大山勝美氏の思い出
Facebookの思い出のページに、8年前の今日アップした記事が現れたので、ここに再録します。
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その頃の日本映画は、学生の自分には暗かった。
一方、テレビドラマは、市川森一・倉本聰・山田太一・早坂暁・向田邦子などの優れた脚本家が円熟期を迎え、テレビドラマとは、脚本家で観るものだった。
大学の映画サークルが横で繋がった映画大学なるものがあり、上映会などを催す事になった。
その中で、熱狂的なテレビドラママニアの友人と、「テレビ分科会」なるものをやろうと盛り上がり、趣味趣味な小冊子を作り、業界関係者を呼んで、ドラマ業界裏話を話して貰う事になった。
確か、「祭ばやしが聞こえる」の撮影中で、「傷だらけの天使」や「前略おふくろ様」の日本テレビ清水欣也プロデューサーのスケジュールが合わず、「真夜中のあいさつ」「岸辺のアルバム」のTBSプロデューサー大山勝美氏に当たってみた。
本人は忙しいので、TBSへ伺う事になった。
大山さんは、高倉健テレビ初出演の倉本聰脚本の「あにき」を編集中だった。
この連続ドラマでは、演出もされていたのだ。氏の著作によると、放送が終わると北海道の倉本聰氏から毎回電話がかかってきて、「何だあの演出は!」と怒鳴られたらしい。熱い時代だ。
大山勝美さんは、いかつい人だった。深い皺が刻まれた顔は、大きな組織と視聴率と闘いながら、少しでも良質なドラマを作ろうとしている人の顔だった。
“一流のプロデューサーは新しいものに敏感で、次世代の育成に積極的で、新人に門戸を開く”という私の信念通り、二つ返事でOKしてくれた。帰りに「あにき」のシナリオをくれた。
分科会は、代々木八幡の区民会館で、行われた。私の司会が稚拙で今ひとつ盛り上がらなかったが・・・。
今思うと、メリットもないのに、良く引き受けてくれたと思う。きっと、将来のテレビを背負う人がこの中にいるかもしれない、というプロデューサー的発想があったのではないだろうか?
区民会館の前で見送ると、軽く頭を下げて、坂道を下りていった。その後ろ姿が、私が見た最後の姿だ。
2014年10月5日、死去。享年83歳。
御冥福をお祈りします。
次回作の製作費として、大切に使わせて頂きます。