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いつかまためぐり逢うそのときまで!

私の大好きなメイケイエールちゃんが競走生活を引退した。3月24日の高松宮記念がラストランで、レース後にはG1未勝利馬としては異例の、そして中京競馬場では史上初めての開催となる引退式も行われた。エールちゃんはこれから生まれ故郷の北海道で繁殖牝馬として繋養され、早ければ来年の春に母となる。

3年前にエールちゃんと出会ってから、エールちゃんのことを考えない日はなかったし、「エールちゃんも毎日頑張っているのだから私も頑張ろう」の気持ちだけで生きてきた。普段はいい子なのにレースになると制御が効かないくらい一生懸命に走る不器用なエールちゃんを、人に比べて得意なことと苦手なことの落差が大きい自分に重ねて応援した。名門牧場&名牝系出身の、重賞を6個も勝っている競走馬に自分を重ねる姿勢が厚かましすぎるのは承知の上で……。

エールちゃんにまつわる思い出は山のようにあるけれど、その中でも脳裏に強く焼き付いているのは2022年のシルクロードステークス、じゃらじゃらの馬具を付けたエールちゃんが最後の直線でひとり抜け出し、先頭でゴールした瞬間だ。私は現地のウイナーズサークルにいて、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした。涙もろい私はこの3年間、エールちゃんが勝って嬉しくて泣き、負けて悔しくて泣き、最後は無事に引退できることにほっとして泣いた。

エールちゃんはレース運がちょっと悪かった。3年連続で出走した高松宮記念は雨が降りがちな3月末ということもあり、ついに得意な良馬場を走ることはできなかったし、不利な枠に泣かされたこともあった。しかし、エールちゃんは人間運がすこぶる良く、馬主や調教師をはじめとする関係者の皆さんにとても大事にされながら競走生活を送った。思い返すとレース選択がいつも完璧で、京王杯スプリングカップを勝った後に安田記念を見送って秋のセントウルステークスに照準を合わせた時や、有利な斤量で出られる京都牝馬ステークスをラストランの叩きに選んだ時なんかは、こんなにピッタリな条件のレースを選べる調教師はすごいな、と驚いた。

エールちゃんからは本当に多くのことを教わった。みんなと同じじゃなくてもいいこと、置かれた場所で上手に咲けそうにないのなら咲けそうな場所を探し当てればいいこと、結果を求めるのなら無謀に見えることもやってみるしかないこと、何かに挑戦して失敗したとしてもそれはいつか後に続く誰かにとっての道標になること。

ラストランの日、中京競馬場には3万人弱が集まり、エールちゃんの抽選会やグッズ販売ワゴンには大勢が列をなし、場内を歩けばいたるところでエールちゃんのぬいぐるみを持った人とすれ違った。若駒のころにレースで暴走を繰り返し、「事故が起こる前に引退させろ」と周りから言われていたエールちゃんは、その気性を克服するにつれて、いつしか「ファンが多い馬なので」という枕詞とともに語られるようになっていた。

エールちゃんは中京競馬場の芝1200mコースのレコードを持っている。これから先も同条件のレースが行われるたび、レーシングプログラムに記された「1分06秒2 メイケイエール」の文字越しに、私たちはいちばん強かった日のエールちゃんと再会することができる。エールちゃん、そのレコードが誰かに塗り替えられる前に、今度は母の名でレーシングプログラムに帰ってきてね。

私はその日まで、引退式でいきものがかりの『YELL』をBGMに歩くエールちゃんの姿を何度も思い出し、それをもう味がしなくなるくらいまで反芻しながら生きていくつもりだ。

ありがとう

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