映画「She said」-女性たちの証言の真実と真実を信じることの大切さ
イギリスでは、映画「She said」は11月に公開されました。
既に、#Me too movementでもよく知られている話だったので、映画館で観るかどうか迷ったのですが、私の大好きな俳優のCarry Mulligan (キャリー・マリガン)が主演の一人だったので、観に行くことにしました。キャリー・マリガンはイギリス俳優で、演技だけでなく歌もとてもうまいし、アメリカ英語の発音も達者で、さまざまな映画に出演しています。
結論は、わざわざ映画館に足を運ぶ価値があったし、「ぜひ、男性に見てほしい」と強く思う映画でした。
露骨な描写はありませんが、男性でも女性でも性的加害を受けたことがあれば、信頼できる友人と一緒に観ることをお勧めします。
仕事をしっかりしようと夢をもった20歳前後の若い女性たちの人生が次々につぶされていく姿には、思わず涙してしまいますが、彼女たちも最後には自分たちの声を取り戻します。
彼女たちが自分の声を取り戻すのは、正面から不正義に立ち向かい、彼女たちの声が法律上でも、社会からもきちんと聞かれ、彼女たちが正しかったことが証明されたからです。
映画業界で信じられないくらい力をもっていた人に対して、一人や複数人で立ち向かうのは不可能で、多くの人々と協力することは欠かせません。
また、ハーヴェイ・ワインスタインが映画業界で30年以上にわたって性加害を続けられたのは、彼の周りの人々や社会が彼のまやかしの力を保ち続けさせたことも忘れてはいけません。社会やメディアが被害者を悪者に仕立てあげるのは、加害者が加害を続けること、加害をエスカレートすることを可能にします。
この題名の「She said」は、英語圏でよく使われる、「She said, he said」という言い回しからきています。これは、「彼女はこう言ってるし、彼はああ言ってるし」ということで、女性のレイプにあったという主張を根拠のない噂話として片づけてしまうことから、「She said(彼女は言った)」と明確に題名にすることで、女性たちの証言の大切さを回復しています。
話自体は非常にシンプルで、芸術的な面でいえば興味深いとは言えないのですが、被害者たちの人生の描写は、その人の人生に一緒に入り込んだように感じます。これは、Visualな力の強い映画ならではかもしれません。関係のない他人のことではなく、彼女たちが身近な大切な友人のように感じられます。
また、この事件を追い続けた二人の女性記者が、産後鬱や、子供と仕事との両立に悩みながらも、正義を果たすために働き続ける姿も、ただ単にヒーローのような体力も気力も超人的な人々を描くのではなく、普通の人々を美化することなく、等身大で描いているように感じました。
この映画の中に出てくる被害者たちは、映画界で女優を目指しているような人々だけでなく、ハーヴェイ・ワインスタインの会社「Miramax」で普通の会社員、アシスタントとして働いている人々も多く含まれています。20代前後の若い彼女たちの被害に遭う前の生き生きとした姿から、被害に遭った後の自殺しようとして失敗した姿や、どうにか逃げ出して雨の中を泣きながら走っている姿。その後も、鬱に悩まされた人は多く、一見普通に家庭をもったようでも、彼女たちの困難は終わったわけではありません。多くの人々は、二度と映画界で働けなくされました。面接に行くと「なぜ、ハーヴェイ・ワインスタインの会社を去ったの?」と聞かれ、当然、性加害にあったとは言えず、欧米では転職時に必要なリファレンスを頼んでも、まともにもらえなかったりしたそうです。被害を受けたアシスタントの中には、生活していくことができず、やむを得ず、再度ハーヴェイ・ワインスタインの会社(アメリカやヨーロッパではなく、アジアのオフィスでワインスタインは来ないことが確実な支社)に再就職して数年働いた人もいました。多くの被害者は、Non Disclosure Agreement(NDA/機密保持契約書)に署名させられており、結局は泣き寝入り状態でした。
このNDAについては、アメリカでは普通の雇用契約でも頻繁に使われており、ハラスメント等がおきても会社を訴えられないような仕組みになっており、問題だとは聞いています。ただ、近年見直しはされているそうです。イギリスでは、普通の会社員だとNDAはありませんが、俳優や脚本家だと契約書にNDAが入っていることが多く、かつ、オーディションをしてすぐにサインする必要に迫られることが多いということで問題になっていました。これは、俳優や脚本家のための組合があり、こういった慣習をやめるよう働きかけが大きくあり、最近ではNDAを課すことはとても少なくなったそうです。
この映画では、普通の会社員として働いているだけなのに、雇い主でかつ映画界では神のように扱われていて、その上身体もとても大きいハーヴェイ・ワインスタインに追い詰められるとても若い女性たちは、挿入という行為がなくても、ひどい精神的な後遺症を負っています。
日本では、まるで挿入があったら女性は一生傷モノとして生きていかなければならないけど、挿入がなければ、それは何でもないことで、誰も傷ついていない、黙って忘れればいい、という神話がまかりとおっているように思います。女性の人間としての尊厳は性器に存在するわけではありません。このことも、この映画を観るとよく分かると思います。
加害は、「支配したいという欲求」からきていて、多くの女性たちは、自分が非人間化されたように感じ、屈辱感・恐怖を感じ、生きる意志を失わせます。
この映画の中にも間接的に出てくる、実際にハーヴェイ・ワインスタインからの性加害を訴え、警察からの指示で盗聴機器を仕掛けて、再度ハーヴェイ・ワインスタインに会ったイタリア人モデルのAmbra Battilana Gutierrez(アンブラ・バティラナ・グティエレス)さんには何が起こったのでしょう。
映画でも、 他のニュース記事 でも彼女が録音した内容を聞きましたが、聞くのがとても辛いものでした。本人は、さらに辛かったでしょう。彼女はたった22歳で、イタリアからアメリカにきて間もなく英語もそう上手な状態ではないし、アメリカの映画やモデル業界のこともよく知らない状態でした。
この録音でも、映画の中でも、ハーヴェイ・ワインスタインは、とてもManipulative(心理操作を巧みに行う)です。
彼は、「これは、誰でもやってるんだ(この業界ではごく普通のこと)。俺は有名なんだ。俺に恥をかかすな。こんな5分くらいのことで、俺との友情を台無しにするな(=誰もお前に仕事を与えないようにしてやるという間接的な脅し)」等、狡猾な感情的な操作が続き、彼女の「私には(胸を触られるのなんて)普通じゃないし、私はこういうことはとても心地悪い。やめて」と震える声で勇気を振り絞って言っている姿が伝わってくるのですが、それも完全に無視して、部屋に力づくで引きずりこもうとするのが聞こえます。
ひととしての感情や気持ちを持ち合わせていれば、相手がそういう状態であれば、無理やり何かをしようとは思えないはずですが、ここでは彼女の人格や尊厳、気持ち等、完全に無視しています。そこにあるのは、彼の「誰かを自由に所有したい/支配したい」というエゴのみです。彼女は完全に非人間化されています。
彼女は、警察に戻り、この録音を届けたものの、結果的には警察はこれは犯罪とはならないと判断したそうです。この判断には、ハーヴェイ・ワインスタインやその取り巻き(弁護士や他の権力をもった人々)からの圧力が働いたと考えられています。ハーヴェイ・ワインスタインの逮捕後、警察の当時の責任者は退職したそうです。
結局、彼女はその後数年にわたって、さまざまな仕事から干され、悪い噂をふりまかれ、それまで友人だと思っていた人々から、「あなたといると私の評判に響くから」といった理由で友情を終わらされたりと、鬱にもなったそうです。イタリアで働いていた彼女の兄のところにも、突然ワインスタインの知り合いだと名乗る人が職場に現れ、無言での脅しがあったそうです。
アンブラさんは、彼を訴えたことを後悔しているかと聞かれ、「全く後悔してない。他の人々がこういった被害にあわないためにも、正義のためにも、何度でも同じことをする」と言ってました。
30年にわたった信じられないくらいの数の加害が表に出てこなかったのに、彼女が警察に行く勇気があったのは、彼女はイタリアから来たばかりで、彼がどのぐらい業界でパワフルかよく理解していなかったこともあったし、自分のスペースを侵害したことは誰であっても許せない(ハーヴェイ・ワインスタインとの初めてのビジネスミーティングに行ったとき、胸をつかまれ、スカートの中に手を入れられた)ので、躊躇しなかったということです。
そんな彼女も、もし(少しずつ加害がエスカレートし、周りも助けてくれない状況で)徐々に自分をPowerless(力がなく)で、小さく弱い存在だと信じ込まされるほどに痛めつけられていれば、ワインスタインが「もし俺の言う通りにしなければ、お前は人生で何もできない」と言えば、「自分には何の選択肢もない、従うしかない」と思っていたと思う、と言っていました。そのぐらい、ワインスタインは人々の心の操作にたけています。
彼女も自分はナイーヴであったかもしれないけど、(訴えることは)同時に自分のキャリアや将来を失うことも意味する可能性が十分あることは理解していました。
彼女の勇気ある行動が、結局は多くの人々の勇気を引き出し、かつ、さらなる被害者をだすことを防ぎました。
この映画の中でも、NDAもあり、ハーヴェイ・ワインスタインの性加害を隠すことを可能にした取り巻きやシステムのせいもあり、被害者が一人で出てきて真実を話すことを実名で行うのは無理があるとして、多くの被害者が一気に話し出すことを策略としています。なぜなら、多くの人々を一斉にたたいて黙らせるのは、力をもっているハーヴェイ・ワインスタインとその取り巻き達にしてみても、難しいからです。この大なり小なり共犯行為を行った人々は、罰を受けることは一生ないのでしょうが、直接手を下したわけでなくても、犯罪に加担していたことには間違いはありません。でも、彼を神のように祭り上げている仕組はまやかしで、それを誰かが明言し始め、人々がまやかしを信じることをやめると、あっけなく崩れます。
この映画では、ハーヴェイ・ワインスタインは後姿が短い間出てくるだけです。
主役は、あくまでも被害者たちです。
彼女たちの、真実を言うことと、それが認められることで、人間としての尊厳、自分自身を取り戻すというところも印象に残りました。
実名を報道されることを許可した中国系アメリカ人の元アシスタント(自殺未遂をした)のRowena Chiuが BBC のInterviewで言っていたことも印象的でした。私は、BBCでの彼女へのインタビューも観ましたが、とても冷静で知的で穏やかに話す人で、裁判ではハーヴェイ・ワインスタインの弁護士が被害者を嘘つきだとして執拗に攻撃する姿勢も問題となったのですが、それに対しても、「それは彼女の(弁護士としての)仕事の範囲で、特別な感情は持っていない」と言っていました。覚悟がなければ、この質問には耐えられなかったと思います。
彼女が言っていたのは、自殺未遂をした後に電話をかけた男性の友達は、すべての出来事を知っていたものの、この映画を観たときに涙を流して感情移入をしているように見えて(自殺未遂後に電話をかけたとき、BBCに出演したときは感情移入しているようではなかった)、その瞬間に、「映画は人々の心に到達できる、他のどの方法でも不可能な場所に」と感じ、自分に起こったことを映画に含めることを許可したことを誇りに思ったそうです。
男女どちらでも、特に以下のように無意識・意識的に思っている人々には、ぜひ一度映画を観て、被害者がどのように感じているか、その後の人生がどう変わるかを考えるきっかけになればと思います。
性加害をしたことがない/されたことがないと認識している人々
身体を触ったり、追いつめて抱きつこうとしたり、相手に(一部)裸になることを要求する等は、(挿入という行為がなければ)別に被害者を傷つけることでも大したことはない、と思っている人々
また、被害にあっている人(男女どちらも)をみたら、声をかけて味方となって、サポートしましょう。誰もが黙っていれば、加害はいつまでも続くかエスカレートしますが、大勢で声を上げ始めれば、このまやかしの仕組は崩れます。ターゲットにされている被害者はストレスにさらされていて声を上げにくいことはよく理解して、傍観者の立場である特権を活用しましょう。
性加害は、社会の仕組上、権力を持っている側(男性)から権力のない女性に行われることが多いものの、女性から男性への性加害も起こっていることは誰もが認識している必要があります。性加害は「支配欲」からきています。
重要なのは、被害者が声を上げれば、周りが絶対に味方をしてくれる/サポートしてくれる社会や環境が普通に存在することです。また、性加害はどんなものでも絶対に許されない、という強い合意が社会にあることも大事です。被害者が責められる社会(=加害者を守り、加害をますますエスカレートさせる)社会を望む人々は、本当に少数派でしょう。性加害を矮小化する人々には、チャレンジする必要があります。社会は、私たち一人一人でできています。法的な変化も必要ですが、一人一人の考えも行動も変わる必要があります。
誰にとっても安全な社会で、誰もが自分の夢や希望を実現させることができる社会にするために。