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リベラルデモクラシーは生き残れるのか

べラルースや香港、他にも多くの国々(イラン、ロシア、スーダン、ミャンマー等)では、ひとびとは、死を伴うことが分かっていたとしても民主主義を求めて立ち上がりました。その理由のいくつかは、言論の自由もありますが、「法律の下に誰もが平等に裁かれること」、「権力者の責任を問うこと/権力者に説明責任があること」です。

第二次世界大戦後は、「民主主義+資本主義」対「共産主義/社会主義」という単純な図式で説明されることが多いものの、実際はもっと複雑です。
民主主義と資本主義は必ずセットである必要はなく、ヨーロッパ、特に北欧では、民主主義・資本主義・社会主義の組み合わせです。「社会主義=自分の個人財産が奪われる/貧しくなる」という極端なイメージを持っている人々はイギリスにもいますが、北欧諸国は経済的にも豊かな国々です。この経済の仕組みについては、後日に。

イギリスは、民主主義の始まった場所のように言われることもありますが、民主主義はどんどん脆弱になってきていると考えられています。アメリカや他の先進国も程度の差こそあれ同様で、東ヨーロッパのハンガリーのように既に専制政治となり、民主主義が機能できない国もでてきています。
一体何が起こっているのでしょう?

そもそも、Liberal Democracy(リベラル・デモクラシー/自由民主主義)とは、何でしょう?

多少の違いはあるものの、基本的な考えとしては、少し古い記事になるものの、オランダ人政治学者のCas Mudde(カス・ムッデ)さんの意見がしっくりきます。どの記事かははっきりと覚えていないのですが、参考になる記事としては、ポピュリストについて述べたものですが、イギリスの独立新聞ガーディアンに寄せた記事は ここ より。

リベラル・デモクラシーの本質は、完全に達成することはできない国民主権という考えと、政治的多数派によって簡単に覆すことのできない法の独立性・市民の権利を守る制度とのバランスをとることによって、多極的・多元的な共存(人種、民族、宗教、社会階級、性別、政治に対しての考えや意見、心身障害等に関わらず、誰もが同じ権利をもち、尊重される)を、政府が促進するべきであるという考えです。
リベラル・デモクラシーに右派・左派は関係ありません。
このリベラル・デモクラシーの良い点の一つは、誰もが尊重され、マイノリティーが迫害されたりしないということです。

リベラル・デモクラシーでは、多くの人々が、熱烈に反対意見を述べますが、それが紛争に達したり、相手を悪者とするものではなく、お互いが対等な立場で尊重しあいながら、活発に意見を交わしあうことを続けます。最終決定は、どちらもが100パーセント賛成するものでないでしょうが、誰もがある納得して、平和を保って生きていけるものです。

現在のリベラル・デモクラシーの危機は、多極的・多元的さ(誰もの権利と自由が同等に尊重される)を否定し、マジョリティーの人々や意見・文化・宗教のみが尊重され、マイノリティーは自分であることをやめ、マジョリティーに全てを合わせてマジョリティーに融合・迎合するか、さもなくばその国を去るべきという、一元制を求める不寛容さからきています。
もちろん、この背景には、経済の悪化もありますが、ポーランドのように経済が良くなったにも関わらず、こういった流れが出ているところもあります。

日本は世界でも恐らく珍しい例で、第二次世界大戦で敗戦したことにより、勝戦国より、民主主義を与えられました。
なぜ、民主主義を与えられたかというと、日本が再び帝国主義へと突き進むことを防ぐためでもあります。第二次世界大戦の大きな原因は、当時の日本が帝国主義を掲げ、多くのアジアの国々へ侵略・略奪を行ったことにあります。
日本の民主主義とよばれているものは、民主主義がひとびとによって長年にわたってつくられてきたヨーロッパとは、性質のとても違うものに見えます。
以前、「 日本人がなぜ人権を理解できないのか、その歴史的理由 」という記事を読んだ際に納得したのは、戦前の「天皇の臣民としてはみな平等=天皇に逆らう・抵抗しない限り、ひととしての権利を天皇から与えられる」という土台のもとに、形だけの西洋からの民主主義をのせているだけで、結局、ヨーロッパでの民主主義とは違うものだということです。
ヨーロッパでは、人権と自由は、誰かから、何かと引き換えに、与えられるものではありません。(例/日本の場合、天皇(或いは権威者)への絶対忠誠・絶対服従と引き換えに、限定的な自由と権利が天皇(或いは権威者)から与えられる、という暗黙の考えー憲法はリベラル・デモクラシーを採用していますが、日本社会の仕組やいたるところにこういった考えは組み込まれています)
「基本的人権」は民主主義の大事な柱のひとつで、誰もが生まれつきもっているもので、誰にも奪えません。「民主」なので、地主や王が「上」で他の人々は「下」ということはありません。天皇・王・領主等の地位に関わらずひとの上下はなく、誰もが対等で同じ権利をもち、基本的人権や自由が侵された場合は、人々は徹底的に抵抗し闘います。これは、日本の仕組の中だけで生きていると、とても見えにくいことだと思います。

日本では、「民主主義は多数決」という単純なことをよく聞きましたが、実際はもっとニュアンスのあるものです。
抑制のきかないMajoritarianism(多数決主義)は、民主主義ではありません。
多数決主義とは、たまたまその国のその時代に、宗教・言語・社会階級・人種・民族等を元に多数派の人々が「Right People(正しい人々)」で、一定の優越性をもち、すべてのひとに影響を及ぼす決定をする権利があるという考え方です。
これは、たまたまマイノリティーに属する人々の権利や望みを無視するものとなり、マイノリティーの人々を危険に陥れる可能性があります。
この多数決主義は、ナチスの台頭のときのように、多数派のアーリア系の人々のみを優遇し、他の人々を「Others(よそもの)」として、非人間化することにもつながりかねません。
リベラル・デモクラシーでは、少数派であっても、多数派と同様に、彼らの権利や意見は大切にされます。

また、アメリカでは、多数派だった白人が、あと数十年すれば少数派に変わることも予測されています。時代によって多数派、少数派が変ることも珍しくはありません。

誰もの権利と自由が守られるということは、ひとびとが安心して暮らせる社会のために、最低限必要なものです。

アメリカのトランプ元大統領、ブラジルの元大統領ボルサリーノ、中国の習主席、ハンガリーのオルバン首相、トルコのエルドアン大統領は、illiberal democracy (イリベラル・デモクラシー/見せかけは民主主義制度をとっているもの、市民の権利や自由は制限され実質は民主主義ではない)で、Autocracy(オウトクラシー/専制政治)へと向かっているか、すでに専制政治となっています。
上記の国々の政治・経済の仕組はかなり違いますが、お互いの共通の敵は「リベラル・デモクラシー」であり、これらの国々は直接協力することもあれば、お互いを観察し、どうやって報道の自由や司法の独立性を奪い、大衆を分断させ、リベラル・デモクラシーが機能できなくなることを学び、実行しています。
「リベラル・デモクラシーが敵」なのは、リベラル・デモクラシーでは、権力者の責任や行動を問う機関があり、市民も自由に政治に対しての発言を行うので、自分と自分の家族や友達に富と権力をいつまでも集中させておきた権力者にとって、とても邪魔だからです。
「リベラル・デモクラシー」という敵を弱めるためには、文化的なシンボルとして、宗教をよく利用します。上記の専制政治の国々で、土着の宗教がキリスト教の場合はキリスト教、イスラム教の場合はイスラム教を効果的に利用しています。
例えば、ヨーロッパでは、「白人・キリスト教徒(土着でマジョリティー)」対「Otthers(他の人々)」と分断させ、Nativism(移民排斥・土着主義)を呼び起こし、移民に対する憎しみを引き起こして増大させています。
イギリスやフランス、スペイン等では、数百年にわたって植民地支配を行ってきた経緯があり、旧植民地からの移民も多くいます。アフリカのほぼ全ての地域は植民地で、旧フランス植民地ではフランス語を話し、旧大英帝国(現イギリス)植民地では英語を話します。そのため、多くの移民は「有色人種・イスラム教徒」という組合せが多くなるため、「キリスト教」を利用することは、効果的です。
多くの国々で国境は何度も引き直され、何をもってイギリス人、ブリティッシュとするのか、というのは、とても複雑な問いであり、宗教は比較的シンプルに見えるシンボルなので、利用されやすいという面もあるでしょう。

イギリスでも、現政府は、富裕層(現保守党の政治家を含む)や大企業の利益を優先し、普通の人々や貧しい人々がどんどん貧しく生きていくのが難しい状況になっています。現政府にとっては、国民からの正当な批判が政府に対して適切に行われるより、ポピュリストがNativism等を使い、何の罪もない移民や社会のマイノリティーへ矛先がいくほうがずっと都合がいいので、黙っているか、それを煽って、さらに分断を広げています。
現在のイギリスの保守党では、Radical Right(ラディカル・ライト/革新右派)も力をもっており、彼らはこのポピュリストのアイディア(移民排斥等)を煽っています。
このラディカル・ライトは、政府は民主主義で選挙を通して選ばれるべきだとしていますが、マジョリティーが全てにおいて優先されるべきで、マイノリティーの権利や自由は制限されるべきだとするものです。
Extreme Right(極右派)になると、民主主義を完全拒否して、少数のエリートのみによって政治が行われるべきだとします。

リベラルデモクラシーに必要なものは何でしょう?

これには、民主主義についての本も出版している、ジャーナリスト・歴史家のアメリカ出身でポーランド在住のAnne Applebaum(アン・アップルバウム)さんのインタビューや対話はとても興味深いものです。Podcastやニュースにもよく登壇しているので、聞いてみることをお勧めします。

民主主義に必要なものの一つは、事実を元に誰もが対等に、活発に意見を交換できる公共の場があることです。
また、民主主義を支える機関(司法、政治、経済等)と、権力を監視・監査・抑制する独立監査機関も必要です。
経済も関わってくるものの、長くなるので、今回は少しだけで、次の機会に詳しく。

誰もが対等に、真実や事実を元に話す公共の場
はどんどん小さくなっています。
これには、アンさんも指摘しているように、SNSの出現で、ロシアのように偽情報を多く流して自国だけでなく、他の国の人々を分断させる巧みな手法もひろがっています。
また、自分と同じ意見の人々のみのエコー・チェンバーの中だけでくらすことも可能にしています。
また、こういったSNSのアルゴリズムは不透明で、これらのSNSを運用している企業の収益を増やすために、過激な意見がまるで多数派の意見であるかのように操作され、特に強い意見をもっていない多くの人々が、心理操作されてしまうことも分かっています。
また、この「真実や事実を元にして」話すということは、とても重要です。誰もが、全く証明できない陰謀説をまるで事実であるかのように話し始めれば、民主主義は成り立ちません。

自由民主主義が機能するために必要な機関は、例えば、メディア(報道)・法律機関・政治機関、経済機関、権力をもつ人々や機関を監査する機関ですが、これらは自分や自分の友達に権力と金力を集中させたい人々にとっては、とても邪魔なものです。専制政治に向かっている多くの国々では、これらの機関から力を奪うよう、あらゆる手をつくしています。
例えば、トルコでは、アカデミックやジャーナリストの多くが適切な裁判なしで長い期間牢獄に入れられていることで知られています。ロシアでは、多くの報道機関は閉鎖させられ、言論の自由もなく、自由選挙も行われていません。また、イスラエルでは、最高裁が政府の責任や行いについて裁けなくなる可能性があり、市民が大規模なデモンストレーションを行っています。ハンガリーでは、既に司法機関は政府のコントロール下にあり、「法の下に誰もが(権力者も含めて)平等に裁かれる」ということは起こりません。こうなると、市民の自由も権利も大きく制限され、選挙も不正が堂々と行われるようになり、それを止めることはできないでしょう。

リベラル・デモクラシーを続行・復活させることに、希望はあるのでしょうか?

アンさんが提案しているのは、オリガーク(新興成金)や極端な富裕層が政治に影響することを強く制限し、かつ、Civic education(市民教育)をひろげることです。
オリガークはさまざまな国にいますが、ロシアのオリガークは、イギリスでもアメリカでも大きな力をもっています。これを可能にしたのは、イギリスでは1980年代ころから根強く続いた、Neo-liberalism(ネオ・リベラリズム/資本主義の中の一つのアイディアで、「市場」崇拝で、政府は最小限の介入しかしないというものー労働者の権利・消費者の健康・環境等を守るための仕組はほぼ存在しないか脆弱。個人や企業が自分のことだけを考えて金儲けをする)で、ファイナンス業界への規制が緩められ、マニー・ロンダリングと知っていながら、金融機関や不動産機関が、犯罪の片棒をかついできた経緯があります。この一環として、モノポリー化した大企業や、極端な富裕層が政府へ献金やロビー活動を通して大きな影響を及ぼしました。
ただ、これは、政治的な選択であって、変えられないわけではありません。富が一部に集中する現在の極端に不公平な仕組みを壊し、働き手に富がまわってくる仕組みを作ることも可能です。
また、市民教育については、アンさんが住んでいるポーランドでも、司法機関の独立性が危うくなりました。その際に、多くの市民が、民主主義の世界で市民として活動してくための必要な知識をもっていないことに誰もが驚いたそうです。
リベラル・デモクラシーは、だれかに与えられるものではなく、参加して強化していくものであり、市民として参加するには、十分に政治や経済の仕組を理解していて、その上で正しい知識や情報をアナリティカルに考えられる能力が鍛えられていることが前提です。

民主主義は、もともと脆弱なものであり、私たちが自由と基本的人権を重んじた社会に生きたいのであれば、リベラルデモクラシーを保つ努力を誰もが続けていかなければなりません。

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