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間違いを正す勇気と事実を語ること

最近、たまたまアメリカ人黒人作家・ジャーナリストのTa-nehisi Coats(タナハシ・コーツ)さんがインタヴューされているPodcastを聴きました。
いくつかのポッドキャストを聞いたのですが、その中でも、Middle East EyeAl Jazeeraのポッドキャストが特に心に残りました。
どちらも無料で聞けます。
タナハシさんの明るく気さくで、正直に間違いを認める真摯さ・勇気も伝わってくるので、普段は英語を聞く機会はなくても、ぜひ字幕つきで聞いてみることをお勧めします。

タナハシさんは、「白人に一番読まれている黒人作家(=白人に耳障りのよいことしか書かない)」と批判されることもあるものの、最近出版した「The Message」という本では、パレスチナ人虐殺が起こる前に訪れたパレスチナでのタナハシさんが実際に経験したこと(アパルトヘイト、ユダヤ系イスラエル人(イスラエルの政治・経済の権威者はヨーロッパから移住してきたヨーロピアン系白人ユダヤ人)からのパレスチナ人やアラブ系の人々に対する人種差別とひどい暴力)について述べ、メイン・ストリームのメディアから大きなバックラッシュを受けていますが、タナハシさんは、バックラッシュを受けて、メイン・ストリームでの場所(権威のあるニュース番組への招待や、権威のある新聞でのコメントや記事を書くこと等)を失ったことについて、何の後悔はないそうです。

タナハシさんは、これはとてもシンプルなことであるとしています。

もし、これらの(権威のある)ネットワークや場所(=ニュース番組やテレビ番組、新聞や講演会等)へのアクセスをもつことへの対価が、(実際に自分が目にしたパレスチナ地域での)アパルトヘイトを見なかったことのようにふるまうことであれば、「NO」です。
私は、黒人作家で、これの(植民地主義・アパルトヘイト・人種差別の社会構造の影響を受けてきた)子孫です。
あなたは、私が「人種隔離」から目をそらさないといけないと言っているのでしょうか?
「人種隔離」という言葉は、(実際パレスチナで起きていることを考えあわせると)、私がいえる言葉のなかでも、一番マイルドな表現です。
もしそれ(虐殺や人種隔離という現実を目の当たりにしたのに、権威や権力のある人々を怒らせないために言わない)が対価なら、(答えは)「NO」です。
(タナハシさんは、パレスチナ地域を訪れた時、明確にアメリカでのJim Crow Laws(ジムクロウ法ーアメリカでの19世紀後半から20世紀半ばまでの人種隔離政策を定めた法律)とのパラレルを目の当たりにしました。ジムクロウ法はアメリカでは破棄されましたが、パレスチナでは現在進行形です)

また、タナハシさんの発言・記事の中でも、ガザで起きていることは、イスラエルによるパレスチナ人の「虐殺」だと明言していることで、バックラッシュを受けていることについて、以下のように答えていました。

それ(虐殺)であることは、とても明らかです。
(イスラエル政府の高官たちが公に述べている)ことば、「ガザにイノセントな市民はいない」「パレスチナ人はhuman animals(人間の姿をした動物)」そのほかの(パレスチナ人の)絶滅を表現する言葉。
もし、私たちが、権威や権力のある人々がどのぐらい自分に対して怒るかということによって、自分がつかう言葉やLabel(レィベル/分類ー「人種隔絶」や「人種差別」「虐殺」等)を調整するとすれば、私たちが書き手であるということに、なんの意味があるのでしょう
私たち(作家・ジャーナリスト)の仕事は、自分たちが見たことを書くことです。
私は、(権威のあるメディアへの)出演を頼まりたり、称賛を得ることは喜ばしいことだと思いますが、結局は、一日の最後には、PCを閉じ、自分の美しい妻と愛らしい子供にあい、愛している友人たちと集まって話します。
人々がこれ(大切なのは権力や権威からの承認や賞賛ではなく、ひとりの人間としてヒューマニティーを大切にして、まわりの人々に向き合うこと)を理解できなのは、私たちがそのように(社会を)モデルしていることが原因で、このnotion(ノーション/意見・概念・思い込み)で不運なのは、作家というものは、権威や権力がある人々から好かれて、大きなプラットフォームを与えられること(=名誉、お金、権力・権威を得ること)だとみられていることです。
でも、私が求めているのは、my people(マイ・ピープル/タナハシさんが意味するマイ・ピープルは後述)からの尊敬・認められることです。
マイ・ピープルとは、私が見たことを認識し、私が見たものを、見る人々です。
もちろん、私の意見に怒ることもあれば、反対することもあります。

もし、政治家が、自分の議席を失うかもしれないから、と(権力や権威に沿うよう)自分の政治的なポジションを調整するとすれば、そもそもなぜ、議席がほしかった(=政治家になりたかった)のでしょう。
(=政治家とは、本来、その地域の人々の生活や人生、社会全体を良くするために存在するものだから、その本来の意味を失い、自身のステイタスや名声・社会的な地位・権力・金力が第一目的なら政治家である意味はない)

タナハシさんの最新本「The Message」は、若いジャーナリストたちへのメッセージとして書かれていますが、パレスチナのことが含まれているのには、理由があります。

タナハシさんは、10年前にThe Atlantic(アトランティック紙ー強い親イスラエル主義であることでも知られているアメリカのメインストリーム新聞)に「The Case of Reparation」を寄稿します。
アフリカ大陸から、黒人を奴隷として攫ってきた後にずっと続くアメリカの構造的な黒人差別(表面上の奴隷解放の後にもずっと続く黒人差別や多くの殺害)の賠償について書き、ドイツ政府が(ホロコーストについて)イスラエル政府に対して行った賠償が(良い例として)一つの参考になるのではないか、というものでした。
タナハシさんは、「黒人差別への代償」というアイディアについては、多くの批判があることは覚悟していたものの、「ドイツ政府から、ホロコーストへの償いとしてのイスラエル政府への賠償」の部分が大きく取り上げられるとは思っていなかったそうです。

(Note ー はじめ)
日本では、この背景についてよく知られていないかもしれません。
ドイツ政府はユダヤ人虐殺の数十年前に現ナミビア国地域で虐殺を行いましたが、それに対しては、謝罪を長年拒んだ上、賠償金を払うことは絶対にしないと断言しています。
ドイツだけでなく、イギリス・フランス・ポルトガル・スペイン等の旧植民地宗主国は、地球上のほぼすべての地域にわたる植民地地域で、先住民の土地・資源を奪い、その過程で殺害や虐殺を行い、数百年にわたる支配中に、先住民から残虐な支配に対する正当防衛や、(正当な)抵抗が起こると、先住民たちの「暴動」「残虐な攻撃」とレベルを貼り、現在のイスラエルがパレスチナ人に対して行っているレベルと(当時の武力やテクノロジーでは)同等の虐殺を行いました。
でも、それについて触れられることは稀で、植民地での暴政に苦しんだ人々の物語は抑圧され、沈黙させられています。
ユダヤ人虐殺(ホロコースト)が、長い虐殺の歴史の中で特別視されるのは、被害者が白人ヨーロピアンで、ヨーロッパ大陸で起こったことからだとみる専門家・学者は多く、植民地主義・帝国主義・人種差別の表れだと見られています。
現在の力のある西側諸国は、すべてこの植民地主義(入植者植民地主義も含む)から富と圧倒的な支配を築いたので、自分たちのイメージ(イノセントで、知能や性質が遺伝的に優勢で、勤勉で、文明化を行い、キリスト教を啓蒙して、野蛮な人々を野蛮な動物状態から「ひと」に格上げしてあげた、慈悲深く優良な人々)にとって都合の悪いこと(=自分たちが植民地地域に対して行ってきた多くの虐殺や暴力)を消し去るのに、「ホロコーストは世界で最初で最悪の虐殺」という(偽りの)ナラティヴを広めることは、自分たちの虐殺の歴史を人々の意識から消し去ることに役立ちます
誰でも、自分たちの内側のモンスター・悪魔を認識することは難しいことですが、これに向き合い、どんな状況にあっても、正しいことを選んで行動することをどのように可能にするか、訓練するか、仕組み・構造をつくるかを考え・施行するのはとても大切なことです。
ユダヤ人虐殺(白人ヨーロピアンが白人ヨーロピアンを虐殺)に至ったのは、その前から続く、他の地域で有色人種を非人間化して行ってきた長年の虐殺が、結局は自分たち白人ヨーロピアンに返ってきたともいえる、という見方もあります。
誰かを非人間化することは、結局自分たちのヒューマニティーも奪うことでもあります。
また、ホロコーストでは、流浪の民であるRoma(ローマ)の人々(ヨーロッパでは現代でもひどい差別を受けている)や、心身に障害のある人々、ナチの体制に反対を唱えた人々も虐殺の対象となり、人数でいえば、ユダヤ人という理由で虐殺された人々と、ユダヤ人以外の理由で虐殺された人々の数はほぼ同じだそうですが、後者の人々についても語られることは稀です。
ある人々に対する虐殺が被害者の視点から広範に語られ、ほかの人々への虐殺が被害者の視点から語られない、或いは沈黙させられるのは、偶然ではなく、意図的です。
また、物語が語られる時、それは往々にして力をもっている人々が語るか、力をもっている人々にとって都合の良い視点から語られる物語であることも心に留めておく必要があります。
だからこそ、沈黙させられた被害者からの視点からの物語は、とても大切です。
アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・南アメリカ・南アフリカといった国々は、入植者植民地主義国で、西ヨーロッパから侵略した白人ヨーロピアンたちが先住民を疫病や虐殺でほぼ消滅させ、侵略者である白人たちがマジョリティーとなった、或いは数としては白人ヨーロピアンたちがマイノリティーでも、政治や経済を完全支配する階級となった地域です。
どの地域でも先住民を完全に消し去ることは不可能だったため、生き残った先住民たちに対しては、assimilation(アシミレーション/同一化)として、子供たちをさらい寄宿舎学校にいれ、部族のことばや慣習を完全に禁止し、キリスト教を強要し、両親や親戚ともコミュニケーションを取るのが不可能な状態にしました。この過程で、多くの子供たちが死んだり殺されたりしていますが、カナダでは1990年代半ばまで行われていました。
先住民たちは、自分たちの祖先の土地から強制的に移住させられ、狭い地域に閉じ込められ、貧困を与儀なくされてきました。
でも、これらのことが語られ始めたのは、つい最近のことです。
多くのアメリカ人やカナダ人は、「善良で勤勉で開拓精神のある啓蒙され、文明化されたヨーロピアン白人キリスト教徒が、新しく発見された土地、荒野で誰もいない土地にやってきて、土地を豊かなものにし、素晴らしい文明と経済、民主主義を築き上げた」という偽りの神話を信じています。
ナチのヒトラーは、さまざまな地域での人種隔離政策や人種差別を研究させ参考にしたそうですが、当時のナチでさえ、アメリカの人種隔離主義は行き過ぎだという結論になった、というリサーチも読んだことがあります。
現代においても、中国のウィグル地域では、中国政府はこれらを見習って、子供たちを寄宿舎学校にいれ、ウィグル語は話せないようにし、ウィグルの慣習は野蛮なものとしてたたきこむようにする政策がすでに始まっているとするリサーチャーもいます。ウィグル地域は、ほぼウィグル族の人々のみで長年暮らしていたところに、資本主義の発展に伴い、ウィグル地域に多く存在する資源を求めて、多くのハン民族が一気に移住してきて、ウィグル族の土地を(合法的にー政府に都合の良いように法律を変えた)奪い、ウィグル族を経済からはじき出したことから対立が生まれたとされ、これも入植者植民地主義の一つとして考える学者もいます。
「植民地主義」と聞くと、白人から有色人種に対しての仕組で過去に起こった事と直感的に思うかもしれませんが、誰か(あるグループ)がほかの人々やグループより劣ったものとして土地や資源を奪うことを正当化する仕組なので、どんな地域・社会・時代にも起こりえます。
(Note 終わり)

タナハシさんは、批判の内容はとても正当なものだと早い段階で気づき、いかに自分が社会や周りの人々のバイアスに気づかず、そのまま批判なしにそれを無意識に吸収し、間違ったことを書いたかについて深く反省し、正直に間違っていたことを認めます。
この10年前に書かれた記事の問題は、イスラエルは、武力と暴力、テロ行為でパレスチナ人たちが数世紀にわたって住んでいたパレスチナ地域に侵略し、土地や家・資源を奪い、歴史的パレスチナ地域を(国際法違反にも関わらず)占領し続けていることです。
タナハシさんの記事では、75年近くにわたって、イスラエル政府は多くの無実のパレスチナ市民や子供たちを殺し続け、土地や資源を奪い続けていることを完全に見落としていました。
ある意味、ドイツ政府は、ホロコーストの賠償金をイスラエルに渡したことで、パレスチナ人虐殺や追放を間接的に助けたと理解することもできます。
ドイツ政府は、イスラエル建国時のパレスチナ人虐殺や追放については沈黙をし、現在でも、イスラエル政府が国際裁判で、「虐殺をしている恐れがあるので、ほかの国々は虐殺が起こらないよう最大の努力をしなければならない(=武器や資金の供給をしない、経済制裁をかける等)」という結論が出ているにも関わらず、この国際法の解釈へ異議を表明し、「イスラエル政府は中東で唯一の民主主義の国で、ヨーロッパの価値観を共有していて、イスラエルが行うことは常に100パーセント正しい/虐殺を経験した人々が虐殺を行えるわけはない/イスラエルには、自衛する権利がある」という言葉を繰り返し、パレスチナ人の自衛権や、ひととしての基本的人権、自由は完全に無視しています。
ただ、これはドイツだけではなく、ほかのヨーロッパの国々やアメリカも同様です。
ちなみに、「パレスチナ地域にユダヤ人のみの国をつくる」というアイディアは、マイノリティーで奇妙な考えだと、ヨーロッパに数世紀にわたって住んでいたユダヤ系白人ヨーロピアンたちにも相手にされていなかったものの、ヨーロッパ(ロシアや現ウクライナ地域も含む)でユダヤ人迫害・虐殺がひどくなり、多くのユダヤ人が殺されないために安全な地域へと移住することが不可欠だったのに、ヨーロッパもアメリカもユダヤ人移民を受け入れるつもりはなく、安全な地域が存在しなかったことが原因となり、大きく広まっていったそうです。
ヨーロッパもアメリカも、大量のユダヤ人移民を受け入れるつもりは全くなく、「ユダヤ人問題」をほかの地域に押し付けることについては賛同していたのは、さまざまな資料から明らかです。
ここに、先住民であるパレスチナ人の存在が全く考慮に入っていないのは、オットーマン帝国崩壊のあと、パレスチナ地域を植民地としていたイギリスも、先住民のアラブ系のパレスチナ人を「野蛮で劣っている人々」とみて、先住民の人々の命の価値を軽く・下にみていたからです。
これが、先住民であるパレスチナ人たちの意見を聞くこともなく、イギリスが勝手にヨーロピアン白人のユダヤ人たちに、パレスチナ地域の一部をユダヤ人国家として与えることを約束したことにもつながっています。
ただ、先住民の意向や命・権利を完全に無視して、奪った土地を植民地宗主国の間で勝手に分けて所有・支配することは、普通に行われていました。
現在の「国家」間の国境線で争いが起きがちなのは、植民地宗主国が自分たちの都合だけで、国境線を引いたことからきているケースが大半です。
「国家」という概念も、18世紀ごろから発達した考えで、植民地主義・資本主義と深く結びついていることは覚えておく必要があります。
「国家」は自然なものでもなんでもなく、どこかの時点で、その当時の権力者に都合がよいように(自分たちの既存特益を守り続けるために)つくりだされたものです。

タナハシさんは、当時(現在も)アメリカでは主流だった、「パレスチナとイスラエル問題はとても複雑で博士課程で専門的に学習しないと分からない」や、パレスチナ人に対して少しはヒューマニティーを感じさせるものでも、「パレスチナとイスラエルの問題は悲劇で、二つの異なった民族が同じ土地に対して相反する主張をしている」程度で、多くは「ヨーロッパ大陸で起きたホロコーストで多くのユダヤ人が虐殺され、どこにも行くところがなかった(ヨーロピアン白人で文明のある)ユダヤ人が祖先の地に戻ったが、野蛮なアラブ人たち(=有色人種、イスラム教、文明化されていない)に囲まれている、中東で唯一の民主主義国」というプロパガンダに洗脳された社会に生きていたからだそうです。

タナハシさんは、根本的な大きな間違いをしたのだから、これは、きちんと正して、その正した内容を広く伝えなければならない(=それが間違いを正すということ)と決意します。
タナハシさんは書くことの専門家で、この間違いも書くことによって行われたので、間違いについても正しいことを書くことで、間違いを正そうと決めます。
その結果が今回の本となります。

タナハシさんは、きちんと時間をかけてリサーチし、パレスチナ出身の学者と話をしたり、多くの書物を読み、パレスチナも訪れた後、自分が無意識に吸収していたことは完全に偽りであったことに気づきます。
「複雑である」と主張する人々の目的は、イスラエルが国際法違反を75年にわたって続けているにも関わらず、西側諸国は、イスラエルに責任追及することを避け、それどころか国際法違反(パレスチナ地域の不法占拠や子供たちを罪状無しで逮捕し無期限に監獄に入れる等)を続けることへの共謀を行っていることが、普通の人々の意識の表面に現れない(=誰も話さない、話題にすらのぼらない)ようにすることです。
人々を無知な状態に保っておくことは、自分たちの既存特益を守ることになります。

 タナハシさんが、パレスチナで目のあたりにしたのは、あからさまなColonialism(コロニアリズム/植民地主義)です。
タナハシさんにとって、植民地主義とは、ある特定の人々の命には価値がない、とする仕組・構造で、先住民から土地と資源を奪いとり、先住民を殺したり暴力をつかって追放し、それでも追放・殺しきれなかった先住民は奴隷化・無料の労働力として搾取することを正当化するものです。
人々の命に価値の上下をつけるのは、非人間化することです。

なぜなら、人の価値とは、intrinsic(イントリンシック/本質的・内在するもの)で、肌の色や職業やable-bodied(エイブル・ボディード/身体的に健全である)であるかどうか等に関わらず、たとえ生まれた時から身体が全く動かせず寝たきりでことばを話すことができなかったとしても、ひととして同じように本質的な価値をもっているからです。
誰が上で、誰が下と言うことはありません。
植民地主義も奴隷制度も、誰かを非人間化することを正当化することでしか、成り立ちません。
この誰かを非人間化することを正当化するためには、多くの手法が使われます。
文学、映画、テレビ番組、ジャーナリズム、すべてがこのアイディアを反映し、死傷者の数は、ただの「数」となります。
彼ら(非人間化された人々)は、「ひと」ではなく、「数字」となります。

また、ここには、実際のパレスチナに日々暮らしている人々のNarrative(ナラティヴ/物語)が沈黙させられていることも大きく影響しています。
タナハシさんも、一番いいのは、パレスチナの普通の人々からみた事実の物語が語られるべきだけれど、現在は(虐殺が起きていて)難しいため、なるべく正確に自分が知っていることをたとえ不完全でも伝えたい、としていました。

批評家の中には、タナハシさんがパレスチナで過ごしたのは10日間で、そんな短い間で何が分かるのか、という批判もあるそうですが、タナハシさんは正当な批判であることは認めるけれど、彼は黒人差別問題の専門家でもあり、根っこが同じ問題(植民地主義・人種差別・人種隔離で、特定の人々はほかの人々よりも特別で優れているとするイデオロギー)を明確にみる能力については疑いがないことを語っていました。

「日本は単一民族でアメリカやヨーロッパのような人種差別や人種隔離問題はない」という偽りの神話を信じている人々も多いかもしれませんが、日本政府がアイヌ民族を迫害し人種隔離政策を行った歴史はヨーロッパではよく知られているし、日本はイギリスやスペインといった国同様、植民地主義・帝国主義で、ほかのアジアの国々を侵略した歴史をもっている国です。
日本の中でも、特定の地域・国出身の人々に差別を行い続けているのも、この植民地主義の影響がまだ続いているという証拠かもしれません。
誰かの人間としての価値が上で、ほかのひとびとは下という考え方やイデオロギーは、極端な方向では虐殺につながるし、真実でも事実でもありません。

タナハシさんは、アメリカやアフリカの先住民たちの子孫たち(タナハシさんのような黒人アメリカ人も含む)が、先住民の歴史の中で、植民地化される前に素晴らしい文明をもっていたことを証明しようとする動きを、有用なことではあるとしながらも、「西洋文明に照らし合わせて、植民地化される前の時代に、西洋文明と同等かそれ以上の洗練された文化・文明を持っていたから、自分たち先住民たちの子孫たちの人間としての価値は、ヨーロピアン系白人・キリスト教徒を祖先とする人々と同等である」とする意図には問題があるとしています。
なぜなら、この理論は、偽りの神話「ヨーロピアン系白人は、文明をもっていて優良な人種で、それ以外は文明もなく、野蛮な人々で動物同様で劣っていた(=優れた白人が、先住民の土地や資源を奪い、無料の労働力とするのは正しいこと)」へのカウンター議論であり、カウンター議論ということは、オリジナルの議論(=偽りの神話)が正しい・事実であることを前提としています。
また、この文脈で使われる「文明」は、ヨーロピアン系白人が定めた「文明」で、彼らにとっては文明とは自分たちの文明だけが正しく、ほかの地域にあった素晴らしい「文明」は文明だとは認めません。
タナハシさんは、たとえ自分の祖先の全てが畑を耕すことだけを仕事としていて、季節労働者のように暮らしていたとしても、その人たちの人間としての価値がほかの人々よりも劣っていることはない、としています。
人間の価値はintrinsic(イントリンシック/本質的・内在するもの)であり、地球上の誰もが同等の人間としての価値をもっているで完結されていて、そこに、「Because(なぜなら)」は存在しない、としています。
「Because(なぜなら)ー文明をもっていた、白人だから」等を入れ始めると、ほかの人間を奴隷にしたり、虐殺することを正当化することにつながるからです。
奴隷も虐殺も大量殺人も絶対にあってはいけないことで、正当化する理由(Because)は全く存在しません。

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