20/5/26 A
スタートの勢いに任せて予算や日程まで考えたが、いま一旦すべてを削除した。
このコロナ禍の状況において、既成の方法や手順が本当にうまくハマるのか。一度考えてみたくなったからだ。
社会が変われば、その状況に応じてなにか既成概念をぶっ壊して新しいものを打ち立てたいと思ってしまう。
世を見ればそうやって生まれたものが既に動き出している。実際にはそれらの多くは、ボツとなった試みの上にある上澄みで、ある人はビジネスチャンスととり試行を繰り返した結果で、ある人はどうしようもない閉塞感から生み出した逆転の発想で、それらは往々にしてポジティブな作業の上に生まれたものだ。
対して自分のそれはネガティブなものでリセット願望に近い。
子供の頃からそうだった。
ファイナルファンタジーで最適の装備を考える際に、一度すべての装備を外して、手作業でアイテム欄を種類ごとにソートし、しかも種類と種類の間は一マス空ける。そこから最高の装備を割り当てていく。割り当てて空いたマスはまた整理して埋めていく。
混雑した状況で考えるのが苦手なのか、このようにしないと装備を変える気も起きなかった。
シムシティでは海岸線を整地するのを先に行いよく資金不足に陥っていた。
性分なんだろう。
この性分から一度真っ白にしてそこに既存のものも新しいアイデアも載せていく。
結果的に既成のものが出来上がることもあり、傍から見れば無駄な遠回りに映るだろうけど、なぜか徒労とも思わないし不満も感じない。
ネガティブといったのは、そうしないと考えるつもりがないというところだ。
ある種、自分を発揮するための環境を整えているようにもとれるが、どうも何かを持ち続けることに抵抗があるようにも思う。しかし根が深い話ではなく、形式的にでもまっさらにすれば気が済むのだから、大したことがなさそうでそれはそれで小さく滑稽に見える。
最近はこの性分を、自分の中の切り替えのルーティンなのだと思うようになった。
意味が分からないがそうしたいならすればいいさと。
そうするだけでよいのだからなんとも御しやすい。ちょろいのだ。自分は。
さ、真っ白になった。
何を描くか。