空き家フィールドワークを実施🏡
こんにちは。スッドです🧑🏻🔧🧑🏻🌾👩🏻⚕️👩🏻💻
スッドでは今年から空き家課題解決に向けて、鹿児島大学 建築学科との連携を進められないか模索しておりましたが、来たる8月6日に小山研究室の皆さんが「空き家フィールドワーク」のために、大隅半島を訪れてくれました!
しかも今回は、鹿児島大学 小山雄資先生とそのゼミ生の皆さんだけでなく、長年、小山先生と共同研究等を行っておられる、東北工業大学 不破正仁先生とそのゼミ生の方々、なんと総勢15名がお越しくださるというではないですか。これまで独自で、正解のないなか手探りで進めてきたスッドメンバーは感無量。と同時に、この空き家にこんなにたくさんの若人が訪れるのはもしかしたら50年ぶりぐらいかもしれない、と草刈りのビーバーを持つ手に力が入ります。
▼参加くださった先生方のプロフィールはこちらから
空き家周辺の環境から模索する
まず総勢15名の皆さんが集まったのは、空き家周辺の田んぼの近く。
鹿児島大学の皆さんはそれぞれ鹿児島県出身者や県外出身者の方もいらっしゃり、東北工業大学の皆さんは大学がある仙台近辺の出身者の方が多いという、まさに南北の多様なバックグラウンドを持つ皆さんが一同に集結。
まず視察したのは、鹿児島県全土や宮崎県など、九州に広く伝わる「たのかんさぁ」と呼ばれる「田の神さま」。スッド大隅拠点の近くにも、たんぼのそこここに佇んでいらっしゃり、その姿や歴史はさまざまであるものの、手には豊作を願う、ごはんとメシゲ(しゃもじ)を持つ、ほっこりとした風貌が穏やかな像で、鹿児島県内だけで数千体はあるとされています。
ただ、そのほっこりと愛らしく穏やかな風貌とは裏腹に、たのかんさぁにはその時代その時代の、切実な願いが込められています。元々鹿児島は火山灰で形成されたシラス大地で、稲作には不向き。その時々の天災や不作に向き合い、農耕や稲作とともに育ってきた信仰と暮らしを感じることができます。
次に一同が向かったのは、そこから歩いてすぐの「飴屋敷跡」。
こちらはとても面白い神話の世界の遺跡で、近隣の「吾平山陵」で眠る初代・神武天皇の両親を、飴を練り育てたとされる人の屋敷跡です。スッドnoteにもことあるごとに出てきているので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
簡単にご紹介すると、「吾平山陵」に眠る初代・神武天皇の父上「ウガヤフキアエズノミコト」の両親が山幸彦と豊玉姫ですが、出産の際に本当の姿を見られまいとした豊玉姫との約束を破り(本来の姿はワニだとか)、姿を見てしまった山幸彦に怒り、豊玉姫が去ってしまった後の「ウガヤフキアエズノミコト」を、飴を練り与えて育てた人の屋敷跡ということです。当時は砂糖などもないでしょうから、飴とは米をといだものだったのかなど、想像が広がる場所です。
面白いことに、神話のルーツを辿っていくと、古くは南方の海人伝説から始まり、薩摩半島へ(海幸彦が釣り針を落としたとされる井戸や、玉手箱のある神社が存在)、大隅半島を経て、高千穂から東へ向かうルーツを知ることができます。
また先生方からは周辺環境の特徴として、以下のような点が挙げられ、スッドメンバーもこれまで"当たり前"として、得られなかった視点を得ることができました。
そしていよいよ、スッド大隅拠点の空き家を訪問していきます。
まずは崩壊し始めている馬屋から。
こちらご親戚の方とのやりとりでわかったのですが、なんとその方(75歳)が生まれた日に完成した馬屋とのこと。ということは、築75年。もちろんそのご先祖の手づくりで、使われている梁や建材も新しいものではなく、どこかで使われなくなったものたちを持ってきているのだとか。そうすると、建材レベルでは100〜150年のものもあるかもしれないとのこと。
20〜30年ほど前までは、この馬屋でも牛や馬を飼っていたり、烏骨鶏なども飼っていて、ほぼ自給自足型の生活だったため、多くの農機具などを保管していた場所でした。
スッドが昨年、初めて2階に上がった時には、これまで見たこともない昭和初期の家具や行李鞄、雑誌の切り抜きなど、歴史的財産ともいえる数々が出てきました。
鹿児島のかつての農家の暮らしと、その時々の必要性に応じて自由自在に増築・改修を重ねてきた軌跡を垣間見ることのできるこちらの馬屋は、特に今回、仙台からいらっしゃった不破先生も初めて見るものが多いようで、梁の作り方や使い方など、とてもユニークであることを教えていただきました。スッドも先生方のお話を聞いて、空き家改修のあり方は一昔前までは当然のことで、人間が長い歴史の中で培ってきた大きな知見であるのだなと感じさせられました。
そしていよいよ、母屋へ入っていきます。
こちらは今年1月に、スッドのクラフトワークショップで床板を剥がした仏間です。その時にもみんなで確認したこの地域ならではの建築方法「大床造り(うどこづくり)」を確認したり、建物の基礎を見学しながら、さまざまな意見交換を行いました。
またスッドメンバーが、「建築の学生はすごい!」と個人的に感じたのが、外側から基礎を確認したときのこと。外板を剥がした瞬間、その場にいた15名全員が、中腰となりものすごい速さで記録を始めたのです・・!
その情熱と姿勢に、スッドメンバーは脱帽。
まず先生方からは、高台に位置しあまり水害がない場所にも関わらず、なぜここまでの高床に仕上げているのか、が面白く検証の余地があるとのこと。スッドメンバーはこれまで単純に「高温多湿だから」(この家は立地条件や水の流れから、とても湿度が高い場所)と思っていましたが、もしかしたらそのほかの理由や背景があるのかもしれません。それらも含めて、先生方からは、以下のような点が挙げられました。
「雑性」、とっても素敵な言葉で、スッドメンバーが空き家や周辺環境に感じていた感覚を言語化していただけたようで、とてもうれしくなりました。
そのほか、学生の皆さんからも
「なんでこんなところまで面取りしてあるんですか?」
「どうしてこの梁・柱はここで切っているんですか?」
「こんなところに昭和4年って書いてある!」
など、スッドメンバーでは思いもよらなかった視点からの質問・発見があり、とても学び深く有意義な時間となりました。
人が集い、交流する拠点としての空き家
これはスッドでも当初から仮説として持っていたことでしたが、都会の暮らしと比べたら、空き家とその周辺環境は、なんと余白があり自由度の高いことか。
これはスッドメンバーの一部が都市に住んでいるからこそ感じることかもしれないですが、"地域の可能性ある資源"としての空き家に、少しのきっかけや機能・役割を与えてあげることで、もしかしたらどんな場所よりも人が出入りし、集い、交流することのできる拠点になりうるのではないか。
空き家にはその間口の広さと自由度がある。そして何よりも、昔の暮らしや知恵を知ることができる空き家はとっても面白い!そんなことを考えていました。
今回、仙台と鹿児島から先生と学生の皆さんがきてくださって、スッドが持ち続けていたそんな仮説が検証されたような気持ちで、とっても意義深く嬉しい気持ちでした。
スッドでは今回のフィールドワークを皮切りに、鹿児島大学建築学科の皆さんとも連携しながら、今回得た視点を今年度の活動に活かしていきたいと考えています。
鹿児島大学 小山研究室の小山先生とゼミ生の皆さん、そして東北工業大学 不破研究室の不破先生とゼミ生の皆さん、ありがとうございました!!
おまけ
若人の皆さんをお迎えするために、草払いに力が入るスッドメンバー💪
(編集・執筆 スッドふくどめ)
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