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私の非定型発達ぽさ

はじめに

自分ってASDグレーゾーンかも?と思うことが多いので、頭の中の整理整頓がてら自分の持つ自閉的な特性を書き連ねてみる。人と関わることに対する予期不安が強めなことを除けば日常生活への支障はそこまで大きくないので、病院を受診するかどうかは迷い中。22歳女性。

ためになった本

いろいろ考える上で大変参考になった2冊。どちらの本にも発達障害の当事者のエピソードが多数収録されているのだが、共感しながら読み、私が感じてきたあれこれは実はマイナーな感覚だったのか、と驚いた。私はずっと自分の世界の見方を普遍的なものだと思っていたから。

好きなもの

好きなものは色々あるけれど、ひとつひとつ挙げていくとすべて一人で黙々と楽しむ系のものだったので驚いた。

地理

幼稚園〜小学校低学年のときに親が買い与えてくれた国旗絵本や地図絵本を気に入って、全ての国の首都と国旗を暗記したのがはじまり。与えられた自然環境で人間がどのように生き延びてきたかを知るとわくわくする。Googleマップで地球のあらゆる場所を探検するのが大好き。特に遠くの国の飲食店とスーパーマーケットの写真を見るのが好き。鉄道にも興味があり、特に路線図と時刻表が大好き。高校生のとき、JTBの小さな時刻表をずっと眺めている時期があった。最近は小字(こあざ)に興味がある。今は日本の全市区町村を暗記しようとしている。こういう趣味が高じて現在は地理を専攻している。

競馬

3年前にたまたま皐月賞の中継を見てハマった。競馬はデータの宝庫なところが大好き。賭け金は週末ごとに1000円までと決めて豆馬券で楽しんでいる。私はデータ派なので、予想をするときは競走馬の血統、過去レースのデータ、騎手、厩舎、そういうものを頭の中で組み合わせて考える。競馬場に行き、パドックと出馬表を見比べながら、あーでもないこーでもないとひとり考えるのが至福の時間だ。そして馬は要求や喜怒哀楽をストレートに表現するので気持ちが読み取りやすくてかわいい。人間がやりがちな回りくどいコミュニケーションはかわいくない。

漢字

昔から難読漢字クイズ的なものが好きだった。思いつきで2年前に漢検準1級を取得して、今は1級に向けて勉強している。黙々と漢字の書き取りをすると心が落ち着く。

メニューブック

飲食店のメニューを読むのが好きだ。料理の写真と値段がずらっと並んでいるのが面白くて、ついつい夢中になってしまう。メニューブックが回収されないタイプの飲食店で食事をするときは、注文した料理が届くまでの間、行儀が悪くてすみませんと縮こまりながらメニューを読み続けている。特にサイゼリヤ、CoCo壱、びっくりドンキーのメニューが気に入っている。同じ理由で、宅配ピザやお寿司の広告が投函されていると嬉しい。

文字

視界に文字がないと落ち着かないので、日頃からずっと携帯の画面を見ているか、その辺に置いてある本や説明書を読んでいる。誰かとやりとりをするためにSNSを使っている時間は同年代の人たちに比べたらかなり短い方だと思う。でも、どのようなものでも良いのでとにかく文字列を読みたくて、いつもツイッターを見ている。他の人が今どうしているのかにはあまり興味がない。本の読み方も極端で、何かを知りたいときにそのジャンルの本をガーっとまとめて読んだり、気に入った作家(内容よりも文章のなめらかさ重視)の著作を全部読んだりする。去年の夏は第二次世界大戦の手記ばかり読んでいたし、一昨年は金原ひとみの著作を全部読んだ、みたいな具合。

編み物

半年くらい前に始めた。本やネットから編み図を借りてきてはちまちま編んでいる。練習したら棒針もかぎ針もそれなりに使えるようになって、ニット帽くらいは簡単に編めるようになった。自分で編んだものを身につけることにはあまり興味がなく、ゴールに向かってひたすら編み進めているときに分泌される脳汁を楽しんでいるみたいなところがある。人に頼まれて何かを編む、くらいがちょうどよい。

感覚過敏いろいろ

発達障害関連の本を読んでいると、当事者の多くは感覚過敏を持つという記述と出会うことが多い。私は目と耳と触覚が過敏だなと感じる。反対に、しめじとえのきの美味しさが分からないことを除けば、今までに食べたすべてのものを美味しいと思ったし、特に苦手な匂いもないので、かなり極端。

視覚

視界に入ってくる全てのものを無意識に観察してしまう癖があり、エネルギーが削られる。ショッピングモールに行くとずっと周囲を見回しているし、デパ地下を歩いたあとは毎回のように頭痛が起こる。デパ地下って、人とぶつからないように気をつけて歩く必要があるし、何を買うか決めずに行くと延々と彷徨い続ける羽目になるし、絶えず四方八方から声が聞こえてくるので、きわめて難易度の高い場所だ。幸い(?)、視力がかなり悪いので、家の外では裸眼でいることが多い。そうすれば必要以上にものを見なくて済む。

聴覚

お皿を洗う時の食器同士がぶつかる音と掃除機の音が苦手。大きめのBGMがかかっている場所で人と喋ると相手の言っていることが聞き取れない。あちこちから同時に話しかけられると、ぎゃー!ってなる。無音の場所でないと文章が読めないので、カフェで本を読むことや外で自習をすることは困難。外出時はだいたいノイズキャンセリングヘッドホンか耳栓を装着している。

触覚

レディースの服によくありがちな、てろんとした生地が本当に苦手。綿100%のトップスばかり着る。夏に汗をかくと、その後シャワーを浴びるまでずっと気持ち悪い。ファンデーションが苦手なので、使わずに済むようスキンケアに気を遣う。服を毎朝選ぶのが本当に面倒なので、気に入った肌触りのトップスとジーンズを洗い替えに数枚用意して、それをスティーブ・ジョブズに倣って着回すやり方に変えたい。

コミュニケーション

人の話を聞かない

小さい時から、自分の興味のない話を全く聞こうとしないところがある。これを自覚してからは注意して聞くよう気をつけているけど、どうしても相手の話が頭からすっぽ抜けるときがある。興味が無くなった瞬間にスイッチが切れる感覚がある。忘れもしない小学6年生のある日、全校朝会を終えて教室に戻ると、担任の教師は私たちに紙を配り、「さっき校長先生が話していたことを紙に書きなさい」と命じた。最悪の抜き打ちテストだった。あのとき紙に何を書いたかは覚えていないけど、おそらく的外れなことを書いたのだろう。

適切な距離感がわからない

昔から友達との適切な距離感を取るのが下手だった。自他境界を意識して人と接することができるようになったのは最近になってからだ。今あらためて振り返ると、いろいろなコミュニケーションを学習するルートが他の人とは違っていたんじゃないかと思う。小学生のころは他人を操作しようとする癖があった。一番身近な人間である親が私をしつけるためにああしなさいこうしなさいと言うのを見て、自分も友達に指示じみたことを言ってもいいのだと勘違いしていた。そんな振る舞いをすれば当然トラブルが起こるので、その度に「これはだめなんだ」と学習した。中学校に上がるくらいのころ、「人に優しい人間になろう」と心に決めた瞬間があり、そこからは他の人を観察して気持ちや要求を汲み取ること、いわゆる擬態の練習をした。そのうちにいらぬトラブルを回避できるようになった。たくさんの人がいる場所で周りにうまく馴染むにはちょっとした努力が必要だった。当時は自覚していなかったけれど、思春期の私はずっと過剰適応気味で学校生活に必要以上のエネルギーを割いていたようで、それまでほぼ皆勤賞だったのに、高校2年生のときに鬱っぽくなって不登校になった。

本当に思っていることしか言えない

冒頭で紹介したどちらかの本に書かれていたエピソードの中に、女の子同士で内装が素敵なカフェに行ったとき、「かわいいね〜」「かわいいよね〜」みたいな会話にうまく参加できない、というものがあった。私もこれが下手だ。コミュニケーションを円滑にするための、別に心の底から思っているわけではない言葉を自然に発するのがかなり下手だ。「それかわいいね」「それ似合ってるね」「これおいしいね」と言うときは本当に思っているときだ。あと、どう考えても自分が悪くないときは「ごめんなさい」を言えない(もちろん自分が悪いときは言う)。この辺をもう少しスムーズにできるようになりたい。

雑談が下手

初対面の人やそこまで親しくない人との適切な雑談が分からない。自分でも訳が分からないのだが、いざ雑談が必要な場面になると、頭の中に浮かぶ選択肢が、自分のことを全部喋るor自分のことを何も喋らないの二択になってしまう。関係が深くない相手に対して前者を適用するのはさすがに違うので、残された選択肢:あまり自分のことを喋りたくないモードになる。その場にいない第三者の噂話をするのも好きではないので、いつも相手の話をなんとかして引き出すか、天気の話をしている。上達したい……。

そのほか

常同行動

はたから見ると意味のない行動を繰り返すことを〈常同行動〉と呼ぶそうだ。他の人から見て分かりやすいものとしては、体を揺らす、奇声を上げる、同じ場所をぐるぐるする、など。おそらくこれも常同行動のひとつなのだが、私には皮膚や爪をむしる癖がある。小学生のころは手の爪をむしっていた。やがて、手の爪は人目に触れやすいからもっと目立たない場所をむしったほうがよいと気づき、今度は足の爪や皮、指のささくれをむしるようになり、いまだに繰り返してしまう。私の場合、この行動は何かに集中しているときや落ち着いているときに出ることが多い。

知らない人が怖い

これまでに書いてきたあれこれは私にとってずっと当たり前のことだったので、日常生活を送る上ではそこまで支障になっていない。他に支障をきたしているものがあるとすれば、それは知らない人を怖いと思う気持ちだ。思春期以降、新しいコミュニティに参加することへのハードルがぐんと上がった。新しく出会う人とのコミュニケーションを間違えるのが怖い、自分のことを詮索されて変な人間だということがバレるのが怖い、今まで取り繕ってきたことをこれからも続ける必要があると思うと気が遠くなる、みたいなネガティブな気持ちが渦巻いてしまう。この恐怖をどうにかできれば私の人生の見通しは今以上に明るくなるはずなのだが、年単位の日にち薬でどうにかなるものなのだろうか。

さいごに

こういう特性によって得をしたことも少なからずあるので、私は自分の脳みそを部分的に気に入っていて、部分的に厄介だと思っている。でも、書いているうちに、より良い人生を送るためには病院に行ったほうがいいかもな……の気持ちが膨らんできた。おわり。

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