一人でみる夢はただの夢だけれど、みんなで一緒に見る夢は現実になる - Yoko Ono Exhibition at Tate Modern in London
先月(2024年2月15日)から、Tate Modern (テイト現代美術館)で、Yoko Onoさんの展覧会が始まりました。9月1日まで開催されています。
Tate GalleryのMembership card(Tate Gallery傘下のすべての美術館ーTate Modern, Tate Britain, Tate St Ives等で有効)をもっているので、特別展では、一般の人々に公開される前の朝9時から10時まがメンバーのみの時間として設定されている日が数日あり、2月の終わりに観てきました。
ちなみに、メンバーだと特別展が無料となるだけでなく、メンバー専用のカフェ(テイト現代美術館には、最上階に近いガラス張りのカフェがり、2か所にあるバルコニーも大きく、片方からはセントポール寺院も目の前にみえる)にも入れます。眺めもよくて、お勧めです。
Yoko Onoさんは、イギリスではBeatles(ビートルズ)の解散の原因をつくった人という疑いが強くて、あまり良い感情を持っていないイギリス人が多い印象があります。
私自身も、名前の発音は「Yoko」なのですが、Yoko Onoさんとは使われている漢字が違うので、「Yoko Onoと同じ名前なのね!」と言われることが多いのですが、毎回、日本語は、3種類の書き言葉(漢字・平仮名・カナ)があり、Phonetic(フォネティック/つづりがそのまま発音となるものー英語やヨーロピアン言語等だと、Phoneticのみ)なのは2つ(平仮名・カナ)で、名前にはIdeagraphic(イディアグラフィックかアイディアグラフィック/表意文字)である漢字(Kanji或いはChinese Charactersで通じます)が使われることが多く、同じ発音でも、違う表意文字を使っていて、全く別の名前だと説明するのですが、理解してもらうことが難しい場合もあります。
中国語の文字は明らかに表意文字を使っているものの、ヨーロッパ言語はPhonetic(フォネティック)のみだと思うので、表意文字がどういうものか想像することすら難しいのは当然かもしれません。
Yoko Onoさんが既に90歳を越えていたことは知らなかったのですが、見た後の印象は、とてもポジティヴで、ひとりのアーティストとしての価値をもった作品をつくりあげた人だということは確かです。
彼女がパフォーマンス・アーティストだということは知っていたものの、音楽にも造形の深いアーティストで、自分の声を楽器のようにつかってメッセージを伝えることができるアーティストだということを初めて知りました。
「John Lennon(ジョン・レノン)の妻」というバイアスでみられることも多いアーティストだという印象もあるし、ジョン・レノンとの共同作品だったり、彼の有名さが役に立った部分もあるとは思うのですが、ベトナム戦争が行われている真っ只中の戦争反対のメッセージや大きなポスターも、彼女自身の考えがよく現れていて、ユーモアもありつつ、平和を一緒に求めていこうと、周りの人々を優しくそのヴィジョンに近づけていこうとする、或いは、誰の中にもあるヒューマニティや優しさを自然とひきだしてくれるのが印象に残りました。
パフォーマンス・アートなので、今回のような大きな美術館での静的な展示だと、Yoko Onoさんの存在と、それに参加した人々が呼応してアクションが起こるという部分がないのは、大切な部分が欠けていることは否めないものの、アイディアが形になるまでの課程が現れているのも興味深いものでした。
Yoko Onoさんの日本語でのInstruction(インストラクション/手引)が、昔の綴りで、「おもう」ではなく「おもふ」等をみて、改めて第二次世界大戦中に既に小学生くらいだったんだな、と思いだしますが、作品は今見ても現代にも、恐らく未来にも即したものです。
展示場の入口には、日本でいうと七夕のような木が数本あり、そこに人々が願いを短冊に書いて結び付ける等、人々がアートに関れるものもありました。さまざまな戦争がヨーロッパの近くで起こっている今、「Peace(平和)」を求めるメッセージが多くあり、改めてアートは人々の心を開いて近づけるものだと思いました。
展示会場を出ると、「Message to our Mums(私たちの母へのメッセージ)」という展示があり、これは、過去に行ったパフォーマンス・アートで、人々が書いたメッセージや写真からのArchive(アーカイヴ/記録)が廊下の一面に貼られていて、新たに付け足すこともできます。「My mom is beautiful(私の母は美しい)」等のメッセージもあれば、「My mother is a broken child (私の母は、壊れた子供)」といったものまで、さまざまでした。
私が好きなYoko Onoさんのメッセージは、以下ですが、「一人でみる夢はただの夢だけれど、みんなで一緒に見る夢は現実になる」というのも、優しいヴィジョンをもったメッセージだと思います。
また、「A HOLE(銃の開けた)穴)」という作品は、大きなガラスに銃弾が貫通した穴があり、“A HOLE GO TO THE OTHER SIDE OF THE GLASS AND SEE THROUGH THE HOLE.” (穴。反対側にまわって、銃の開けた穴をみて)というメッセージが示されています。これは、銃を撃った人の目線から、その銃の弾丸で撃たれた人や、その人の家族・愛している人々・コミュニティーへと自然と別の視点から考え感じることを可能にします。
シンプルな作品に見えるかもしれませんが、実際に最初に銃が入った方向からみて、銃が撃たれた側へと身体的に動いたときに、はっとさせられます。強い否定の言葉や叫びではなく、優しく語りかけられている気がします。それが、Yoko Onoさんの強みなのかもしれません。
Tate GalleryはYoutube Channelももっていて、アーティストとのインタビューや、パフォーマンス・アートとは何か、といったことを、楽しく観ることができます。
Yoko Onoさんを含むパフォーマンス・アートについては、ここから、興味深いヴィデオがみられます。
ここでは、パフォーマンス・アートについて以下のような説明をしていました。
※翻訳ではなく、このヴィデオの説明プラス私の考察も入っています。
ここでは、パフォーマンス・アーティストのRasheed Araeen(ラシード・アライーン)さんの作品がありますが、いくつかの建築物の部品のようなもの(キューブ上のもの)が雑然とおかれており、訪れた人々がそれを好きな場所に置いてつなげていくと、突然、生き生きとした空間と建築が生まれます。アートワークとスペース、そして参加する人々の間に、落ち着かず動いている生き生きとしたものを生み出します。こういったことが起こるとき、このワークは、performative aspect(パフォーマティヴ・アスペクト/パフォーマティヴな特徴)をもっているといいます。
このアート・フォームが理解され始めたのは1960年代で、アーティストたちが伝統的な芸術のバウンダリーを壊し、芸術とは何か、どうあるべきかについて疑問をなげかけはじめた時期でした。
彼らは、静的な絵画や彫刻よりも、生きている要素が組み合わされたアートは、より現代の状況をうつしだしている、としました。
同時に、彼らは、簡単に買ったり売ったりできないアートを作りたいと思っていました。
「パフォーマンス」という用語は、実演的な面をもっていて、かつ観衆によって目撃されたアートワークだと定義されるようになりました。
でも、パフォーマンスが根付くにつれ、人々は(静的だと思われていた)絵画や彫刻もパフォーマティヴな特徴をもつことができることに気づきます。
Jackson Pollock(ジャクソン・ポロック)のアクション・ペインティング(観衆の前で絵具を投げつけて絵を描く)や、先述したラシードさんのキューブを組み合わせて建築をつくっていくように。
実際、多くのコンテンポラリー・アート(現代アート)は、パフォーマティヴな特徴をもっているようにみえます。
パフォーマンスは絵画や彫刻のような表現手段ではなく、何で作られているかでもなく、パフォーマンスは、アーティストによって使われるツールーどのようにアートが私たち、私たち一般の人々が住む広い意味での社会にどう関わっているか、という疑問を投げかけます。
パフォーマンス・アートは、しばしば実演や観衆という要素が関わるものの、必ずしもそうでないといけないというわけでもありません。
パフォーマティヴな特徴のある写真や文書を通してこれらの質問を投げかけることも簡単にできます。
長くロンドンで活躍しているパレスチナ人女性アーティストのMona Hatoum(モナ・ハトゥム)さんが、足首にDoc Martens(ドクター・マーティン)のブーツの靴ひもを結び付けて裸足でBrixton(ブリクストン/南ロンドンの町。特にカリビアンからの移民が多い地域)を歩くというアクションを描写した写真は、静的なイメージではありますが、モナさんはこのパフォーマンスを通して、社会の主流から取り残された人々が、国家のコントロールや監視の道具にされる脆弱さを表現しています。(1985年のパフォーマンス・アートですが、この時代にはロンドンでも、今は違法となった白人至上主義の団体が大手をふっていて、警察も人種差別がひどいレベルで起こっていました。警察は有色人種や黒人に対しての正当な理由のない暴力や一斉検挙が行ってもなんの罰も受けない時代で、白人至上主義の団体のメンバーはスキンヘッドでこのドクター・マーティンのブーツをはいていることが多く、警察もこのドクター・マーティンの靴をよくはいていたことから、この作品となっています)
モナさんは、この作品で、脆弱さだけでなく、その苦しい状態でも歩き続けることで、社会の隅っこに追いやられた人々のレジリエンス・強さも表現しています。
パフォーマンスは、芸術と生活の隙間でおこり、常にシフトしていて全体を定義することが難しいもので、パフォーマンス・アートを、「Settle(セトル/一か所に落ち着く)することを拒絶するアート」と表現するアーティストもいます。
絵画にしても文学にしても、アーティストたちは、とても深い観察眼をもっている人々のように思います。このTate GalleryのYoutube Channelからは、多くのアーティストのインタビューが無料で聞けるので、お勧めです。英語のSubtitles(サブタイトルズ/字幕)もついているので、さまざまな国の人々がさまざまなアクセントで話していますが、理解できます。
【参考】
Mona Hatoum(モナ・ハトゥム)さんについて書いた私のBlog記事
https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231023