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世界はつながっているー 弱い立場に追いやられている人たちほど、社会や経済の仕組みを知り、仲間と手を合わせて立ち向かい、そのシステムを越えるものをつくる必要がある ⑤-1

緊縮財政とファシズムの相関性

ヨーロッパでもアメリカでも、ファシズムの台頭が起きていますが、ファシズムはausterity(オゥステリティー/緊縮財政)と深く関係があるとされています。

ファシズムは、歴史的にも過去200年の間に揺り返しのように強くなったり弱くなったりはしていますが、何らかの危機があったときに強く現れる傾向にあります。
ファシズムは、定義もいくつかあるものの、Umberto Eco(ウンベルト・エーコ)の著作「Ur Fascism」で書かれているファシズムの特徴は、現代でも有効です。
これについては、次回に。

基本的には、極右、権威主義(=複数の政党といった多様性を否定し、集権的な政治体制をつくる)という政治的イデオロギーであり、独裁的な指導者(ヒトラーやムッソリーニ、現代版だとアメリカのトランプ元大統領)をもつことが多く、反対派の強制的な抑圧を行うこと、伝統的社会階層に従うべきという信念(例/特に男女間の関係において顕著に現れるー女性は男性よりも下、女性の性や生殖は男性によってコントロールされなければならない等)、基本的に人種差別主義(人種は、白人・黒人といった肌の色や見かけだけでなく、宗教の違いや、慣習の違い等の場合も)を内在しています。
ギリシャ人経済学者でアクティヴィストであるYanis Varoufakis(ヤニス・ヴァルファキス)さんのドキュメンタリー映画、「In The Eye Of The Storm」で、ヤニスさんが言っているように、この緊縮財政がClass War(クラス・ウォー/階級闘争)だとするのは、珍しい見解ではありません。
緊縮財政で苦しむのは、社会で大多数を占める労働者で、一握りのお金持ち(=もともと資本をもっている人々)は、その間にも着々と資本(財産や富)を増やします。

保守党や極右派の政治家の多くが使うまやかしの論理は、国の経済と、家庭の経済を一緒にし、「(国の)借金を減らさないと、そのうち国が立ち行かなくなるので、緊縮財政で、学校や病院、道路の修復等の公共のための予算を削らなければならない」です。
でも、実際は、国の経済と家庭の経済は全く違うもので、緊縮財政を行う必要がないことがほとんどです。
国の経済上は、インフレーションに気をつけながら、その国の中央銀行で新たなお金の発行を行い、普通の人々の職と収入、病院や学校、福祉等に影響が出ないよう、公共事業への投資を引き続き行い、大多数の普通の人々の生活の質と安全を守ることは可能です。
もっと大きい視点でいえば、資本主義という形態をとっている限り、経済の膨張と収縮を繰り返すので、収縮時(経済が悪くなり、普通の働く人々が職を失ったり収入を失ったりするー経済の仕組のせいで人々のせいでは全くない)に備えて、Job Guarantee(ジョブ・ギャランティー/仕事を失った人々に公共機関が社会に必要な仕事をつくりだし、そこで給料がきちんと出る。経済がよくなれば、民間企業にうつる等)、Basic Income(ベーシック・インカム/一定の収入が誰にでも政府から支給される)等の考えもずっと前からあり、実際に試験的に導入した地域もあります。

この緊縮財政は、大多数の普通の人々に、彼らが引き起こしたわけではない経済問題のツケを払わせることになり、当然、社会全体での不満が高まります
また、緊縮財政は経済的な失敗を引き起こすことが圧倒的に多く、その失敗が大きければ大きいほど、それを隠そうとして、さらなる緊縮財政を繰り返すことになります。
これは、人々の正当な不満をさらに高め、ファシズムが力を伸ばすことに貢献します。

歴史的にいえば、ナチスの台頭も第一次世界大戦後に、ドイツが負けたあとの賠償金が払いきれないほどの高額で、ドイツ国内では緊縮財政が行われ、多くの普通の人々の暮らしが立ち行かなくなったことが大きな原因だとされています。
イタリアでは、ムッソリーニがファシズムのオリジンだとして知られていますが、ムッソリーニは、人々の(多くは正当な)不満をよく理解し、ヨーロッパ初の国民年金を導入し、福祉国家(国民の誰もが平等に富を分配される)という面もある政策を導入しました。
ただ、ここには、「私たちの権威に逆らうことは決してしない、という条件のもとでのみ、きみたち(国民)の面倒はしっかりと見る」という但し書きが入っています。

ちなみに、現在でも、イタリアはイギリスと比べて税金は高めですが、年金は欧州連合の平均よりも高く、月に1561ユーロ(約27万円)だというデータもあります。

経済が悪くなり、職や収入、家や財産を失ったり、それらの安全性が減ったとき、人々は、明確な社会的なアイデンティティーを失ったと感じがちです。
ファシズムの指導者は、ナショナリズムを高揚させることで、この国に生まれた国民であることが素晴らしい・特権・特別というまやかしをつくりだします。
多くの人々が共通でもっているのは、「その国で生まれた」ということですが、それには、敵(=外側にいるひと、自分たち以外)が必要です。
その敵は、国際的に他の国ということもありますが、内部に敵をつくることは、ファシズムのリーダーには都合よく大衆をコントロールできることになります。
「○○人であるということの誇りを取り戻す」といったプロパガンダを使って、大衆を煽ります。これは、現代でもよく使われている手段です。

「敵」とされるのはその国や社会でマイノリティーの人々で、第二次世界大戦が終わるまでは、ヨーロッパの多くの地域では、ユダヤ人(ヨーロッパのあちこちに住んでいて、現地の言語を話し、慣習にも馴染んで市民権もあり、見かけも白人ヨーロピアンだけど、ユダヤ人という別のアイデンティティーも併せ持っていた)が「敵」で、現在だと、ヨーロッパの多くの地域に住んでいる「イスラム教徒」「移民第一世代、或いは移民してきた両親・祖父母をもっている(多くの移民は非白人)」でしょう。

これは、歴史上、何度も繰り返し起こっていて、ギリシャでの緊縮財政のあとにもあっという間にファシスト政党が力を伸ばしました。
これには、現在のヨーロッパ内の主要政党は、ネオ・リベラリズム傾向が強く、資本家(少数の国際的なお金持、国際企業、シンクタンク等)に取り込まれていて、資本家に都合の良い政策(お金持ちや国際企業への税金を低くする、経済危機を引き起こした銀行家たちに責任を取らせず普通の市民にツケを払わせる等)を行い、普通の人々の生活や人生を無視するところにもあるでしょう。
政治家たちは、多くの政治資金をくれる資本家・大企業を優先しますが、本来、政治家は、大多数の普通の人々の声を代弁するために存在しています。
これは、民主主義が既にお金の力にむしばまれて機能していないことも示しています。
ネオ・リベラリズムにとって、民主主義は敵であることは、認識しておく必要があります。

この間、いわゆるLiberal(リベラル/政治・モラルの概念で個人の自由や権威主義から押し付けられる抑圧的な制限のない自由な社会に生きる権利、法の前にすべての人々が平等などに基づく考えを支持する)とよばれる政府や人々は、ファシズムの火が燃え広がるのを消すのに、何をしているのでしょう?

ヤヌスさんは、鋭い観察眼でみています。

ヨーロッパのどの国の政府も、同じ間違いを起こしています。
緊縮財政を行うことで、ファシスト政党や極右派政党への支持は高まり、主要政党(多くは中庸、リベラルに近い)への国民の支持ががた落ちし、パニックに陥った政府は、大衆にアピールするために、より極右派やファシストの政策に近づこうとして、極右派やファシスト政党ですら行わないような人種差別・外国人嫌悪に基づいた政策を行います。
ヨーロッパは白人主要国で、移民の多くが非白人と認識される場合が多く、植民地時代に人々を奴隷としてモノ扱いすることを正当化するために捏造した人種差別・白人至上主義とあいまって、「敵」は非白人の移民となりがちです。

たとえば、フランスの場合、フランソワ・オランド元大統領は、フランスで生まれた移民の子供たち(自動的にフランス国籍、市民権を与えられていた)に対して、国籍を剥奪することを可能とする法律を打ち出しました。
また、リベラルな中央よりの政党が極右派に近い政策を打ち出すことで、極右派はさらに右に動き、政治・社会全体が、極右派へと変わり、ファシズムにさらに乗っ取られやすい土壌ができあがります。

現フランス大統領のマカロンや他のヨーロッパの主要政党にもいえることですが、自分たちの権威を保つために、極右派やファシスト政党を引き合いに出すこと(自分たちの政党に投票しなければ、ファシストが政治を握る等の脅し=リベラル派対ファシストの闘いとのまやかしのフレーミング)で、本来の問題である、普通の人々の生活が立ち行かなっている現状については扱わないことで、一時的に投票を保っても、すぐにこの人々の正当な不満は、ファシストにうまく操作され、ファシスト国家になる日は近くなります。

でも、人々の正当な不満や恐れを、真正面から正直に扱うことで、ファシストに流れることは防げます。
それには、一般の人々の団結とともに、政治家たちが普通の人々の人生や生活を実際に理解・感じ取り、金権政治(政治家に多大な献金をする国際企業やシンクタンクや裕福なオリガークが政治や政策に多大な影響を及ぼしている)から、普通の人々のための政治へと転換する必要があります。
これは、十分可能です。

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