偏見や狭量さに対するレジスタンスであり、人間性を誰にも取り戻そうとするものだと感じます。また、私のような外国人にとっては、イギリスや他の国々の歴史や人々への理解を深めるものでもあります。英語が分かるようになって何が良かったかというと、私にとっては、コメディーが分かるようになったこと、多くの人々と垣根を越えて対話ができること、多くの興味深い思想に幅広く触れられることです。

日本語でイギリスというときは、通常United Kingdom(イギリス、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国から構成される連合王国)を指すので、ややこしいのですが、イギリスは他の国々を植民地として長く支配していた国で、British(ブリティッシュ)というとこの連合国内のすべての人々をさしますが、Englishはイギリス人のみ、Welshはウェールズ人のみ、Scotishはスコットランド人のみ、北アイルランドは、自分たちをEnglish(イギリス人)として認識する人々と、Irish(アイルランド人)として認識する人々が混在していて、これが1960年代から1998年まで30年ほど続いた抗争の大きな原因でもあります。イギリス、ウェールズ、スコットランドは地続きですが、北アイルランドはアイルランドの北部の小さな場所で、アイリッシュ海をはさんで、前述の3つの国々からは離れています。今回のEU離脱でも、この北アイルランドに再び暴力的な抗争が起こらないよう、アイルランドと北アイルランドの間には絶対に検閲場所を設置しない(UKのEU離脱のため、本来ならUKの一国である北アイルランドとEUの一国であるアイルランド共和国の間に、輸入/輸出の検閲が必要)、という不可能に見えることを現実にするために多くの議論が重ねられました。結局は、UKはきちんと解決方法を示さないまま、北アイルランドはEU経済圏の一部と扱うことにし、北アイルランドとUKの間(アイリッシュ海)で検閲が必要とはなったものの、いまだに問題は片付いていません。ちなみに、イタリア語でも、UKのことをInghilterra(インギルテッラ)と呼んでいて、日本語と同じでイギリスとUKがごっちゃになっています。それだけ、イギリスのパワーが強かったということでしょう。

BBC Radio 4(イギリス国営放送)では、今年の春にEU離脱と北アイルランドの関係を扱ったパディーのスタンダップコメディー「Borderline: A postcard from the edge of the Union」(国境:連合国の端っこからのポストカード)が放映され、BBCのドキュメンタリーでは、「My Dad, the Peace Deal and Me(僕の父、ベルファスト協定と僕)」で、パディーがベルファスト協定や父が殺害されたことについても率直に語っていました。このスタンダップコメディーはある程度UKの歴史と政治について知識がないと理解するのが難しいのですが、簡単に言うと、北アイルランドでは、UKの一部であることを継続したいプロテスタントの人々(自分たちを「イギリス人」と認識)と、北アイルランドがアイルランドに統一されることを望むカソリックの人々(自分たちを「アイルランド人」と認識)がいます/いました。1960年代から、和平協定であるベルファスト協定が締結された1998年の約30年間で、多くの人々が抗争に巻き込まれ、約3500人が殺され、そのうちの50パーセント以上は、軍人でもパラミリタリー(民兵)でもない一般市民だそうです。最近は、カソリックの人口も増えているようですが、もともとプロテスタントが多数派の地域で、パディーはカソリック側です。2年ほど前、仕事で多くの北アイルランドの大学生とも話しましたが、彼らの住んでいる地域や家族によって、国籍はアイルランドだったり、UKであったり様々です。パディーの父は建設関係の会社を経営していて、カソリック派もプロテスタント派の人々も雇っていたのですが、パディーが16歳のとき、たまたま恐喝事件の証人(彼の父自身は政治・抗争ともパラミリタリーとも何の関係もない)となったことで恨みを買い、プロテスタント側のパラミリタリーに銃で撃ち殺されました。お葬式の際も、誰一人、「こんなことが起こるなんて信じられない」とは言わなかったそうです。誰もが自分の家族や親戚を殺されているから、殺人は誰にでもいつでもどんな理由でも起こること、として見なされていたそうです。

ここで、本題のスタンダップコメディーの「国境:連合国の端っこからのポストカード」へ。
パンデミックのため、パディーも北アイルランドの両親の家(自分が育った家)から、参加者も北アイルランドのそれぞれの家から参加しています。ちなみに、パディーは現在は、イギリスに住んでいます。
最初の始まりも、北アイルランドならでは。

北アイルランドはどこに属している?ー2つの回答
ここは、神話的な場所、Dundrum(町の名前)、連合国の端っこ、British(イギリス人)とIrish(アイルランド人)両方であり、Britain(イギリス・ウェールズ・スコットランドが属する島)の中にもアイルランド共和国の中にも入らない。この場所は、とても複雑。これを一番よく説明できるのは、この街に住んでいる参加者の君たち。君たちが、この町がどこに所属すると思うか教えて。
「ようこそ、UKのDundrum(町の名前)へ」→半分くらいの参加者が拍手
「ようこそ、アイルランドのDundrumへ」→残りの半分くらいの参加者が拍手
拍手する観客は2つに分かれます。Dundrumは北アイルランドにあり、アイルランド共和国との国境近くです。カソリック派はアイルランド人だと思っていてここはアイルランド共和国(UKの一部ではない)と思いたい、プロテスタント派は自分たちはイギリス人でUKの中の一国であるという気持ちが強いので、同じ地域に住んでいて、同じ言葉を話し、同じ民族で、同じような見かけでも、北アイルランドのアイデンティティーについては解釈が違っていて複雑な場所です。

2つの国境 (アイルランドと北アイルランドの間、北アイルランドとUKの間のアイリッシュ海)― 2 for the price of 1
ボリス・ジョンソン(現イギリス首相)に感謝。僕たちは、国境を一つどころか、今は二つ持っている。「2 for the price of 1(UKのスーパーでのセールで定番の、同じ商品を2つ買うと1つが無料になるというもの)」だね!僕たちは、これがDeal(取引)だって分かってるよね。
100年前にアイルランドと北アイルランドの間に国境を作ってカソリック派をうんざりさせたけど、今回はUKと北アイルランドの間の国境でプロテスタント派をうんざりさせた。今、僕らは、アイルランド共和国との間にあるLand Border(陸続きの国境)と、僕の家の窓から見えるきらきらと光った新しいSea Border(海の上の国境)の二つを持ってる。Land Borderは人々もモノの行き来も自由だけど、Sea Borderは、人々の行き来は自由でも、農作物と食品はEUルールに従わないといけないから、UKの危険な食品から守られてるよね(皮肉。UK⇔北アイルランドの輸出入に大きく問題があり、スーパーの空っぽの棚がずっと問題になっていて、まだ問題は片付いていない)。僕たちは国境が二つもあってどっちが好みか選ぶのは大変だよね。でも僕たち北アイルランドの人々がみんな共通して思っているのは、ボリス・ジョンソンが海に(橋の)基礎構造をつくることだよね。(※1)もし、この話についていくのが難しいと感じているなら、そうだね、ここは難しくて複雑な場所だから。この場所は他と違うから。北アイルランドは他の(UKの)どの場所とも同じと言いたがる人々はいるけど。

サッチャー元首相の「北アイルランドは、私の政治区のフィンチリーと同じくらいイギリス」ー 本当に同じ?
フィンチリーはロンドンの裕福な緑の多い区域です。
サッチャー元首相は、北アイルランドをUKの一部に留めることにこだわり、アイルランド統一を求めるカソリック派を強硬に抑え込み、抗争をエスカレートさせたことで知られています。そのサッチャー元首相のよく知られている言葉への皮肉。
ー「同じ?フィンチリーの人々、そこでも、スーパーにキッシュ(イギリスで定番の卵料理)を買いに行って出てきたら、お母さんと子供がイギリス軍人にライフル(銃)を突きつけられるのは普通だったんだよね?(これはパディーが子供だった頃の実話)」
ー「フィンチリーの人々、ハイストリート(町や村の大通り。お店が通常たくさんある)の店の全てが銃撃されるのも普通だったんだよね?(これも実話)」

2 for 1 deal ー どんなに小さな村にも学校は必ず2つ
イギリスのスーパーでは、2 for 1 deal (2つの商品を1つの値段で買う)というセールはよく見ます。北アイルランドの場合は、パディーが住んでいた500人の小さな村ですら、学校はカソリック派に一つ、プロテスタント派に一つと2つがいつもセット。どんなに小さな区域でも、カソリック派とプロテスタント派の学校が用意されていて、カソリック派は、アイルランド人としてのアイデンティティーで教育を受け、プロテスタント派は、イギリス人としてのアイデンティティーで教育を受けていました。聴衆も合意してました。

2つのテレビのアンテナ ― 人間テレビリモコン
パディーの家には(カソリック派は恐らくみんな)アイルランドの番組を見るためのアンテナがエキストラで設置されていて、テレビの下にもぐりこんで、アイルランドと北アイルランド(UKのテレビ番組受信)の受信スイッチを切り替えていたそう。宗派が違うだけで、見ていたテレビ番組さえ大きく違うという、小さな場所なのに、大きく分断された社会。

Never guess who it was(誰だったかは想像しない)ー 見ざる・言わざる
抗争の30年間は、顔面全体にマスクをかぶった人々が銃をもって日常生活に現れることは普通に起こっていたこと。大人たちは、見ざる聞かざる言わざる。でも、子供たちを黙らせておくことは難しい。子供たちが、うっかりと「あの人は隣のおじさんのお兄さんだよ」というのをどうにかして黙らそうとする大人たち。コミカルな描写ですが、大人たちにとっては、それで誰かが殺されることも十分あり得たわけで、子供たちや自分たちの安全性を守るのはとても大変なことだったでしょう。

イギリスの海辺での家族旅行 ― 北アイルランドからの爆破犯だと疑われる
​パディーが子供の頃、イギリスの海辺で2週間ほどホリデーを過ごしました。ある日、車の中に鍵を入れたままドアを閉めてしまい、母は「明日、Locksmith(鍵を開けてくれる職人)に来てもらえればいいでしょ」と言いますが、父は「一晩車を留めておいたら、爆破されるだろう。そんなことはできない」と言っていたところ、あっという間に警察がやってきました。二人の会話を聞いていた人が「強いアイルランド訛りの男が、北アイルランドの車のナンバープレートがついている車の横で、爆破がどうとか言ってた」と通報したそうです。イギリス国内でも、北アイルランドの抗争から爆破事件がかなり起きていたので、強い疑いを招いたのは間違いないでしょう。爆破犯でもなく、パラミリタリーでもないことを警察に納得させるのは大変だったそうです。単なる海辺への家族旅行ですら、当時の政治や社会状況を免れないことを示しているでしょう。

パディーの父が殺害された後 ー なぜ北アイルランドではお互いを殺しあうのか
パディーが16歳のとき、父がプロテスタント派のパラミリタリーに殺害され、パディーは思いました。「どうして北アイルランドの人々は、イギリス人のように正気なわけでもなく、アイルランド人のように人生を楽しんだりしないんだろう」気づいたのは、アイルランド人は殺人についての歌をかき、北アイルランドは実際に殺人を行うこと。

ベルファスト協定 ー トイレと誕生日に共通するもの
1998年に締結された和平協定のベルファスト協定は、表向き、イギリスの当時の首相ブレア氏とアメリカのクリントン元大統領に功績があるとされていますが、実際にこの難しい選択を北アイルランドの人々に決意させたのは、当時の女性労働党国会議員​、Mo Mowan(モー・モーワン)さんです。パディーともBBC(イギリス国営放送)の対談に出たこともあり、温かい人柄と大きなハート、相互理解をはかっていく人でした。残念ながら既に亡くなっています。パディーは、彼女はテロリストの大御所である人々を「ベイブ」とよんだり、「トイレと誕生日に共通するものー男性たちはミス(標的を外す、忘れる)する」等とかけて、パディーも「彼女をミス(いなくて寂しい)する」と言っています。このベルファスト協定では、カソリック派もプロテスタント派もパラミリタリーは武器を手放し、殺し合いや暴力を完全にストップする代わりに、抗争時代に殺人罪や傷害罪で牢獄に入った人々を釈放するというものでした。現在の北アイルランドの2大政党は、プロテスタント派がDUP, カソリック派がシン・フェインですが、DUPの前リーダーのアーリン・フォスターさんは、パディと同い年で同じ大学に通いました。アーリンは、父が警察官で、子供の頃、家がカソリック派に襲撃され引越しせざるを得ず、その後、父は、カソリック派に銃でねらい撃ちされ、大きな障害を負いながらも生き残ります。アーリンは十代のとき、スクールバスがカソリック派によって爆破され、彼女は無事でしたが、近くにいた友達は重体で、生涯にわたる障害を負いました。彼女はこの和平協定には反対投票をし、自分や自分の周りの人々を殺害した人々、しようとした犯罪者を釈放するなんて許せない、とパディーにドキュメンタリーで言ってました。パディーは彼女の気持ちもとてもよく分かるとしながら、自分がしたような経験を誰にもしてほしくない、未来に生きる人々のことを考えると、自分の父を殺した人々が釈放されようと、それは未来への平和・希望という大きな目標を考えると小さなことだ、と考え、和平協定に賛成投票をしました。パディーもアーリンも現在50歳くらいです。親戚や家族がこの抗争で殺されたり、自分自身が巻き込まれて殺されそうになった記憶もまだ遠い過去ではなく、この和平協定への投票は北アイルランドに住む誰にも大きな葛藤を与え、今現在も与え続けていることは想像に難くないでしょう。

EU離脱 ー 遠い場所で決められたことに従わされることが嫌なのはよく分かるよ 
​​EU離脱については、スコットランドも北アイルランドもそれぞれの国内ではEU離脱反対が多数という投票結果でしたが、UK全体では、賛成投票がわずかに多く、結局はEU離脱となりました。これには、イギリスのナショナリズムとイデオロギー(帝国主義、植民地をもって世界の半分近くを支配していた時代を取り戻したい等)が大きく関わっているという説が強いです。「イギリスに主権を取り戻す、(EUから)コントロールを取り戻す」というのが大きなスローガンだったのですが、一方ではスコットランド独立、アイルランド統一に対しては、彼らの国で国民投票を行うことにも難色を示しており、パディーはその矛盾に皮肉を投げかけます。
「イギリスは、自分たち他の連合国たちとは違って、ずっと正気だと思っていたのに、EU離脱では、感情的な決断と行動で国を亡ぼす方向に導いた。僕たちのクラブにようこそ!でも、自分たちはハートで動くのに、統一ということになると、僕たち(スコットランド、北アイルランド)には、ハートで考えることを禁じて、頭で考えろっていうんだよね。
ロンドンから200マイルも離れた遠いブリュッセルで決められた法律を守ることに抵抗を感じるのはすごくよく分かるよ。うーん、ベルファスト(北アイルランドの首都)はロンドンから300マイルで、エジンバラ(スコットランドの首都)は400マイル離れてるんだよね。​」

ナショナリティー ー 星占いとナショナリストに共通するもの
北アイルランドの抗争には、大きくナショナリティー(イギリス人のアイデンティティを持つプロテスタント派とアイルランド人のアイデンティティを持つカソリック派)が関わっていましたが、パディーはそれにも疑問を投げかけます。北アイルランドのプロテスタント派の大御所、イアン・ペイズリーは自分はイギリス人であることを大きく主張していましたが、パディーが若い頃、イギリス人の友人の家を訪れていた時、イアン・ペイズリーがテレビに出てきて、友人のお父さんが「このアイルランド人、ひっこめ、パディー、そう思うだろう」と言っていて、改めてイギリス人は、北アイルランド人のことを宗派やその人がどう思っているかに関わらず、イギリス人とは思っていないことを確認します。また、今でもパディーはイギリスでは北アイルランド出身のマイノリティーと分類され、場所と場合によってはアイルランド人、ブリティッシュとさまざまに分類されますが、どれもinterchanable (入れ替えることができる)としています。「真実は、一番偉い、優れている国なんてない。アイルランド人はフレンドリーだと言われるけど、自分たちがそう思いたいだけで、実は詮索好きなだけでもあるし、これは別のナショナリティーにも共通。」EU離脱は、現政権の保守党のトーリーがブリティッシュにもっとブリティッシュになれといって、結局はUKを引き裂くような皮肉な結果となり、パディーは自分たちが北アイルランドで経験した抗争の後では、この世界的なカルトであるナショナリズムに洗脳されることを許した人々が残念だとしています。古いシステムを捨てて、今は教会の聖壇に膝まづくことは拒否しても、国旗に対しては立ち上がり敬意を払う人々は、星占いを信じる人々を笑えないと言っています。人々が「The Sun(イギリスで一番購買数の大きい大衆紙でゴシップ等のかたまり)」を買うのは、星占いとナショナリズムがみたいから。

We love you, but we don't like you ― 僕たちは君を愛してはいるけど、好きじゃない
このポストカードを送るのは、残りのUKの国々、僕たちは君たちを愛してるけど、好きじゃない。でも、愛してるから。
これはただのポストカードでもない。君が昔はクレージーだと思っていた、君のいとこたちからの介入でもある。僕たちは君の親族のうちの一人で、以前は自分たちに自分たちで火をつけ、自分たちを牢獄に放り込んだ。でも、今、僕たちは素面で正気で、君の玄関の前に立っている。君に「君は誰かに会う必要があるかもしれない」と言うために。
僕たちは、いつも君たちのことを思慮深くて、正気だと思ってた。でも、今僕らは知っている、それは僕らのほう。なぜなら僕らが経験したこと(多くの人が殺害された抗争)から。僕たちはUKのうち、今でも戦争を覚えている唯一の国。なぜなら僕たちはそれを体験したから。僕たちはあの戦争で何を失ったかをよく理解している。だから僕たちはそこには戻らない。僕たちはもっと大きいもの(EU)の一つでありたい。僕たちは、きみがそうでないなんて信じられない。
ナショナリティーを手放すことで、僕たちは平和を手に入れ、社会は進歩した。おかげで、今は、集合的なグループアイデンティティー(カソリック派かプロテスタント派か)ではなく、個人的なレベルでその人がその人だということで叩いたりできるぐらいだ。君を退屈させたくないから、これは最後のメッセージだと約束するよ。ボリス・ジョンソン(イギリスの現首相)が独立スコットランド統一アイルランドの間に橋を建設するまでは。(※1)
僕たちはこの場所を、少しのことを手放すことで救った。自分たちを誰だと信じていたか、で、僕たちは多分そうじゃないと発見した。君も同様にトライすべきだ。さあ、ここにきて。ここは海も水もラブリーだ。
北アイルランド、アイルランド、UK、ヨーロッパのDundrum、County Downより
Wish You were here (君がここにいてくれたらいいのに)
※ホリデーに行った場所から絵葉書を送る際に、絵葉書の最後に書く決まり文句

(※1)これは、現ボリス・ジョンソン首相が、自分たちはEUからのコントロールを離れて主権を取るといってEU離脱を成功させたのに、独立スコットランドと統一アイルランド(どちらも目的は、イギリス政府のコントロールから解放して自分たちの主権をとる)へは難色を示していることへの皮肉と、「橋」について大きなこだわりと幻想をもっている首相への揶揄。現首相は、ロンドン市長時代には、ロンドン内に無駄な橋を作る構想で大きな予算を使ったにも関わらず多くの反対でとん挫し、EU離脱では、フランスとイギリスの間に橋をつくればすべてが解決という荒唐無稽なアイディアを持ち出したことで有名。

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