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もうどこへだってゆける

もう何ヶ月も前から、大好きな競走馬メイケイエールちゃんへの思いを文字に起こしたかったのだけど、ずっと書きたいことがまとまらずにここまできてしまった。

2年半くらい前からメイケイエール(以下、エールちゃん)を応援している。エールちゃんは2018年に生まれたサラブレッドの女の子で、涼しげな顔がかわいくて、とても脚が長くて、前髪が天然パーマ気味で、耳が長くて、鼻先の色がちょっと薄くて、走るのがとても速い。2歳夏のデビューからクラシック競走の始まる3歳春までに、レコード勝ちを含む重賞3勝をおさめた。

エールちゃんとの出会いは、私がまだ競馬を知ったばかりのころに見つけた動画だったような気がする。エールちゃんは走るのがものすごく速いけれど、2歳や3歳のころは前進気勢が強すぎて騎手の言うことを聞けず、ペースを無視した暴走や他馬へのタックルを繰り返していた。説明するよりも動画を見てもらった方がよいかもしれない。緑と青のギザギザ模様の服の騎手を乗せているのがエールちゃんである。

前へ前へ行こうとするエールちゃんを制御するために騎手は手綱に体重をかけて手前に強く引っ張る。そのさまがジェットスキーのようだとか、他の馬たちを押しのけて走る姿が獅子舞のようだとか、落馬事故を起こす前に引退させろとか、競馬ファンたちから好き放題言われていた。危ないのは確かだったけれど……。

話を戻して、私がエールちゃんを知ったのは、大暴走するエールちゃんに面白おかしいセリフをアテレコした動画がきっかけだった。最初は面白い馬がいるんだな程度の印象だったけれど、所属する武英智厩舎に初めての重賞勝利をもたらした馬であること、だからこそ陣営はこの馬でG1を獲りたがっていること、そのために関係者みんなでこの馬を立て直そうと(=ちゃんとしたレースができるように矯正しようと)していること、あとレース中の様子に反して普段はおしとやかでめっちゃかわいいこと、調べるうちに私はエールちゃんから目が離せなくなっていた。

走ることに関して類稀なる能力を持っているのに、自分をうまく制御できないから実力を発揮しきれていない、そういう少し不器用なところにどうしようもなく惹かれた。みんなができる普通のことを普通にこなすのが苦手な自分をちょっとだけエールちゃんに重ねている部分もあった。エールちゃんがレースを上手に走れるようになったら、私の人生もいい方向に進むんじゃないか、みたいな。私は人間として類稀なる能力を持っているわけでもなければ、走るのも遅いのだけれど。

エールちゃんは3歳の秋、それまでの主戦・武豊騎手にかわって池添謙一騎手を鞍上に迎えた。デュランダル、スイープトウショウ、ドリームジャーニー、オルフェーヴルなどの主戦を務めてきた、癖の強い馬を御すのに長けた印象の騎手である。初コンビで挑んだG1・スプリンターズSはスタート直後に他馬にタックルして、暴走気味に大外を走って、でも最後までじわじわ伸びて結果は4着だった。能力の高さと課題の多さがの両方がよくわかるレースだった。

年が明けて4歳シーズン、エールちゃんは視野を制限して集中を促すパシュファイヤーと、騎手がより強い力で馬を制御するための折り返し手綱の2種類の馬具を新たに装着してレースに臨んだ。

2022年1月30日 GⅢ・シルクロードS 本馬場入場
目を覆う茶漉しのようなものがパシュファイヤー、胸前に垂れている黒い紐が折り返し手綱です。

その効果は抜群で、4歳の一年間に重賞を3つも勝った(G3・シルクロードS、G2・京王杯スプリングC、G2・セントウルS)。騎手の指示を無視して暴走することもなくなったし、普通の馬と見紛うようなお利口さんなレースができるようになっていた。ただ、G1のタイトルだけが近いようで遠かった。3月の高松宮記念で5着、10月のスプリンターズSで14着、初めて海外に遠征した12月の香港スプリントで5着。あともう少しだけ運が向いたら、もっと展開がはまったら、あと少しでG1のタイトルに手が届くところまでは来ていた。

5歳になった今年もG1への挑戦は続いている。3月の高松宮記念で12着、6月の安田記念で15着と結果が振るわず、もう気持ちが切れているとかピークを過ぎたとか囁く人もいたけれど、10月のスプリンターズSではエッグバットハッピータンという新しい馬具(甘いハミらしい)を装着するかわりに、これまでの矯正馬具を脱ぎ捨てて、素顔で5着。エールちゃんは矯正馬具がなくてもちゃんとしたレースができる競走馬に成長した。ここまであらゆる試行錯誤を重ねた関係者の方々には本当に頭が上がらない。

この秋、エールちゃんははるばるカリフォルニア州のサンタアニタパーク競馬場へ行き、アメリカ競馬の祭典であるブリーダーズカップのフィリー&メアスプリントに出走した。若駒のころに関係者をを手こずらせていたあの子が、世界最高峰レベルのレースに挑んだ。初めてのダートに戸惑ったのか結果は最下位と振るわなかったが、エールちゃんはもう普通のことを普通にできる競走馬になり、どんなレースにだって挑めるようになったのだ。これまでのことを思い返すと、現在のあまりにも立派な姿に、ただの一人のファンにすぎないのに涙が出てくる。

エールちゃんにまつわる思い出は話し始めるとキリがない。エールちゃんに美しい景色をたくさん見せてもらったし、これからの人生の基盤になっていくであろう信念をもらった。競馬に興味を持った時期とエールちゃんの競走生活が被っていて、エールちゃんを全力で応援できた期間がある私は本当に幸運だ。

今の私の夢はエールちゃんの競走生活を最後の瞬間までしっかりと目に焼き付けることだ。エールちゃんも5歳になり、そう遠くない未来に引退・繁殖入りの報が出ることを覚悟はしている。ブラッドスポーツである競馬には好きな馬が引退してからもその子孫を応援する楽しみがあるけれど、私がいちばん好きなのはエールちゃん本人だから、せめてエールちゃんが現役の競走馬でいる間はもっと一日一日を噛み締めて生きていきたい。エールちゃんが怪我や病気をせず、最後のレースの最後の一完歩まで全力を尽くせることを、何よりも強く願っている。

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