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概念を知ることの大切さー現象を見抜いて団結して闘うことにつながる

Kate Manne(ケイト・マン)さんの著作は、一部は日本語にも翻訳されているので、聞いたことがある人はいるかもしれません。
私自身は、英語で書かれたものは英語で読むので、日本語翻訳では読まないのですが、あちこちで引用されている日本語翻訳の文章をみると、話が少しずれているかな、と思う時が多々あります。
これは、翻訳者の問題ではなく、英語と日本語は語学として大きく離れている上に、文化・社会も大きく違い、英語・英語が母国語文化にある概念が日本語には存在しない場合も多く、無理やりあてはめた日本語だと、著者が意図した内容とは違ってしまう、というのはある程度仕方のないことだと思います。
一つ一つの概念について、きちんと説明しようとすれば、すらすらと日本語で読むことは不可能になるので、日本語の翻訳は、ある意味別の本だと思って読むほうがいいのかな、とも思います。
日本にいたときに、英語も含むヨーロピアン言語から日本語に翻訳された本を読むと、すらすらと読めても、内容がつかめないと感じてフラストレーションを感じたのは、当然のことだったと思います。
それでも、全く読まないよりは、読んだほうがずっといいと思います。
本は自分の世界を開くきっかけになります。

著者が語っている英語でのインタヴューやポッドキャストを聞くことは、本来の著者が意味していたことを理解する助けになります。
著者の人間的な面(気さく、皮肉のきいたユーモアセンス等)もみえて、楽しいです。
ケイトさんの場合は、アメリカ英語でもないし、確実にイギリス英語でもないし、と思っていたら、オーストラリア育ちで、アメリカで長く暮らしている、とのことで、やっぱり多くの人から、「あなたはどこの出身?」と聞かれると言ってました。
どんな言語にも完璧な発音なんてありませんが、英語は、大英帝国が地球上の多くの地域を植民地化・或いは入植植民地主義で、白人の自分たちのことば(英語)をどの地域でも強制的に話させたので、違った地域で英語は別々に発達して、さまざまな発音が存在します。
イギリスは階級社会なので、イギリス北部なまりは労働者階級と結び付けられて、上流階級だと自分たちを見なしている一部の人々から馬鹿にされることもあります。
イギリス北部出身・労働者階級出身の女性アカデミック・政治戦略アドヴァイザーのFiona Hill(フィオナ・ヒル)さんは、イギリスで権威があるとされている大学の面接試験(入学試験の一部)を受けた時、北部訛りと服装を面接官である教授たちにさんざん馬鹿にされたそうです。
でも、同じ発音でも、アメリカで働き始めると、逆に、イギリス発音はとてもポッシュであると見なされていて、自動的に、まるでフィオナさんが上流階級出身で優れた知性をもっているかのように扱われて驚いたそうです。
フィオナさん自身は全く変わっていないにも関わらず、人々のPerception(パーセプション/見方)は、大きく違いました
それほど、発音や、ほかの人がどう自分を見ているかなんて、あてにならないもの、という証拠だと思います。

今回は、ケイトさんが出演していた講義で興味深かったものから。
聴衆からの質問も興味深いものがあり、その答えも、実際に、自分たちが知った知識をどう実生活にいかすか、という点でも参考になるし、勇気をくれます。
ここから無料で聴けます。
もう一つの興味深いポッドキャストは、同じく無料で、ここから聴けます。

ケイトさんは、まず、Misogyny(ミソジニー)の概念と、Sexism(セクシズム)の概念について語っています。
なぜ、概念が大事かといえば、何が起こっているかを明確に認識し、抵抗することを可能にすることです。
また、このことばがあることで、ほかの人々とも結束して、社会を変えるために行動を起こすことを可能とします。

例えば、セクシャルハラスメントは、今では世界中で使われていることばですが、歴史をたどると、アメリカで1978年に出版されたLin Farley(リン・ファーリー)さんの著作「The Sexual Harassment of Women on the Job/職場(仕事上での)女性に対するセクシャルハラスメント」で広く知られることになったそうです。
参考になる英語での記事は、ここより。
日本でぼんやりと使われている定義とは大きく違い、本質をついていることに留意する必要があります。
リンさんは、セクシャルハラスメントを以下のように定義しました。

女性の(男性と対等な)労働者としての役割よりも、性別役割を(勝手に/頼んでもないのに)押し付けてくる一方的な男性の言動

ここでいう「性別役割」が具体的に何を指すかは文化や社会、時代によっても少し違いはあるものの、多くの地球上の地域では、程度の差はあれ、以下を含むでしょう。

女性からの男性に対する心身的なケアやサポート・サービス(常に気を使って男性が心地いい状態にさせるーお茶をいれたり、気遣いのことばをかける等)、女性からの男性に対する(無条件の)賞賛、女性からの男性への服従・恭順、男性がすべてにおいて女性より優位にたつ権利、セックスへの同意を(無条件に)得る権利、男性が女性からの性的なサービスをうける権利(直接的な身体的な接触を伴うものだけでなく、女性が男性の性的な満足・興奮・欲求をみたすべきだとするものー服装や見かけ・仕草・若さ・やせている等で男性の目や感覚を楽しませるというサービスーも含む)

※「女性はやせているべきだ」として、女性をランキングづけするようなFat Phobia(ファット・フォビア)は、女性は男性の性的な欲求を満たして当然(=ミソジニー的な考え)なのに、それに従わず身体をやせさせていない女性は、性別役割に沿っていない(=家父長制の規範や性役割に抵抗しているとんでもない女性)ということで、ミソジニーを内在する人々から攻撃される。
ケイトさんは、高校生のころは今よりも少しぽっちゃりとしていて(医学的に肥満とされるものではない)、男子学生たちから、「(女性としての魅力がなく太っているので)将来、男性にお金を払わないとセックスができない」というランキングづけをされて、とても不快に感じたそうです。その後、やせようとして体調がとても悪くなった時期も経験したそうで、このファット・フォビアの仕組ついても詳しく説明していました。これは、次回に。

この定義では、「女性だけに掃除やお茶をいれさせたり電話を取る役割を押し付ける、身体の一部を触る、距離をつめてくる、つきまとってくる、仕事に関係のないソーシャルネットワークのプロフィールの写真についてコメントをする、仕事に全く関係ない外見や性的なこと、女性を性的なオブジェクトとして見ているような発言や質問をする(例/いい匂いだね、可愛いね、ボーイフレンドやパートナーについて聞いてくる)等の、仕事をする場での対等なプロフェッショナルな人としてのバウンダリーを踏み越える言動)は、セクシャルハラスメントです。
この定義は、「セクシャルハラスメントは個人の感じ方によるもので、その女性が不快に思わないならセクシャルハラスメントではない」という詭弁を不可能にします
女性は男性と同等な労働者としての権利があり、男性への心身的なサポート・サービス(性的なことも含む)を女性に求めることは間違っているし、違法です
また、女性は弱い立場に追いやられていることが多く、権力のある男性から言われたことについて、「No」ということで仕事を失う可能性が十分あると予測される場合も多く、「No」ということがとても難しい立場にいることも理解しておく必要があります。意に反して「Yes」と言わされていること(暴力で脅されなくても、心理的な強要)も十分ありえます。
だからこそ、仕事でもほかの場面でも、力の差(身体的、社会的ステータス、経済力、その環境での権力、年齢や仕事・人生経験、ネットワーク・情報へのアクセス力等)がある場合、同意は成り立たないことを心に留めておく必要があります。
リンさんは、女性法学者のCatharine A. MacKinnonさんと協力して、セクシャルハラスメントを「性差別」の一つにあたるとして、セクシャルハラスメントを違法とする法律の成立に貢献しました。
法律上でも、違法だと制定されたことにより、女性たちを含む多くの人々にとって、セクシャルハラスメントを認識することが容易になり、不当な状況に対して、正義を求めて訴える人々も増えました。
でも、バックラッシュも続いています。(=後述しますが、ミソジニーは社会構造なので、現在のミソジニー的な社会構造から利益を得ている権力者、権力者の周りでこの仕組から利益を得ている人々は、この構造を保守して自分たちの既存特益を守るために、正当な抵抗を行う人々を黙らせようとします。往々にして、権力者たちは、社会的・経済的にも大きな力をもっています)
また、法律化されたことは、社会的・文化的な変化をおこすために必要な多くのステップのうちの一つであって、法律は、この法律をつかって訴えを起こし、正義を求める行動が伴わないと、法律は無意味なものとなることも覚えておく必要があります。
現時点でも、加害者(=セクシャルハラスメントを行う人ー多くは男性でその環境で権力・ネットワーク力・経済力・社会的なステータス等の力を独占している人であることが圧倒的に多い)を、社会もコミュニティ―も守ろうとし、被害者(=訴える側ー加害者よりもすべてにおいて弱い立場にいることが多い)が疑われたり、バッシングを受けるのは、ミソジニー的な社会構造が強固である証拠です。
でも、この社会を構成しているのは、私たち市民すべてです。
実際に何が起こっているかを誰もが明確に見えるようになり、人々の考え・言動が変っていくと、確実に社会構造は変わります

ケイトさんは、ミソジニーについては、ナイーヴな(日本語ではナイーヴはいい意味で使われることが多いようですが、英語ではとてもネガティヴです。なぜなら、大人になる=成長するということは、ものごとをきちんと知る術をもち、自分の頭と心を使って考えて、言動を行い、それについて責任をもつということだから。無知ということに甘んじているのは大人として尊敬されません)概念が出回っているので、特に正確に定義することが大切だとしていました。
ナイーヴで間違っている定義: ミソジニーは女性嫌いな男性

ケイトさんが提案していた定義は以下です。

原則的に社会システム・構造や環境の特性として、(家父長制の規範や期待に沿わない)女子や女性たちを、敵意や憎悪に直面させることで、家父長制の規範や期待を執行・強要する機能を果たす。

ケイトさんは、Sexism(セクシズム)が家父長制のBad Science(バッド・サイエンス/偽科学・イデオロギー)で、現代に根付いている(有毒な)性役割のイデオロギーが「自然で、変えようのないこと」であるかのように見せかけることによって、このイデオロギーを強化し、その性役割のイデオロギーに沿わない・抵抗する女性たちを罰する警察のような役割をするのがミソジニーだとしていて、どちらもが協力しあって、この社会構造を強固にしている、としていました。

社会構造なので、ミソジニーを内在する人々、実際にミソジニーを行う人々は、男性に限らず、女性も含まれます

ミソジニーを内在する男性たちは、この家父長制の規範に沿って、男性に高いレベルのサービスを与える女性たち(例/洗濯や家事、子育て、男性への心身的なケアを一手に引き受け、全く文句や口答えをせず、常に男性を称賛し、男性の言うことには何でも従う従順な女性)については、攻撃しません。
場合によっては、これらの女性を「(あるべき姿の)理想的な女性」として賞賛し、何らかの褒美(出世させる、給料を上げる、優遇する等)を与えるかもしれません。
ミソジニーを内在させている女性たちも、この性役割/家父長制の規範に沿わない女性たちを、自分はこんなに我慢しているのに自由にふるまっている女性は許せない、と攻撃することもあります。
ミソジニーの攻撃の対象となるのは、多くは女性ですが、女性同士での団結が難しい理由の一つは、上記のように女性自身がミソジニーを内在化しているケースも多いことと、ほかの多くの女性たちを犠牲にしたとしても、自分だけが利益(出世、優遇等)を得られればいい、という人もいることでしょう。
これは、女性だけでなく、どんな国籍、性別、地域でも、そういう人々は一定数いるので、それでも残りのマジョリティーの人々で団結をはかり、誰にとっても安全で、誰もが同じ権利と自由をもち、平等な機会がある社会をつくることは可能です。

次は、どうミソジニーのターゲットとなっているかを見極め、どう対応するか(認識はしたけれど、対応しないことを選択することも含めて)を話します。 

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